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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-04-29

初めてでした

今日も外来にいた私。
その私が出勤するほんの少し前の出来事。
あるお母さんが搬送されてきていたようです。
知らなくって、あわただしい外来が1時間ぐらい経過した時に、ドクターがふといいました。

「カナ、分娩室行ってごらん。さっき、パタリヤから搬送されてきた重体の産婦がいるから」
「どういう経過で搬送されて、ここに来たかその目で見てきて。」
と。

分娩室の前は、いつもより多い人だかり。

重体・・・。
というか、もうあちらとこちらの間ぐらいでした。

呼吸は今にも止まりそう。
瞳孔は散大。
脈は50を切ってました。
点滴が、2本。
酸素ボンベから直接長いカテーテルを片方の鼻につっこまれている。

心電図モニターも、人工呼吸器も、たくさんの薬の選択肢もないですから。
とりあえずの大学病院までだって、でこぼこの荒れた道を2時間以上走らないとない。
あいにく破裂した子宮をオペする電気もない。
死にゆく命は、見守ることしかできないのです。

その周りで、今出産を終えたばかりの親子や、まさに分娩中の親子や、陣痛が来てやってきた家族などがいつも通り過しており、スタッフもバタバタとしながら、たまにちらっと彼女を見にきていました。

彼女を取り囲む2・3人の付き添いの女性達は、神妙な面持ちでじっとしている。
「何人目?」
と聞くと、「3人目、でも上2人ももういない。」と答えてくれました。
子宮を見たり、所見を見てみて、それからあまりにもお母さんに気をとられて忘れていたので聞きました。
「ところで、赤ちゃんはどこ?」
女性達が、指さしたのは向かいのベッド。

青いサリーを破った布切れに、粗末に裸でくるまれ、そこにいました。
全身は紫色。
しかめっ面の顔で、体はむくみ、苦しかったんだな、と一目みて思いました。
あまりにも無造作だったので、とりあえず手を組ませてあげて包みなおしました。


搬送してきた病院の小さな紙切れには、

”横位(赤ちゃんがお腹で横に寝ているので、経膣分娩はできません)、手が娩出されたため、ダモー県病院へ搬送”

それだけ。

横位であることは、分娩が始まってからわかることではないし、あっちの病院で分娩の経過がどうだったかも、全く書かれていない。
妊婦健診の記録もない。(受けていたかどうかもわからない)


10分程して、向かいに眠る赤ちゃんのように、24・5の彼女もそこで深い眠りにつきました。


日本では極少である妊産婦死亡。
私の短い臨床経験では自分の勤務であたったことはありませんでした。
ここでも新生児の死亡に比べれば少ない方ですが、みんなの反応をみていると、決して珍しいわけではないんだな、ってことが改めてわかりました。


赤ちゃんのすぐ後に、お母さんがベッド向かいに一緒にそこを絶ちました。
冷たく凍った私の心は、以前より平常で、涙も流れてきませんでした。

私にとっては、大勢の死の中の死。
その人の人生と、家族や友人にとっては大きな大きな死。

それが嫌でたまらない臨床から少し離れたかったのに、私の心がまたあの頃に戻りつつあることを感じて、悲しかったです。

2010-04-20

ア・ツ・イ

バザール(中心地)を除いて、2部制に分かれているお店は、お昼はバンド(閉店)。
最初のミネラルウォーターにありつけるのは、少なくとも200mぐらいは歩かないとダメだし、昼間は46度ぐらいなので歩くはずもなく。いや、店もやってない。
病院の帰りに、ひとときのミネラルウォーターをがぶ飲みしたら、あとはもっぱら、井戸を汲んで、フィルターに通して、(沸かして、冷まして、)冷蔵庫に入れて、やっと冷え冷えの水にありつける。
その冷蔵庫も、電気がないと切れるので、氷が何度流れたことか。
先の先を見越して作業をするので、常に24時間後の水を考えて・・・。

