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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-12-26

あああああ

「あ」っと言う間に、今年が終わりそうです。
このままいくと、もう記事を書く時間もないので、これで今年は最後になってしまうと思います。
みなさまいかがお過ごしですか。


さて何がそんなに忙しかった、いえ忙しいのかと言いますと。
2カ月程前から、ここ「ひかり」で書いたナースに私はしっぽを振りつつ、本格的に県病院の産科の大革命にとりかかりました。

彼女達にまず優先的に助産の研修を受けさせてくれた配属先に感謝し、その研修(いつも病院で行っているもの)につきっきりで(いつもつきっきりですが)、指導に精を込めました。

彼女達には、
「このトレーニングが終わったら、一緒に大変化を起こそうね」と洗脳し、
いつも支えてくれていたけど協力者と時間があまりに少なかった女医さんには、
「スタート切るときは、あなたの協力なしでは無理なの。お願い力を貸してほしい」と懇願し、
その傍ら、血圧計の一つもなく分娩台だけがボーンと置かれた分娩室を、まずは“分娩室”とするために、今一度ひとりで物品の総チェック。
ずっと棚のカギを握って離さなかった産科のボスも、分娩室専用のナースの配属とくればお手上げで、鍵はもう私達のものに!

今あるものは何で、何がないか。
一度請求すればそれで済むものと、毎月請求しなければならない消耗品は何か。
毎月の消耗品は1カ月あたりのお産につき、どの程度の数があれば不足せずに済むか。
物品リスト作りから。
(これ、日本で嫌々数年やってた物品係ってやつが、本当に役に立ちました。あの時の環境に感謝)
ナースと一緒に何度も修正をかけながら、重箱の隅をつつくようにモレのないようリスト作り。


さて、どの物品はどの部署の誰に頼むのか。
どの薬品は政府からの供給があって、どの薬品は患者さんに店から買ってきてもらうものなのか。
そう広くはない院内の、今まで行ったこともない部署に、新参で肩書きがない者が行っても一筋縄ではいかないインドをよく知っているので、初回は女医さんを引き連れて、そしてその後は自分一人でも、ナースを連れてでも何度も請求しに行けるように顔ツーツーローラー作戦に出たわけです。


と、まあここらへんまで来たときに、なんと政府の保健計画の評価のために、各州から1県選んで視察するというイベントが浮上。
そしてなんとこのMP州ではダモー県が選ばれたのです。
さて。
こんなチャンスがあれば、お金とヒトが動くのはもう簡単なのが権力大国途上国。
サーフボードも買って、スーツも着こみ、早起きして、準備体操もしていた私達は、大きなウェーブに乗ることができたのです。


なぜ今までできなかった?と首をかしげるぐらいに一気にモノが揃いました。
もちろん、ああでもないこうでもない、いやアレも必要、やっぱりこれはいらないとか言いつつ。
インドはなんでも1度では無理なので、何回も”足を運んで”、「こないだ言ってた○○まだ届かない?」と催促に苦労。
しつこい方が勝てる国。催促勝ちしながら一つずつゲットです。


お産を取り扱う場所なので、2・3日閉めて一気に片付けてキレイにしてまた再開ってことができないんですね。
新しい物品を置きながら、片づけながら、モノの配置を決めながら、分娩ベッドを入れ替えながらも数時間置きにはお産が横で起こっています。
だから、とっても難しい。
とりあえず新しいものは一気に変えて、一気にスタートを切らないとだめだったので大変でした。

モノがそろったら、それを誰の責任で管理するか、誰に何をしてもらうかってことが次の課題になります。
消毒液の入れ替えや滅菌は、助手さんだけど、滅菌後の分娩機材をセットするのはナースにしよう。とか。

でも、そんな姿を見ていてくれてか見ていなくてか、まあそんなことはどうかよくわかりませんが、助手さんやスイーパー(お掃除の人)が、本当に協力してくれました。
10数年っていう勤務歴のみんなが、何か聞いてくれたり、一緒に働いてくれたことはとっても嬉しいことの一つでした。
実際に、全てパック済みの使い捨てだった日本の臨床とは違い、ガーゼは小さくきって、コットンでパットも作って、滅菌も自分達でやって、っていうそういう日本も昔やってたことは、彼女達の方がとてもよく知ってます。
そういうわからないことは、素直に聞いて、そうやってお互いの得意分野を合わせながら損得勘定なく一つのことをよくしていこうという気持ちが起こったのは今回の一番の収穫だったんだと思います。


私は、この仕事だけしてればいいかもしれないけど、ナースもスイーパー達も、自分達の本来の業務をしながら、この仕事をしていました。
だから、一番頑張ってくれているナースのシャンティ(名前)なんかは、
「なんか私達だけ頑張っててフラストレーションたまるわ。せっかく決まり事を決めても、あっちやこっちやらで全然違うことしてるしさー。もう!」
って、なったときもありました。
でもそういうときこそ、私の仕事だと思いました。
孤独感から救うこと。
必ずいつも味方だということを示すこと。
私もそうやって女医さんに支えられていたから、ずっと気持ちを持ち続けられたし。
「私だって、シャンティがいないとできないんだよ?」って。
そうやって、ジャレビ(お菓子の一種)を奢ったりして、また次の日に倉庫へ行ったり。

こんなことに辿りつくまでに1年かかったのか?
って、ふと頭をよぎりましたが、初期では絶対できなかったこと。
だって、人間関係があって、縦関係をちゃんと把握して、私がやっても無視されない私の存在を認めてもらい始めて、そして言葉ができる。
だからやっぱり、今じゃないとできなかったと思います。

そんなこんなで、お金はいまならいくらでも出してもらえる!って思った私達は、ペンキまで塗り替えさせて、見た目はなんとも見違えるほどの分娩室にしあげました。
何かの感覚に似てるな、って思ったら、文化祭の準備でした。
ああいう共同作業の達成感・・・・

さて、これからです。
始まったばかり。
”維持”が一番難しいんだから。

目に見えるところは変わりました。
目に見えない、看護の仕方やケア、モチベーションや、コミュニケーション。
そういうものへの働きかけが、もっとも重要なところです。

それに加えて、今フィールド(郊外)で働く看護職対象にニュースレターを作成中。
これについてはまた今度。


ゼロだったものを1にするのが一番の苦労。
1さえくれば10になる、って尊敬する専門家の方が言ってました。

私たちは、やっと1になったとこ。

それでも、something is better than nothing ですね。


「やってだめなら、また変えればいい。」
一見、無責任にも聞こえますが、何にもやらなかった人よりずっといいですよ。
たった1部屋変えるだけでも大変なんだから、大阪府を変えようって頑張ってくれてる橋下さんには頭が下がります。


そんな、こともあろうことか知事に共感している、インドの片隅の一助産師です。

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1年まるまるインド2010年が終わりを迎えます。
いつも読んで応援してくださってるみなさん、ありがとうございます。
みなさん、よいお年をお迎えくださいね。

次の更新は年内が無理だったら、新年とさせていただきます。