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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-10-30

言葉

インドは、16の主要言語があって、文字もガラっと変わるぐらい地域によって言葉が違います。
一応、英語とヒンディー語が主要公用語で、全部では2000を超える言語が存在するインド。

現代はまだまだイギリス統治時代の影響が残っており、英語の単語が頻繁に使用されている、または英語がたくさん話されています。

もちろん南北の人が話すときは、英語になるし、初対面や公式の場は英語だったりします。

中流以上になると、政府のヒンディー語学校ではなく、English medium と言って、私立のヒンディー語の授業以外全て英語で行われる学校へ進学します。

学校は英語、家はヒンディー語、読むのは英語の方が早い、頭ではどっちも考える・・・・などなど。

デリーやムンバイなど、メトロポリタンシティになると、英語を母語として育つ若者は増加中であり、テレビ番組でさえ、ヒンディー語と英語がごっちゃまぜのことがあります。

”I think こっちのほうがいいと思う。Isn't it? "
”私思うのよ・・・you are so 優しい!”

みたいな・・・ルー○柴さんもついていけない感じで。

で、本人達ももう全然わかってない。
途中で英語とヒンディー語が入れ替わり立ち替わりしていることに。

これ都会の話です。
ただ、全国的に、英語話せる=ステータス ですね。



さて。
私の任地、田舎では。

もちろん、English Medium も存在しますし、ある一定以上の教育を受けている人は、英語を操ります。
でもたいてい若者だし、貧困層が多いこの地域では多数派ではありません。

ただですね、日本人も外来語が多いように、たとえ田舎でも外来語はたくさん。
しかし、患者である下層の人や村の人はその簡単な外来語すら知らないので、そこはヒンディー語を知っていないといけません。

つまり何が言いたいのかというと。

そうやって、若者と話すときに、
例えば日本語でいうと、

スプーンを さじ と言う人はもうあまりいないし、
ティッシュを ちり紙 と言う人もいないし、
ネックレスを 首飾り と言ったり、
トイレを 厠 と言ったりしませんよね。

それは、名詞だけに限らず、

フレンドリーな人だ!とか、
ま、Anyway、それはEasyじゃないProblemだよね。とか、

都会よりやや大人しめのルーさんになってくるのです。


でも、村の人や患者さんは、トイレを厠と言ってあげないとわからなかったり、逆に彼女達が話している単語を知っていないといけない。
12月は師走と言わないと通じない、と言った具合です。
ちなみに、村の方々は方言がひどいので、そちらのリスニングはいまだ困難。



で、そうしているうちにたまに私はわけがわからなくなって、いまどきの女の子を相手に、たとえばの話、

「そのさじ、誰の?」

とか、言ってしまい

「あーははは!!”さじ”だって!! (爆笑)」

みたいな事態になってしまう・・・。


外国人が言うと、もっと面白いんでしょうね。


言葉は生きているので、変化し続けるんでしょう。
英語とヒンディー語と、方言と時間軸の間で、アラサーの頭はたまに疲弊してしまうのでした。

2010-10-25

つづく つづく

”胎児”って呼ばれている間、つまりお母さんのおなかの中にいる間の赤ちゃん、私達助産師をはじめとする産科の人達は、そのお腹を通じて赤ちゃんの心臓の音を聞かせてもらいます。
簡単にいうと、元気かどうか確かめるために。


大人の脈の倍ぐらいの速さで、

”ドクドクドクドクドクドクドクドク・・・・・”

って聞こえてきます。


日本ではもう機械が浸透しているので、電気で動くその機械をお腹にあてるとスピーカーから聞こえてくるんですね。
でも、ここにはまだそれがないからお腹に聴診器をあてるか、トラウベっていう小さなメガホンみたいなものをお腹にあててそこに耳をあてて直接聴きます。


仕事の中でもベスト5ぐらいに入るぐらい、この診察が好きです。
(あとは赤ちゃんの頭が見え隠れしてるときとか・・・マニアックな部類ですね)

聴いて、
”ヒトの中にヒトがいる!”