生活用水は、井戸の水を電気で一旦屋上のタンクに貯めると、それが各蛇口を通して出てくる。
この時期は、洗濯も、洗い物も、トイレも水も、蛇口から熱湯・・・。
だって屋上が炎天下だから。
冬と反対ならいいのに。

キッチンの窓からは、熱風が吹きさらし、立って調理してるとコンロの火と両方でおかしくなりそう。
食べるのやめたい・・・。

クーラーという名の水が飛んでくる扇風機と、天井のファンを使うが、生ぬるい。
しかもこのクーラー、轟音。
これで寝れるの?インド人!?
うるさくて、眠れないですよ。


コンビニで、雑誌立ち読み、涼みたい。
コンビニの、アイスとプリン、買いだめたい。
流れるプールで流れたい。
冷えた麦茶においしいごはん。
冷え冷えの素麺に、錦糸卵。
ああ、マサラのない優しい味。(インド的には味がないとも言う。)
冷ややっこ。
お風呂の後のクーラー。
デパートやスーパーの冷え冷え感。

毎日妄想。

そうめん食べたい・・・と思いながら、でもそのそうめんを入れる水と氷の苦労を考えると、そうめんないのにもういいやと思ってしまう。
日本はマックスでも38度だったなーいいなーと思って、帰りたくなる。
暑さのせいで、ホームシックですよ!まったく。
なんて贅沢な国なんだ!

「これだから発展途上国は!」とか。
「やる気がないんだから」とか。
いろいろ聞くけれど。

気候って、大切だと思います。
頑張りたくたって、頑張れないですよ。

日本は、元来頑張り屋さんだったのかもしれないけど、四季があって、自然が豊富で、海も物も山の物も食べることができて、そんな自然が味方だったから発展することができたんじゃないでしょうか。


こんなに暑いのに、たった20円で10分ぐらい一生懸命自転車こいでくれるリキシャーの人とか見ていると。
てきぱきてきぱき動くドクターみてると。
頑張ってないなんて、とてもじゃないけど言えません。

休みながら、ゆっくり改善していきましょう。
仕事の話を書こうと思ったのに、暑すぎて、優先順位が変わりました。

生きるって、大変。
日本のみなさん、贅沢な暮らしに感謝して、みなさんも夏を乗り切ってください!
あ、まだ春か・・・

2010-04-17

アーユールベーティック・・・?


初のあまりの暑さのせいか、奢ってくれたからって調子に乗って食べたいろんなもののせいか、よくわかりませんが突如発熱。
1週間にわたる下痢の後、40度の熱が出ました。
最初は、「まーた暑いな今夜も。」と思ったのですが、どうやら気温じゃなくてこれは体温では!と、おたんこナースっぷりの鈍感さ。
その鈍感も暑さのせいだと思いますが(?)
ただえさえ、ストーブの火が燃えて出るメラメラのような風が吹いているのに、自分の体からもメラメラ吹き出して、倒れそうでした。

現地プロジェクトスタッフと、たまたま出張で来ていたボパールの日本人スタッフが、早朝から、知りあいのドクターの家へ車を回してくれたり、知りあいのナースを家に呼んで点滴と採血をしてくれた。
ああ、こういうとき、医療隊員でよかった・・・。
だって、町の医療従事者いっぱい顔見知り。
ついでに、私と一緒にイカれてしまい、こんなときに誰とも連絡もとれなくなった携帯電話。
携帯屋さんが、これも家まで出張販売。
こういうなんでもできるところ、途上国のいいところ。
好きです。
(ま、こうやってなんでもすぐハプニングになるから、逆になんでもできるんだけれども!)

