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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-01-26

学級新聞を思いだして

1年半経って、いまさら任地の事情紹介。


私の住んでるダモーという県は、大阪府と和歌山県を合わせたぐらいの大きさの県で、そこに100万ぐらいの人が集中して住んでます。
中心部の2kmぐらい以外はほぼ野っぱらで何もない、一本道。
イメージでは、日本の田舎の単線の駅規模の町に、新宿(いいすぎかな)ぐらいの混み合いになっている感じ。駅の周辺以外は、ザ―っとひろがる草原です。
日本だと、その規模の町は閑散としていることが多いので、そこはやっぱり12億の国ですね。


その県の政府の病院の中で、一番大きな病院が平屋の建物で一つだけドーンとあり、その病院の近くに住んでます。
あとの野っぱらの部分は、7つの「医者がいる」病院と、「医者のいない」診療所が150箇所ぐらいあるだけです。
その7つのうち3つは「帝王切開ができる」病院とされていますが、実際は”産科医”と“麻酔科医”がいないとできない事なので、実質中心の県病院1つが担っています。
その県病院にも、24時間電気はなく、常駐の麻酔科医はいません。
もちろん検査器具や呼吸器どころか、酸素の配管なんてないので、重症患者は亡くなるか遠く3時間の大学病院に送るかになります。

ただ、そこでの分娩件数は、月400~600件、年間4000~5000件です。
で、正常分娩を取り扱うナースは一勤務帯に一人だけ
月に400~600というのは、日本でいうと中核病院の年間分娩件数で、最先端の母子医療センターでも、年間に1200件程度です。
私の働いていた、東京ど真ん中、新宿の16階建て総合病院でさえ、年間500~600件。
日中の産科に助産師は4~6人いたものですが、8時間座る時間もないこともあったものです。

そして妊娠・出産を理由に亡くなるお母さん・赤ちゃんの数は、インドの平均よりずっと高く、それはだいたい日本の30~50倍程度、世界で上位10位に入る西アフリカ諸国と同じぐらいの指標です。

状況だけ聞き、数値を見ると過酷ですね。
そう、現実も過酷です。
でもそんなこと言って諦めていても仕方ないし、みんなここで生きていくしか方法がないし、「生きていくしか」なんて誰も別に思っていない。
楽しく暮らしているのです。
だから、できる人数で、あるものを使って、できることを最低限する。っていうのが、目標。

村で働く看護師達は、もちろん薬の処方からお産の緊急時の対応から、何から何まで、日本の助産師以上医師同様の能力を求められ、適切な判断で搬送しなければなりません。
それができれば問題ないのですが、それがいろんな理由が複雑に絡み合ってなかなかできないので、なかなか難しい問題なのです。

ちなみに医師がいれば安心っていうのも、日本とは違うところですね。
だって、そのおばさん医師が昔の間違った方法で治療しちゃってああ大変、ってことがとてもよくあるから。
権力を握るものが間違っている時ほど、恐ろしいものはありませんね。


長くなりましたが、そう。
そんな野っぱらの中で、1~2人ずつバラバラで24時間働くナース達が、孤独感に襲われないよう、そして互いの良い経験を共有したり、知識交換ができるよう、巡回していたり搬送を受けたりしている私の立場で情報を流そうと思ったのです。
それで、ニュースレターを作成しました。

だれかがいいことやっていても、誰もみてくれない。誰も褒めてくれない。遠くでやっていては他の誰も真似できない。
本人への動機づけや、周りのレベルアップ。
そういうことにつながればいいと思い、あと短い任期でできるだけ書いてみます。


ああ、英語で作ってから、英語を修正して、それをヒンディー語にして、ヒンディー語を修正してもらい、印刷会社と交渉するまでに、インドという国と、インド人並みにのんきな私のセットのせいで、めちゃくちゃ時間がかかりました・・・。
(英語も作っておかないと、私の言いたいことをヒンディ語だけで書くと、修正してくれるインド人に伝わらないので・・・)
でも、やっと印刷中!