って思うと感動してアドレナリンがバーーーッて出て、顔がにやける。
助産師何年目ですか、って話ですが。
もちろん、診察して血の気が引くときもあるのがこの世界の影の部分ですが。


それで。
大人の手首に指をあてた時、自分の脈を自分で手首でとった時、いっつも思います。

”あの音を鳴らし始めてから、私の体の中でもずっと動いてるんやな、休まずに。あと何十年もずっと休まず動くんやろうか。死ぬそのときまで、動くのか。”

って。

そう思うと感慨深くって、じーんとします。

”まだ動いてる。あ、まだ動いてる。”

って、当たり前だけど脈をとり続けてみたり。


みんなの心臓もそうであるように。

また一人、お友達に子どもが生まれたって。
帰る頃には1歳ですが、もうすでに1年弱ドクドクいってこの世に出てきたから、一体何歳とするのがいいのかわからないけど(!)
朗報をいただき、ふと普段思っていることを思いだして書いてみました。


水と皮膚を通して聴こえてくるドクドク・・・は、自分が水の中にいるような錯覚に陥るし、目をつむるとそこは小さな宇宙です。

私達がこの世からいなくなっても、その子の心臓は動いていくし、その次の子もまた動いていって、この世からあの音がなくなることはないんだろうと思います。


人類が続く限り、ね。

2010-10-15

チーム出陣

今まで書いてきた通り、私が主に行ってるこの県病院。
人がほんっといない。
いえ、人が少ないのに比べて、患者が圧倒的に多すぎるともいうか。

1人のお産にだって、母子ともに何かあった時のことを考えると2人は居た方がいいし。
2人同時にお産になったって、1人じゃどうにもならないのに。
5人同時、いえベッドすら足りないのでお産後すぐ患者交代、いえ分娩室まで間に合わず外で、なんて状況なんです。
なのに、常々10人ぐらい控えてる産婦に加えて、帝王切開後の人、普通に産後の人は40人ぐらいいる。
その全てにあてがわれているのは、たった、たった1人のナース。

これはあんまりだと思うのですが、きっとこの1人のナースが全力を出せば?
いえ、私がそのナースなら死んでしまうと思います。
そうするとどうなるのか。
0か1ではなく、0か100なら0を選ぶということで、まったく仕事をしなくなってしまう。
病棟にいるか、分娩室に行くか・・・?
あの人もこの人もいて、あの人もこの人も話しかけてくるし、だいいちお産なんてほっときゃ勝手に生まれて、ほっときゃ勝手に死ぬんだよ。ああめんどくさい、チャイ飲も。ってなるんでしょう、多分。

そう。
管理やら、技術やらうんぬんの前に、それを伝えられる人を置いてくれ!
っていうのがみんなの、そして私の一番の願い。
結局研修にきているANMの2人がコキつかわれ、なんのための研修やら、ってな話なのですから。
ついでに、自宅分娩を超える劣悪な環境ときたら、なんのための施設分娩なんだってな話ですから。


院長が変わって半年ほど。
常々ずっと温めてきた、そして諦めてきた、しかし私は懲りずにうるさかったこの問題に乗り出す姿勢を見せ始めた私の同僚達。
女医さん2人、看護師1人と作戦を練り、院長のもとに直談判に行きました。
リーダーの女医さんが代表で上手にお話。
ついに、ついに、ついについに!!!
分娩室だけの配属の看護師を置いてもらえることになりました!!

インドだから、それがすぐ明日ってわけにはいかないことは重々承知です。
でも、今回はきっと嘘には終わらないということがわかったこと、そしてなによりそんな風に

『自分達の働く環境のことを、自分達で考えて、自分達から動きたいから一緒に作戦を立てようと言いだしてくれたこと』

それがなにより嬉しかったのです。

こういうのは、当たり前のことだけど、でも1人じゃできない。
何人か同じような考えを持って、そしてタイミングをみて一気に動かないといけない。
そしてその同じような考えを持つまでに果てしない時間がかかったり、タイミングがことごとく悪いのが途上国。
でも、それが一歩踏み出せたなら、きっとヨソモノがいなくってもゆっくりその後も歩んでいけるのだと思います。


必要だと自分達が感じること。
進まないとと、自分達が心から思うこと。

禁煙や禁酒や、糖尿病コントロールや、ダイエットや、失恋や、挫折や、失職や。
そういうのと一緒で、おかれた環境で自覚症状がない場合、ある場合、どちらにしてもその症状を次のステップに自分が持っていくのは大変なことだと思います。

でも、作戦を練っていたときの真剣だけど、力を寄せ合って話す姿勢と表情に、うまくいくといいなという希望がもてました。

小さなことだけど、一歩一歩です。

2010-10-09

ゴールはなし

「サンギーーターー!! あ゛ぁ゛ーーーー!!おい!起きろよー!ぅわーーーーー」
泣き崩れた男の人。わーーーーーーーわーーーーーーと叫んでいました。
まるでドラマのように。