さて。
それはまあ、叱られました。
インド人に。

は?なんでブドウとか食べてるの?だめだめ、オレンジ食べなさい!!
え?風邪のときに卵とごはん?!(私がおかゆの説明をした・・)
だめだめ!ゴハンとヨーグルトと砂糖を混ぜて食べなさい!(気持ち悪い・・・)
鉄分下がってるよ!トマト、ほうれんそう、にんじん、ひよこ豆食べなさい!
水は一日3-4リットル飲むように!
玉ねぎ食べなさい、体が冷えるから。
玉ねぎすったら、手足に塗りなさい!
ターメリック入れた?
油物は禁止ですよ!(え、インドはほとんど油では・・・)
昼間は出ちゃダメ。家で寝ること!
これとあれとこれとあれと・・・・・・
永遠に香辛料の話などが続くのでした。。。

旬のものとか、見た目や重さや色や音で食べごろを判断したりとか、そんなこと私にはできない。
いっつもスーパーで365日ほぼなんでも手に入って、形も綺麗な野菜や果物ばっかりだった。
日本も先祖はいろんな知恵で生きていたのに、あと何十年かしたら誰もわかんなくなってしまうんだろうなと思うと残念です。


キチュリーと言われるインドのおかゆを裏の家の人や、同僚のナースが届けてくれた。。。









3日ぐらいで一気に抜け殻になりましたが、みなさんのおかげと、最初は嫌だと言っていたけど意外に絶品なキチュリーのおかげですっかり回復いたしました。

”郷に入れば郷に従え”

現地のことは現地の人が一番よく知っています。
ちっちゃい時から、バナナ、おかゆ、雑炊とか食べてたのー!だから食べたいの!と言ったけど、「ここはインドだ!」と一喝・・・。
言われた通りにしないと、インドの風邪は治せないのかも。

どちらにしても、優しさでほぼ治してもらったような風邪でした。
幸せです。

2010-04-08

頭痛い・・・

どの外国に行っても、日本人なら経験している方が多いんじゃないでしょうか。
途上国なんか特に。
今日も聞かれました。

「ところで、宗教は何?」

「宗教は・・・」
何というか・・・ないというか・・・なんというか・・・
(はぁ・・・)

もちろん来る前から予想はしていましたが、非常に頭抱える質問です。
面倒と言っては、何か悪いことを言ってる気がしますが、
どうも上手く説明できそうもないときは、相手が押してくる「仏教だろ?仏教だろ?」に、あいまいに「うーん、そうですね」とだけ答えておきます。
でも、実際にはそう答えていることにも何か罪悪感。
だって、仏教徒にも仏陀にもなんか悪い。

来る前に、そういう時は「家や自分は仏教だけどね。自分の時代は・・・」とか答えるといいかも。
って言われたことがありました。
でも、インドでは宗教が違うだけで結婚なんて絶対しないぐらいに家の宗教が受け継がれるんです。
なのに「家は・・・」なんて言ったって、それはイコール私も仏教ですって意味になります。

ちゃんと会話をする時間があったり、相手と長い付き合いになるときは、ちゃんと説明しようと努力してみるのですが。
やっぱり、上手く伝わらないんですね、当たり前ですけど。
言葉の問題じゃないのは、おわかりですよね。
日本における宗教心の問題です。

神様はいると思います。
それに、神様を信じる気持ちも否定しません。むしろ肯定します。
神社にだっていくし、お寺にも行く。
でも自分に特定の宗教心があるわけではなく、先祖は仏教徒だったけど、だからって自分が仏教徒かと言われれば違うし、仏陀にお祈りしたりしない。
だからって、誰でも神様とか言うのでもなく、教会で十字架はきれない。
あー・・・どうして日本だけこんな変なことになったんだ!と頭痛くなるわけです。


「それは間違ってるわ」
と、今日は言われました。

たいていは、仏教徒だと言うと納得してくれ、そうでないと、ふーーんと言いながら変な顔をします。
日本にだって、昔は家にちゃんと仏壇があったし、今だって神道と仏教が混ざったままいろんな行事が執り行われています。