あとは配達を待つのみで、あとはそれを配るのみ。
インターネットやメールがないので、紙ベースで、バスで配って歩きます。
鳩でも飼いたい。病院の数分。


反応はまた今度。

ただいま早速第2号を作成中。


第一号はこんな感じ。















2011-01-17

1995年

ちょっとこのブログと関係ありませんが。

当時、中学1年生でした。
たまたまふと目が覚めるとシーンとした早朝で、夢と現実の間ぐらいでした。
天井が揺れていることに、??と思った直後、人生初めての揺れを経験し、「地震か?!」と思って飛び起きました。
幸い私の街に大きな被害はなかったですが、映像も、朝の暗さも寒さもハッキリ記憶に残っています。
小さな頃に学校で習うことっていうのはとても影響力があるものですね、咄嗟に机の下に入ってたのを覚えています。


一番早く始まるめざましテレビが、混乱しながら放送に入っていたこと。
自宅待機になり登校時間が遅れたものの、その日は百人一首大会で、体育館にものすごい大きなストーブのようなものを置いて、学年ごとに大会が行われたこと。
そして帰ってきてテレビを見ると、神戸が悲惨なことになっていたこと。
おじさんが知り合いの家に水を届けにいくっていう話をしていたこと。
新聞では、火の手がまわってきているけど、がれきの下にいる親を救い出せず、子どもに「逃げろ」と言い続け子どもが逃げるしかなかったっていう話があったこと。
すぐ隣の街で起こっているって思うと、恐怖感とその現実味のなさに不思議な感覚でした。
毎年思いだしますね。


1995年は嫌な年でした。


あの大きなサリン事件もあの年でした。
おじいちゃんが亡くなったり、空き巣が入ったり。
その頃から、なんだか日本のカラーが変わってきたように思いますが。
携帯電話やインターネット、凶悪犯罪に少年犯罪。




週末はセンター試験だったみたいで。
センターの日はいっつも雪が降っている気がしますね。
私が受けた日も、その日に限って珍しく雪が降りました。
寒くてショールをひざにかけていたら、試験前にチェックされたのと、お母さんがお弁当に手紙を入れてくれていたのを思い出します。
自分との闘いと、孤独さと。
あのときがあるから今の自分があるので、頑張ってよかったなって思いますが、あのエネルギーを振り絞る感じの辛さは二度と味わいたくない気がします。



地震からセンターの話になってしまいましたが・・・、とにかくこのあたりは強烈な記憶の多い季節です。

雑記まで。

2011-01-15

ありがとう、ダダ。(つづき)

今日、仕事が明るいうちに終わったので、気になってた隣のダディ(おばあちゃんの意)に会いに行きました。
しわくちゃの笑顔で、いっつも頭をナデナデしてくれたダディは、数人のお年寄り達に囲まれて、床に座ってました。
私をみるなり、言葉はなく抱きついて。

「ダダがダダが・・・:」って。

「知ってるよ。知ってるよ。逝っちゃったね」って言うのが精一杯で、折れそうに小さな体をギュっとしてあげることしかできませんでした。


体を離すと、ビックリするぐらい目が虚ろで、

「カナが来るとね、いっつもね、座れって言ってね、話してね・・・」

って周りの人に言いながら、どこを見ているのかわかりませんでした。
年齢と深い悲しみを考えると、このままダディはおかしくなってしまうんじゃないかと心配です。


人一倍笑顔の溢れる、おしゃべりのとまらないダダのお嫁さんも。
ただ抱きしめてあげることしかできなかったけど、私の肩の上で顎を震わせて泣いていました。

寿命だとはいえ、突然の死の悲しみを処理する暇もないぐらい訪問者の相手にも疲れているのか真っ黒な目の周りに胸が痛くなりました。


ほぼいいなづけで結婚したダダ・ダディの時代。

きっといろんなことがあったんだろうけど、目覚めてから寝るまで、何をするのも何処に行くのもずーーーっと長い間いつも一緒だった相手が、突然目の前からいなくなるっていうのは図り知れない悲しみなんだろうと思います。


