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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-02-26

あたたかさ


私のインドへの派遣が決まる前、2人で旅行に行ったインドで体を壊し、その後オプショナル・ダイエットツアーと称して、病院に1週間入院し体重が一時的に激減した、母。

私が、ちょうど2年前。
「インドに決まった」と言うと、

「インドだけはやめなさい。インドは確かに面白かったけど、あんな思いも初めてやった国。インドじゃないところにしてください、ってJ○○Aに言いなさい。」って言ってました。

「そんなん言ったら、もう行けんくなる!行ったことないアフリカ諸国の現状も、知ってたらそう答えるやろ!」
と、心配してくれている母に電話でケンカをしたのが懐かしく、そんなこともありながら私は今インドの地を踏んでいます。


そんな母と、そのとき一緒に旅行しオプショナル看病をした父が、再びインドへ来ることになるとは神の導きとは恐ろしいもので、2週間前、北インドで最も過しやすい短い春に、私に会いにはるばるやってきてくれました。

何年ぶりかの関西への豪雪にドンピシャで、飛行機が遅れ、結局18時間ぐらいかけて首都デリーへやってきました。
3年前のギラギラした感じの途上国さ満点の汚い空港ではなく、関空のようにピカピカの新ターミナルに出てきたときにはすでに夜中の2時を過ぎていました。
そこからさらに一緒に列車で12時間南下。
草木も眠る丑三つ時、小さな町に降り立ちました。



「カナの両親がくる!」
ってんで、
他人に”ごちそうしてこそおもてなし”のインド人達は、家に呼んでくれる、呼んでくれるわで、何件もはしごし、そのたびに「インドで、お腹を下し、体重減少」の夢は壊れ、両親とも毎日お腹がパンパンになっていました。

なんとか会わせたい人には弾丸計画で会ってもらうことができ、活動場所も見学してもらうことができました。

村奥の、有名らしいジャイナ教のお寺に連れて行ってもらったときは、「ジャパン?!ファーストジャパニーズだ。」ということで、お寺中の人が寄ってきて、なぜかどんどん儀式が進んだり。













ヒンディ語と日本語の会話で、私は通訳にノドと頭が壊れそうだったけど、両親にとっても優しくしてくれ、ゴハンをたくさん作ってくれたり、プレゼントをくれたり、いろんなところに連れまわしてくれたり。
その1歩も2歩も先を読んだ、強引すぎるぐらいの気配りに、両親ともとても喜んでいました。















仲良し女医さんのお兄さんの言葉が印象的でした。


「その棚にある小さな像を見て。
その中には人々がいろんな姿で表されているでしょ?
人生にはね、喜びや悲しみ、怒りや苦しみ、いろんな体験や思いがあるけれど、一番上の3人のように、最後には周りの人と手をつないで素晴らしい人生だったってなるように、そういう風にできているものだと信じてるんだよ。

それ、お父さんへのプレゼント」


”なんて粋なプレゼントの仕方だ!”と思ったのですが、

ナイショで可愛いバッグを用意してもらっていた母も、もう良くしてもらいすぎて訳が分からなくなっていた父も、
「なんて言ったら良いのよら、本当にありがとうございます」と言ったとき。


そのお兄さんは、感謝しつづける私達に諭すように言いました。



「良く聞いて、カナ。そして訳してほしい。
両親という存在は、世の中で一番、一番大切なものなんだ。
神様よりも、何よりも。
カナと私達が出会ったことは素晴らしい。そしてそのカナを産みだしてくれた両親は、私達にとっても大切な存在だ。
それはインドでは極当たり前のこと。
だから、誰かの両親に敬意を払ったり、その人達を大切に思うってことは、とても自然で当たり前のことなんだよ」

って。



これからきっと大きく変わりゆくインドだろうけど、日本のように、豊かさを代償に本当に大切なものを失わないでいてほしい。

大家族であるしがらみや、自由さに欠ける環境もあるだろうけど、目の前の私利私欲や名誉や財産に、大事な気持ちを失ってしまわない国でいてほしい。


”インドでは人を信じちゃいけない!”
なんて、旅行記や体験記によく書かれていますが。

どこぞの国やらわからない国からやってきた誰かに、ここまで優しくしてくれるのも、またインド人。

「だましている人がいる横で、こうやってそれを補うように生きている人がたくさんいるような気がする」って母親が言っていました。

どちらもリアルなインドですが、情報は自分が取り、分析するものであり、情報に足を取られたり踊らされたりするものであってはならないと思っています。いつも。



同じ部屋で3人で1週間も寝ることなんて、弟が生まれるまで以来じゃないか、と思うほど久しぶりだったけど、とっても楽しかった。
私も敬意を払える、素直な子でいなければ、とインドに学んだ1週間でした。



