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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-08-18

同期と2年

疲れているけど、今日の気持ちを書いておきたい。
だから、10分だけ寝るのを遅らせます。

今日、首都のデリーで隊員総会と言って、インド中の隊員が集まって(といっても10人ですが)、それぞれの活動の共有をする会議がありました。

1人1人、どんな活動をしているか、そして私を含む同期の2人はどんな活動を”してきた”か、を発表しました。

いろんなことで手がいっぱいだったので、おとといダモーから夜行が出発したあと、電車でやっとPCを開きました。

さて、作成するスライドに何から書こうかと思い、まず第一枚目に「帰国報告」と打ち込みました。
そのパソコンの「帰国報告」という文字を見たときに、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、目頭が熱くなりました。


2年という歳月はとても長く、思い起こせば起こすほどたくさんの情景や感情が浮かび、入り混じった感情が心をぎゅっとしたんだと思います。
そしてこうやってデリー行きの電車に乗るのもこれが最後だと思うと、窓から見える煌々と照る月と真っ暗な草原がなんともセンチメンタルな気分にさせてくれました。


「インドってどんな国なのか、わからないね!」っていう頃から一緒に歩んできました。

テンションの低い日も楽しい日も、腹の立つことも面白い話もいろんなことを共有して、気付いたらインドのこの生活にはなくてはならない存在で、インドのことを誰よりも同じテンポで語れる仲間になっていたような気がします。
そんな、ずっと同じように歩んできた同期の2人の発表を聞いて、話す空気から出てくる時間の濃密さと仕事の充実具合を思い、そんな姿が頼もしくって。
同期であることを誇りに思い、嬉しかったです。

2人なしには語れない、って言ってくれたまっきーにおもわず涙。
きっと何年たってもインドの空気と一緒にこの感覚を思い出すだろうって。

人との出会いは不思議ですね。
人の出会いを大切にすること、人とは何か、インドでたくさん教えてもらった気がします。


望んでやって来たとはいえ、都会であろうと田舎であろうと仕事は違えど、外国で生活、ましてやインドのような途上国で生活するっていうのは大変なことでした。

普段は何100キロも離れたところに住む3人ですが、それぞれの形でそれぞれの思いを持ちながら、頑張れたことが素直にうれしい。

ありがとう。



あと1カ月、一緒に空港を出る日までがんばりたいと思います。

2011-08-14

見られない

お祭り続きのインドだと申しました。

やること多すぎて(主にPC、卓上の仕事)、ひきこもりになりたい気持ちとは裏腹に、ゴハンに呼ばれる・・・。
で、そのたびに ”こんな生活もあと数日。二度と来ない時間を考えて、仕事は後回しだ” ってやってるうちにいつも夜中に起きることになっています。
ただいま1時。

今日はラクシャ・バンダンだったため、「家に泊まっていけ」と言われましたが、それだけは勘弁ってことで9月に泊まる約束をして帰ってきました。

で、今日その家まで歩いている途中でふと思ったこと。

“見られない”


いや、正確には ”見られているようにはあまり感じない” ってことです。



っていうのも、2年前私がここに来た頃。
外国人もとより、他の州のインド人だって来ないような何の特徴も観光もない貧しいこの町の人達は、それはそれは時間が止まったかのように棒立ちになり、走る車をとめて、会話をとめて、ふりかえって私を凝視したものでした。

あっけにとられているとういか、鳩が豆鉄砲。

とにかく、肌が白くて目が小さいこんな人種を見たことないので、珍しくって仕方がない。
外文化が全くといっていいほど入っておらず、一番近い都会まで300kmあり、識字率50%のこの町。
ニホンジンなんて想像つかないから、みんな「ネパール人が来た」ってヒソヒソしてました。
(外人=ネパール人)
そもそもこの私の住むマディヤプラディシュ州は、日本の0.8倍ぐらいの面積があるにも関わらず、在日本人は知ってる限りでは片手ですむぐらいです。
企業もない内陸地、世界中どこにでもいる日本人でこの数。
その、一番近い都会(というか州都)にだって、たったの1人のはずです。