私ですら。
また明日の朝はいつも通りリキシャに乗る私に手を振ってくれそうな気がするぐらいです。


すでにガンガーの支流に清められ、荼毘に付され、そして流れて次の世に行ったダダ。
ヒンドゥー教には輪廻転生の想があり、お墓はなく、川へ流れていくのです。

人生や肉体とは儚いものですが、記憶や思い出、そして個人に残る感情はやはりその人が生きた証であり、その人と自分が出会った証拠なんですね。

誰かが死んでも、自分はまた食べて寝てを繰り返し、そして死ぬまで生きていく。
その意味や世界の意味を考えても、それは人間の脳みそぐらいでは対処できないように作られていて、だからせめて納得したりそれ以上苦しくないように、その対象や方法は違っても、そこに神様のような存在があるんでしょうね。

そこらじゅうに生と死が溢れているので、そういうことをたまに考えます。




2011-01-13

ありがとう、ダダ。


何かとっても印象的なことがあったとき、人はその日の天気をよく覚えているような気がします。

”あの日もこんな朝だった” のように。


今日、まだ辺りに暗さが残る早朝、響き渡る誰かの叫ぶような泣き声で目が覚めました。
寒くて出られない布団の中で私の心は、

”ああやっぱりそうだったのか”

と、静かに思いました。



2 日前。

厳しい寒さが少し和らぎ、朝から陽の照る1日でした。
いつもより仕事が長引いた私は、薄暗いグレーになりかけの夜に帰ってきました。
家の前の道から裸電球が灯る隣の家の玄関に続く、長蛇の男の人の列。
誰が誰だかわかんないぐらい、まさにその夜のグレーと同じぐらいの暗さがその列を覆っていたのです。
なんか、暗い・・・って思ったけど疲れていた私はそれ以上のことは何も思わず、さらにピンとこなかったので、「今日なんかの日だったかな?なんか気持ち悪いな」と思って部屋に入りました。


そして今日、大家さんに朝の泣き声の話をして初めて知りました。
予想通りでした。


隣の家のおじいちゃんが死んだこと。


ヒンドゥー教は、お葬式関係は男の人だけで執り行います。
遺体を運ぶのも男の人達。
たまにみかけるので遺体に手を合わせていたのですが、あの列はダダのそれだったのか・・・とわかりました。


つい5日前、遅ればせながら新年の挨拶に寄ったところでした。

「カナ。バダイホー。(おめでとう) 寒いなあ。急に寒くなった。寒い寒い。」と言って、布団にくるまってました。
もう行くって言ってるのに、「座れ座れ」って言うから、何もせずしばらく座って。
「じゃあ行くね。ダダ、またね」と言ったのが、最期でした。


来た当初、意思の疎通もできないのに買った野菜をみせたり、よく隣に座りに行ってました。
言ってるヒンディー語がちんぷんかんぷんで、「この薬を買ってきてほしい」って言っていたのに、薬の成分を聞いただけで帰ってきてしまい、ダダが少し悲しそうな顔をしたこと。
「ニホンはどっちの方向だ?あっちか?こっちか?」と何度も聞き、そのたびに、キレイなピンクの花を咲かす木を指して、あの木の方向だよ。って言ったこと。
デリーで買ったお菓子をタッパーに詰めて持っていったら、すぐにそのタッパーに別のお菓子を入れて、私の玄関まで持ってきてくれた。
慣れない名前を、「カナーカナー」って呼びながら。
どこの星から来たのかわからない外人に、とっても優しくしてくれたものです。