すやすやと眠る小さな赤ちゃんの横に、意識不明、こん睡状態のお母さんが、朝の分娩室に。



妊娠とは、貧血傾向になりやすく、分娩は出血を伴います。
一説には男性がそれぐらいの出血をしたら死んでしまうかもしれないぐらいの出血をしても女性は生き抜くとか。

マラリア、デング熱にかかっていた彼女。
どちらの病気も貧血を助長し、出血をとめる力も失います。

来たときには、鼻、耳、口からも出血。
口角からは泡をふき、瞳孔は散大。
意識はもちろんなく、呼吸はいびきのよう。
なけなしの輸血と、限界のある鼻からの酸素投与。
その酸素ボンベだってちゃんと動いているのやらどうやら。

何もしようがないこの病院にいても仕方がない。
車の工面、人の工面、医師が来るまで待っての診察、そんなこんなで朝方5時にきた彼女が、大学病院に向け出発しのは朝の10時を過ぎていました。

ここから、あぜ道を3時間半かかるというのに。
酸素もなく、向かいます。
誰もが信じて祈っていたのだろうけど、でもこの後回復することはないというのに。


妊婦健診を受けようと思わなかったかもしれない、受けていたかもしれない、そんなのあるって知らなかったかも。
健診したって、何かあって搬送されてくるのに何時間もかかる。
1台しかない救急車が出払っていたら、4輪なんて持ってない、バイクすら持ってない人は誰に頼む?
マラリアやデングにかかろうとしてるわけじゃないけど、蚊はたくさんいる。
扇風機がないところで、戸をあけないと暑い。
網戸をはるようなお金がないとしたら。
水道がなければ、井戸から汲んだ水を張って貯めておくしかない。
蚊が増殖しようが、蚊取り線香をいちいち24時間つけておく知識もお金もないかも。
虫よけを一本買うお金で、きっとじゃがいも1カ月分は買える。
蚊帳で寝る贅沢。
一人に一つベッドがある贅沢。
自分の家だけよくたって、道路はでこぼこ、水はたまる。
そして病気になったところで、受診行動をとれるのか。
お産とそういうことが結びつくってことをどこで知ればいいのか。
搬送されてきたって、何もない。
人もない、モノもない。
そこからさらに行くまちに、誰が、どうやってついていき、誰がお金を出し、誰が道中見守れる?
助かったところで、大学病院に持続的なお金、払えるの?


何が原因で、彼女は死ぬの?


医療の不備?貧困?道路の不備?教育?慣習?
どれか一つ、いや全部解決すればそこが世界平和のゴールですか?
そういうこと、現地に来る前に、”国際協力ってなんだろう”って、よくそういう仲間でセミナー開いたり語り合ったりしたな、って思いだしました。

そう、実際、医療ができることなんて、ほんの一握り。
でも医療 ”も” ないとダメなんです。


なぜ事が思うように運ぶ場所や国は、なぜ事が思うように運ぶのか?
気付かないところで、気にもとめないところがちゃんと整っているからだと思います。

”マラリアやデングは、蚊で感染しちゃうんだよ”ってもし日本の町に書いてあったら、日本人なら誰でも読める。
たとえば、そういうこと。



決して取り乱すようなことを、なかなかしないインド人。
そんな中でも男の人が叫び号泣する姿みているのは、とても直視できませんでした。


私と同い年、28歳のお母さんでした。
初めての子を横に。

2010-10-06

立ち止まった時、感じることは

疲れ切った顔を横にむけて、そっとキスをする。
”はじめまして” の挨拶に、涙を流しながら。


子どもを必死で守ろうとする娘をそっと抱く、母の母。
「仕方ないのよ」と泣きながら。


悲鳴のような声を重ねて、すでに亡くなっている子を一生懸命産んだ彼女。
もう皮膚がぐちゃぐちゃになってしまっているその子をなでながら、その何倍もの大きな声で、ずっと叫び続けてた。
悲鳴のように。



溢れるほど生まれていって、溢れるほど死んでいく。
その字の通り、本当に、溢れるように。

溢れるように。



忘れがちだけど、みんなわが子を心から愛してます。


無条件に愛してくれるお母さんに感謝して。
あなたが生まれ、あなたが産んでるその裏側では本当にたくさんの赤ちゃんが命を全うできていないことを知り、その命の尊さに感謝して。
たくさんの不満を置かれた環境にぶつけながら、それでもまだまだずっとマシだと感謝して。
私達、世界の頂点のような生活をしていることに感謝して。

そうしてほしいな、と思います。


いつも笑顔と涙の中にいる仕事。


自分もたくさん喜び、たくさん泣きますが。
でも、いい仕事です。


ああ、いい仕事だな、と感じます。