それはそれは、嫌でした。
だって、何してもジっとあのデカ目で凝視されているし、見られることのストレスって今まで感じたことがないもので。
1年ぐらいは本当に嫌だった。

「チンキー(中国人)!」関連は、首都デリーや都会より少ないと思います。
たまーにあるけど、ほんとたまに。
田舎の人達は、そんないじわるあんまりしないです。
侮辱とかより、ビックリして見るって感じで。


てか、もうみんな知ってるから。

今日は歩いてて、下校中の子どもが、
「ジャパーーーーン」って言ってました。
すごいな。

大人は、2年も経つと特に興味ナシ。



あと1カ月だから、”なんでもいいわ” って気になって、とっても楽なキモチです。

もしくは、肌が黒くなりすぎたのかな・・・。
それはないと信じたい。

2011-08-12

普通の1日

普通の日。

9時頃に、迎えのリキシャーがきて、病院へ行きました。
昨日で1クールの研修が終わってANMの4人は村に帰り、本当なら今日からまた始まるところですが、これからしばらくインドではお祭りや独立記念日続き。
いそがしいので(お祭りで)、研修は一時ストップです。

特に村にでかけようっていう気もなかったし、なので、精神的にらく~に出勤。
あーうん呼吸の分娩室ナースのバニーシャとお喋りしながら、さらっと3時間で5件お産をとる。

至って安産だったので、教える研修生もいなくて暇な私はルンルンでお産をとりました。
「やっぱ2人ぐらい配置されてるとスムーズに仕事できるよね」って言いながら。
2人でてきぱきお仕事です。


2時には切り上げて、午後からのクラスもないし帰宅。
昼ごはんは自炊だなーと思いながら(いつも研修生とおいしいカレーを食べる)、帰る支度をしていると、仲良しのドクターが「帰ろー」と連れ退勤のお誘いに来ました。
ついでに、家によってけと言われて、お腹が空いていた私は喜んで家に寄りました。
完全にゴハン目的です。


そのあと、ドクターのお父さんがボパールから遊びに来るっていうんで、駅まで一緒にお迎えに行きました。

なんてこと。

インド全土共通の明日のお祭り ”ラクシャ・バンダン” のせいか、帰省する人などで町も駅もごった返し。
予約のいらないローカル電車が駅についた時は、年末の東京駅よりひどかった・・・。

降りる人が降りれなくって、乗る人が乗れなくって、15分ぐらい電車が動かない。
こんな過疎地でプラットフォームの床もみえないぐらいの人で、お父さんをみつけることもできず。
そのまま電車はうごきはじめます。(インドの電車はドアあきっぱで走ること多し)

みつかったときには、車両の入り口で乗る人に押されているお父さん!
電車出ちゃうから(ていうかもうノロノロ走ってる)、必死で乗りたい人と、必死で降りたい人が怒鳴り合い。
必死でひっぱって助け出した時には、お父さんもドクターも涙目でした・・・。
わたしもなんだかわからず涙目。


「ねえ、インドさ、もうちょっと人口削減がんばろうよ」って私が言ったら。


「だから毎日避妊手術頑張ってるよねー私達・・・」ってドクターも笑って言ってました。


リキシャーでだらだら帰るんですが、道の真ん中で大勢の牛が全然どいてくれなくって、わざわざリキシャーから降りて牛を手でおいやる運転手。


ちなみにこないだ。
ホントに刺激的な国!って言って友達がインドの写真を送ってくれた。
どっからどうみてもただの日常で、何の刺激も受けなかった私。
やっぱりインドに住んでるんだな、って再確認しました。
何も感じない・・・。
日本に社会復帰できるかな。



今日はカメラ持ってなかったので、これはネットから拝借した参考資料です。
さすがに、電車のうえには乗るほど人はいませんが、ダモーには・・・。でも左の写真ぐらいの混雑でした。


