いとこの奥さんのこどもの旦那のおとうさん・・・? あたりまで親戚なインド。
人口密度からしても、親戚の多さからしても、コミュニティの親密さからしても、誰かの出産も誰かの死も毎日の流れの中の出来事のひとつ。



जिसको चलना है वह चलता है
ジスコ チャルナー ヘイ ウォ チャルター ヘイ

って、涙見せずに言うインド人。


「逝くものが、逝くんだよ」

って。




そして、

मुझे भी आपको भी सब को मरना है
ムジェ ビヒ アープコ ビヒ サブコ マルナー ヘイ



「私もあなたもみんな死ぬの」

って。




だから。

だから、
जिससे मिलना है उससे अब मिलो
ジスセ ミルナー ヘイ ウスセ アブ ミロ


「会いたい人には、”今”会いに行きなさい」

って。




ダダジー、良かったね。
冬の晴れ間の空は、きっと布団より暖かいから。




どうもありがとう。











2011-01-09

カレー

日本人の頭の中の、インド代表ワード1位はおそらく「カレー」でしょう。

昨日、料理をするのが面倒で日本人の方に頂いた日本のS&B食品のレトルトカレーを食べて思いました。
「ハッ、なんて懐かしい味。カレーに関する話を書いておかなければ」
と。


はっきり申し上げます。
インドにおいて、カレーという料理は存在しません。
日本はもう和食も洋食も中華もなにもかも家庭の食卓に並ぶので、純粋な和食だけを食べている人は少ないかもしれませんが、要するにだいたいの料理に、しょうゆ、みりん、酒、ダシを使っているのと同じです。
インドの料理も、メインで使う調味料が決まっているので、もしそれをカレーと呼ぶならば、すべての食事はカレーです。
でも、日本で食べているカレーライスとはまったくもって違うものだし、日本のインド料理レストランのカレーとも違います。
ナンは、家庭では食べられません!
南インドでは、北インドと全く違うカレーだし。
主食まで違う。


それから、私は、「インドは・・・」と説明するのはどうも嫌です。
だって、インドって、日本の10倍の面積と、13億に近い人口と、何千もの言葉がある国です。
インドは、って言えない。
ヒマラヤの雪がじゃんじゃん降り積もるところも、バングラディシュを超えたミャンマー側の土地も、年中常夏のモルディブ側も、農業のみが売りのこの内陸も、全てインドなんですもん。
それに、食事だって全然違う。
辛いものから、辛くないのまで。


日本のカレーライス。
日本のインド料理屋さんのカレー。
インドの、レストランで食べるカレー。
インドの、家庭で食べるカレー。
南のカレー。
東にいたっては、カレーを食べていないところだって。
これら、全部、全然違います。

私は、北インドの、家庭料理のカレーが一番好き。
毎日家庭のカレーを食べていて、誰かの家でしょっちゅう家庭のカレーを食べていますが、家庭ごとに全然味が違うし、2度とお目にかかれない組み合わせが無数にある程、種類の豊富なカレーの種類。


それらを、もしも総称してカレーと呼ぶのならば。


世界は広いです。
日本の雑煮の違いが奥深いように。


百聞は一見にしかず。
偏見と、独断と、思いこみで物事を見るのではなく、機会がある幸運な人は、いろんな世界を見てみよう。

おたんじょうび

いろんなことが重なって、バタバタしていた年末年始。
お正月のないインドで、正月ボケ状態です。
ゆっくり振り返って記事を書こうと思いながら、2011年も1週間経ちました。

12月の29日は、私の29回目の誕生日でした。
インドで迎える2回目の誕生日、ついに「華」の20代も最後の1年となりました。
思えばこの10年程、重さにすれば測りきれないほどのズッシリと中身の詰まった10年で、記憶のある人生でこれ以上中身の濃い10年は今後やってくるだろうかと思うぐらい充実していました。
ジェットコースターのように早かったけれど、楽しいことも辛いこともたくさんの、まさに華の時間でした。
20代あと1年、(ほとんどインドですが)楽しみます。