でも、個人の心の中の神様は一体誰ですか。
そして、個人の心に必ず絶対的な神様がいて、科学的なことを抜きにして疑いなく信じられる方がいますか。
もちろんそうである方もたくさんいますが、大部分は私のような日本人かと思います。

「神様はいないって考えてるってこと?!」
「いえ、そういうわけじゃないよ。神様はいると思う。」
「じゃ、誰?」
「・・・」

で、上のように間違ってる、という意見をいただくのですね。


この問題。嘘つくのも嫌で、いまだにとても苦手です。

世界に散らばるみなさん。
ところでどうやって対応してますか?

2010-04-04

"ありがとう” は言わないで


彼女には、何でも話せる。

まだここに赴任して1週間の頃、隣県に住むVarsha(ヴァルシャ)に出会った。
プロジェクトの一環で、ICM(国際助産師連盟)の会議に出させてもらったとき、一緒にハイデラバードに行ったうちの1人。
2つ年下の、同じくナース。












それ以来ずっと会いたいと思っていたけど、何せ隣県とは言えバスで5時間ぐらいのところなので日帰りはできず、なかなか行けないでいた。
それで今回。
3連休があったので、私はVarshaに会いにいくことにした。


インドの人は、たいてい「ありがとう」は口にしない。
たとえば、何かあげたとしても「どうも」ぐらいだったり。
たとえば、ごはんをごちそうしたり家に泊めたりという比較的大きなことでも、ドアを開けてあげるとか送ってもらうとか小さなことでも。
(もちろん、”お医者様”が根付いてるので、病院ではよく「どうもありがとうございます」という最敬の挨拶を聞くのだけれど。)

感謝の心、喜ぶ心を学んだ日本から来ると、どうも最初はしっくりこなかった。

なんで?普通ありがとうぐらい言うでしょ?!と、腹立たしく思ったり。
もしかして、嬉しくないのかな・・・と、残念に思ったり。

でもだんだんわかってきた。

単に自分が嬉しい気持ちになったり、あああげて良かった感謝してもらった、って思いたいのか。
ありがとうを求めるこの心が、実は見返りを求めている結果なのかもしれない、と。


男の人が井戸を一人で引きながら、その水を飲んでるところへ無言で男が井戸を引く役目をしだしたり。
飲んでた男の人も無言で飲み続ける。
終わると、無言で交代する。

バスに乗ってきた見知らぬ子どもを自分の膝にいきなり座らせたり。
子どもも、何食わぬ顔で座る。
その母も何食わぬ顔で、もう一人の子どもを膝に乗せて横に座る。

そんなもんじゃない。
もう、こっちがどうしてかどうしても聞きたくなるぐらいに優しいことがたくさんある。


おもてなしの心を誇るニッポン。
もちろん、日本も来客を粗末に扱ったりはしないし、精一杯もてなす心を持ってると思う。
でもインドは、そんなの当たり前の極地なのかもしれない。
ありがとうがなくっても、当たり前のようにそれをどこかで誰かに返してる。
ずーっとそんなサイクルなんじゃないか、って思った。


4人兄弟の長女。
ナースという仕事が大好きで、こっちが、「もうちょっと自分のことだけ考えて」と思うぐらい、いつも人のことばかり気にかけている優しいVarsha。

ずーっと語り合った後の、別れの今日。
「Varsha、本当にありがとう!!」というと、
「ありがとうなんて言わないで!友達でしょ。当たり前だよ。大好きな人に、楽しんでほしくてやってるだけ。感謝なんていいのよ。こちらこそ、来てくれて嬉しかった!」と。


いろんなことに気を使ってくれたVarshaとその家族。
日本人も顔負けのおもてなしだった。
それなのに、他人に気をつかわせない技は、インド人にしかできないと思った。

理由は多分、そこに見返りを求める心が全くないから。




















彼女の住む町の隣。
世界遺産の、カジュラホにて。