ダモーの牛さん。



2011-08-03

今日のひとこと

今日、還暦のナースに言われました。

「カナはもう友達なんかじゃない、敵なんだ!」

小指を立てて。

人差し指と中指をクロスすると、友達。
小指を立てると、敵です。(トイレ行ってくるよの意味もアリ)


なんかやったかな、と思い、冷静に聞いてみる。

「なんで?」


「だって! 日本に帰っちゃうじゃない! 
友達でいると辛くてたまんないから、もう今日から敵になろう!そしたら辛くない!もう話さない」って。



「最初敵だった人と友達になれることはあっても、
最初に友達になった人は、敵にすることはできないよ。」


って言ったら、インド人に大絶賛されました。
拍手喝采。


ポエムとか、格言とか、ロマンチックとか、好きだなーそういうの。


私の、降ってわいた今日のひとことです。



横で聞いてた人が小さな声で、


「別れのことは考えないことにしてるの。考えるだけで辛い」


って言ってるの聞いて、涙でそうでしたよーーー。やばい。


あと50日。

2011-08-01

汚い

少し前に、某途上国から事務所のスタッフ(日本人)がダモーまで視察で来たとき、各国の途上国で仕事をされてきたというその人、一言いいました。

「これは・・・・これはひどいわ。」って。

「いままでみたどこよりもひどいね。ネパールの奥地よりね。・・・うう、これはひどい」って。

難民支援してた友達もね、言ってましたね。
「うーん、ひどいね」と。


なんでしょうね、汚いのです、病院もなにもかも。
そりゃ、技術とか態度とかも申し分ないぐらいヒドイんだけど、とにかく病院なのに衛生が悪すぎる。
子猫大のネズミがいるし。


アフリカの診療所も、ラオスの診療所も、タイの難民病院も、イエメンの病院も、ここよりずーーーとずーーーーとキレイだったし、街中ゴミだらけってことは少なくともなかったな。


私の独断ではなく、これ、絶対カースト制度が骨の髄まで染み渡っているせいだと思います。


どこの国でも、環境整備はナースの基本中の基本です。
というか、ゴミをそこに捨てても、捨てなくても、結局困るのは自分であり、結局片付けるのは自分っていう構造が家でも仕事でもそうだと思うんですが。
インドの場合、極端な話(でもないか、日常的に)、オフィスのデスクまわりをゴミだらけにしようと、家の中にゴミを捨てようと、もちろん病院の床をゴミだらけにしようと、それを片付けるのはシュードラカーストのゴミ掃除の人だけです。
その片づける人のことを思って、じゃあゴミ箱に捨てようなんて思いはこれっぽっちもない。
だって、自分より下のカーストだよ?ってな話です。
どんなに汚しても、少し後にはキレイになってる。
そんなことが幼いときから続いている社会。
他の国での在住経験があるような、博識あるインド人ならまた違うかもしれませんが。
少なくとも伝統的文化で暮らすインド人圏は絶対にこうなってる。


もしも、間違って、ゴミが床に落ちてしまっても?
床に落ちたものを拾い上げるなんて、地位のある人がやってしまってはいけません。
「やらない」ともいうし、地位バランスがぐちゃぐちゃになってインド人同士が混乱・対応できなくなるので「やってはいけない」のです。

全インドがそうなってる。


そんな国で、小さなときから育っていて、ゴミ箱にゴミを捨てようというのはとっても難しいんだろうと思います。
日本人の私には苦しい話です。


他の国で、日本人である自分がやることでその背中を見せる活動をしよう、とかいう話ありますが。
そんなの本当に効き目なし。
そんなことしても、完全なる階級社会には通用しないってわかりました。


些細なことですが。

それでも、病院でゴミをとりあえずゴミ箱に捨ててくれる時が多くなってきたのは、嬉しいことです。

拾いはしませんがね・・・。