年末、お友達の家に1週間程あがりこんでいた私は、誕生日当日もこの町から電車で7時間程のボパールという州都のそのお宅にいました。

9時、お出かけ用にオートリキシャーを呼んでくれています。














用意をして1階に行くと、ケーキを用意してくれていました。














朝っぱらとか、ろうそくの数とか、関係なし。
気持ちが嬉しい。

ボパールの大きな湖のほとりにあるカーリー様(ヒンドゥーの神様の一人)の寺院へお参りに。




















気温1ケタのこの季節、裸足で感じる寺院の冷たさはいつも神聖に思えます。
















お昼は南インド料理を。写真はドーサという食べ物。



















夕方は親戚のおうちへ。




















日本以外は結構このスタイルが多いと私は思うのですが、誕生日を迎えるものがお菓子を配ったり、ケーキに関しては、ケーキ入刀を行い、みんなに食べさせる。














あ、授乳期のこの子にも・・。










夕食をいただき。















ごちそうさまでした。















ではなくこれは、ナマステ。



2011-01-05

からだにやさしく

本日の気温3度のインド中央内陸部より。

6~9月の雨季以外、全く雨が降らないので、髪や肌がパッサパサになります。
甘くみていた去年は、案の定髪が手のつけられないことになってしまい、一時帰国で日本の敏腕美容師さんに高級トリートメントを施してもらい、なんとか生きのびた次第です。
この歳での肌や髪へのダメージは大変なことになり&今後の美容人生に関わってきますので、一大事!

インドは、古くからアユールベーティク療法がさかんです。
中国で言うところの漢方ですね。
みんないろんなことを知っていて、何気なく日常に取り入れています。

髪にはこれがいいとかあれがいいとか。
いろいろ聞いたんですが、薬草とか買ったり混ぜたりしたかったんですが、めんどくさくて結局こないだ首都デリーのスーパーで、完全無添加アユールベーティックの化粧品会社数社より、ヘアパック用に既成品を買ってきました。
肌用、髪用、無添加商品がインドでは高級価格で(日本円にすると破格の値段)で売っているので、たくさん購入。
塗りたぐってます。
一瞬の乾燥も許さない!


で、今日、高級ヘアパック(若干400円程)を開けてみた。


















「・・・・・・・」

うわ・・・・すごい。

調べてみると、
麝香(じゃこう)というのが主成分。
オスのジャコウ鹿という動物の、腹部のジャコウ腺から出る分泌物を指すそうですが、その匂いに似た植物の根、を使ったものとの解説。
?????
・・・は??
ジャコウ鹿って誰??
鹿買えないから、既製品で良かったわー。

でも、アユールベーティックは植物のみなので、それに似た匂いって・・・まあまた主観的なことですこと。
あとは、甘草とかナツメグとかね、入ってますって。

使用法に、卵かヨーグルトを混ぜて使用って書いてあったので、家を空けてた間に少し古くなってしまった卵を混ぜ混ぜして、魔法使い気分で完成させました。

シャンプーした後は、ブリンガラジという植物のオイルを塗り塗りし、顔にはリンゴ・イチジク・パパイヤパックで完全防備。

どれもこれもいい匂いなので、幸せです。

日本の白さと湿度を取り戻さねば。

Anyway、安いって素晴らしい。

2011-01-03

気が合うから


今日、出勤中のリキシャーに乗って、遅ればせながら”今年の目標”について考えてみましたが、情けないことに目標がみつからず。
「目標をみつけること」が目標に・・・。

だって、今年1年の目標を考えるってことは、インドから帰った後自分がどうなっているかってことを少なくとも考えて立てるってことで・・・。
それはもちろん考えないといけないんでしょうが(いい大人だから?)、それを考えただけで寂しくなり、放棄してしまいました。