いつも、可愛い子に旅をさせてくれる、そして健康で過してくれている両親に感謝しています。















2011-02-06

目の前を生きる

知り合いの家でくつろいでた時、何度か顔は合わせている食器洗い係のおばあちゃんと話す機会がありました。



おばあちゃん:「どこの村からきたの?」

私:「ニホンって言って、遠いところ。違う国だよ。」

おばあちゃん:「ダモーのどの辺?」

私:「ええっと・・・・。ダモーじゃないよ?ダモーの外。」

おばあちゃん:「ボパール?(ここから電車で7時間の州都)」

私:「いや、ボパールよりずっと遠いの。インドじゃないんだよ? インドの外!違う国なの。」



それを横で聞いていた、おばあちゃんの雇い主であるその知り合いが言いました。



「彼女はね、インドに住んでるってこと、知らないんだよ。
インドという存在を知らないし、インドが国だっていうことも、”国”っていう概念も知らないの。
ダモーから出たことなくって、彼女の生活は生まれてからずっとダモーの中で、目の前の食器を洗って、目の前の子どもを養って、食べて生きてきてるの。
自分がインド人だとか、インドという国があるとか、インド以外にどんな国があるとか、そんなこときっと関係ないというか、想像できないんだろうね。」


”生きる” のに、必要なことは、人それぞれなんだろうけど、”生きている”ことにはみんな変わりないんだろうなと思います。



私達の話を、くしゃーっとした笑顔で聞きながらうなずき、

「さ、洗ってきますね」と、サリ―をまくしあげた細すぎる体で家の奥に入っていきました。

2011-02-01

醍醐味

よくあるのですが、朝、迎えにくるリキシャーが来ない。
サボってるのか、ボケてるのか。

なので、そこらへんを走ってるリキシャーを捕まえて、病院まで行きました。

途中で、

「おっきい病院まで」

って、言う女性が私の乗っているリキシャーをとめました。

リキシャーはそこらへんにいるし、そんなに相乗りになる機会はないのですが、どうやらずっと待ってたらしいその女性。
私もその ”おっきい病院” まで行くのだから、別に全然問題なし。

小さな赤ちゃんを抱いて、小さな男の子の手を引いた彼女がひょいと乗り込みながら私の顔をみて、

「あ!」ってにこやかに笑いました。


多分、この女性の身なりからして、”患者さんか何かで私を見たことあるんだろうなー”ぐらいに思って私も会釈。

そしたら、
「3か月になったの。あなたにとりあげてもらったんだよ。覚えてる?」って。


日々分娩室がごった返すほど、わんこ式になるほど、生まれているのでよっぽどでない限り覚えていないし、研修生や学生に教えながら手を添える役なので、直接とりあげることは緊急時以外はほぼないし、こちらは全く覚えていません。

でも、この言葉とあの笑顔と、その後の元気な赤ちゃんが、私、助産師にとっては一番の喜び。

こっちが覚えてなくっても、そういう風に声をかけてくれるっていうのは、そのときのお互いの関係への働きかけが間違ってなかったってことなんだなって思って嬉しかったです。


「予防接種しにいくの。2カ月目にって言われてたけど忙しくて3ヶ月目になっちゃった。怒られるかな?」
「何時まで病院いるの?何してるの?教えてるの?」

とかいろいろ誰かと話ながら通勤するのも楽しいもんでした。

母に抱かれた女の子のやわらかい足が、狭いリキシャーで、ずっと私の太ももにひっついていて、その温かさは胸がきゅーんっとなるほど可愛かったです。


リキシャーを降りて、中へ。

分娩室の前を初め、いつも病院の廊下は患者やその家族が床に座り込んでゴハン食べてたり、チャイ作ってたり(!)、もうごった返していて、歩くのに人を避けないといけないような病院です。
そこを歩いていると、私を見てニターーーっと笑うおばあちゃん一人。

”外人珍しいのかなー”って思ってると、その横に座る若い女の子が、「待ってディディ!」と私に向かって言いました。

その顔を見て納得。

昨日血圧が高く、要注意の中初産で赤ちゃんを産んだお母さんでした。
学生と一緒にお産をとったんだけど、どうやら覚えていてくれたらしい。

「ディディにね、会いたいって思ってた!昨日はありがとう」

って。
3kg越えのしっかりした女の子は、可愛い服を着せてもらって日光浴してました。
彼女の笑顔を前に、ぷくぷくのほっぺたをツンツンってしながら、

”また一人の人生が始まったんだなあ”って思って、

なんとも言えない至福を味わいました。



この仕事の、素敵なところ。