インドに来て4カ月後、そして1年を過ぎた去年の秋~冬、一番日本に帰りたいピークでした。
それはインドが嫌いだからとかではなく、日本しか好きになれないからとかでもなく、単なる寂しさだったと思います。

でも、年を越し、今年帰国予定になった今。
自分がどれだけインドを愛しているかに改めて気付いた気がします。

いいところも悪いところもたくさんあって、正直大変なことももちろんあります。
でも、インドに恋をしてしまった私は、悪いところも愛おしくて仕方ない。

インドには、インド人に生まれない限り、ヨソモノには決してわからない部分わからせてもらえない部分がたくさんあり。
インドが好きがゆえにそれが時に悔しく、嫉妬し、でも第三者だからこの魅力に気付くのかもしれないって自分を納得させ、それでも自分の国が大好きなインド人をみているとやっぱり悔しかったり。
この気持ち、うまく言葉にできないんですが。

うすうす気づいていましたが、関西(大阪?)にとても良く似ています。
誰に何を言われても、関西・大阪を愛してやまず、他がどうであれ羨まず(興味もなく)、人情深いが排他的、いくら関西弁を話しても関西に生まれ育たないと肌でわからないことがある(そして、そうでしょ?って思っているところが関西人の中にある)、飾らず心は裸にみえて実はしたたか、商人のDNAか人を見抜く力がズバ抜けており、そして明るく前向き、キツイとか言われるがみんなとても優しい。
世界にはインドしかないと本気で思っているであろう人々をみていると、なんだか似ている部分が多すぎて、ニヤっとします。


どうして好きなのか。
わかりません。
いいところを挙げよと言われ、片手で済むぐらいしか思いつかなかった。
でも、好きなところならいくらでも。
それはきっと人によってはインドの嫌いなところ。

結局、私と気が合うんだと思います。

理由なく誰かを好きになったり、理由なく好きな食べ物や音楽があったり。
栄養豊富だから好きだ、とか、○○コードの曲が好きだ、とかではないのです。
「好き」なだけ。


何かをみつけに。
わざわざ騙されに。
つっこむところを探しに。
自分を探しに。
いろんな理由で旅行に訪れる人が増えるインドですが。


私の中での「インド」は、たった一つ。
いま別れを思い描いただけで、涙が溢れてしまうようなたくさんの大切な人達との出会いと時間、そして大切なことをたくさん教えてくれたインドの人達の哲学的な生き方です。
デリー育ちのインド人より、私の方が知ってること、たくさんあるっていう自負。
きっと都会育ちの日本人が、日本の田舎で何が起こってるのか知らないように。
神様がくれた、インドでの時間。
素敵な時間です。


「ハッピーニュウイヤー」と声をかける相手が去年こんなにいたかな?ってふと思った時。
気づいたら、たくさんの同僚や友達に囲まれて、私はインド人じゃないんだな、って気付かないと気付けないぐらい周りはインド人だらけで過していました。
そして子どもレベルのヒンディー語の私のことをとっても大切にしてくれ、のびのびと活動をさせてくれました。


私が出会ってきた多くのインド人達は、騙されるほどに純粋で、うっとうしい程に優しく、いい意味でも悪い意味でも「今」だけを生きています。

「今を生きること」
それが自分達に課せられた現世での課題だから、と言って。

過去に捉われず、未来に期待しすぎず、今を大切にする難しさと大切さをたくさん教わりました。


飛行機も、インターネットもある時代だから、きっと生きていればいつか会えるかもしれない。
でも、もう会えないかもしれない。
彼ら彼女らと別れた後のことを含めた1年の目標は、どうしても立てられませんでした。


1年後の、2012年の私に向けて。

「インドを忘れないで」


さて、そんなインドであと9カ月、精一杯毎日を暮らしていきたいと思います。
みなさん、今年もよろしくお願いします^^