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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-12-26

あああああ

「あ」っと言う間に、今年が終わりそうです。
このままいくと、もう記事を書く時間もないので、これで今年は最後になってしまうと思います。
みなさまいかがお過ごしですか。


さて何がそんなに忙しかった、いえ忙しいのかと言いますと。
2カ月程前から、ここ「ひかり」で書いたナースに私はしっぽを振りつつ、本格的に県病院の産科の大革命にとりかかりました。

彼女達にまず優先的に助産の研修を受けさせてくれた配属先に感謝し、その研修(いつも病院で行っているもの)につきっきりで(いつもつきっきりですが)、指導に精を込めました。

彼女達には、
「このトレーニングが終わったら、一緒に大変化を起こそうね」と洗脳し、
いつも支えてくれていたけど協力者と時間があまりに少なかった女医さんには、
「スタート切るときは、あなたの協力なしでは無理なの。お願い力を貸してほしい」と懇願し、
その傍ら、血圧計の一つもなく分娩台だけがボーンと置かれた分娩室を、まずは“分娩室”とするために、今一度ひとりで物品の総チェック。
ずっと棚のカギを握って離さなかった産科のボスも、分娩室専用のナースの配属とくればお手上げで、鍵はもう私達のものに!

今あるものは何で、何がないか。
一度請求すればそれで済むものと、毎月請求しなければならない消耗品は何か。
毎月の消耗品は1カ月あたりのお産につき、どの程度の数があれば不足せずに済むか。
物品リスト作りから。
(これ、日本で嫌々数年やってた物品係ってやつが、本当に役に立ちました。あの時の環境に感謝)
ナースと一緒に何度も修正をかけながら、重箱の隅をつつくようにモレのないようリスト作り。


さて、どの物品はどの部署の誰に頼むのか。
どの薬品は政府からの供給があって、どの薬品は患者さんに店から買ってきてもらうものなのか。
そう広くはない院内の、今まで行ったこともない部署に、新参で肩書きがない者が行っても一筋縄ではいかないインドをよく知っているので、初回は女医さんを引き連れて、そしてその後は自分一人でも、ナースを連れてでも何度も請求しに行けるように顔ツーツーローラー作戦に出たわけです。


と、まあここらへんまで来たときに、なんと政府の保健計画の評価のために、各州から1県選んで視察するというイベントが浮上。
そしてなんとこのMP州ではダモー県が選ばれたのです。
さて。
こんなチャンスがあれば、お金とヒトが動くのはもう簡単なのが権力大国途上国。
サーフボードも買って、スーツも着こみ、早起きして、準備体操もしていた私達は、大きなウェーブに乗ることができたのです。


なぜ今までできなかった?と首をかしげるぐらいに一気にモノが揃いました。
もちろん、ああでもないこうでもない、いやアレも必要、やっぱりこれはいらないとか言いつつ。
インドはなんでも1度では無理なので、何回も”足を運んで”、「こないだ言ってた○○まだ届かない?」と催促に苦労。
しつこい方が勝てる国。催促勝ちしながら一つずつゲットです。


お産を取り扱う場所なので、2・3日閉めて一気に片付けてキレイにしてまた再開ってことができないんですね。
新しい物品を置きながら、片づけながら、モノの配置を決めながら、分娩ベッドを入れ替えながらも数時間置きにはお産が横で起こっています。
だから、とっても難しい。
とりあえず新しいものは一気に変えて、一気にスタートを切らないとだめだったので大変でした。

モノがそろったら、それを誰の責任で管理するか、誰に何をしてもらうかってことが次の課題になります。
消毒液の入れ替えや滅菌は、助手さんだけど、滅菌後の分娩機材をセットするのはナースにしよう。とか。

でも、そんな姿を見ていてくれてか見ていなくてか、まあそんなことはどうかよくわかりませんが、助手さんやスイーパー(お掃除の人)が、本当に協力してくれました。
10数年っていう勤務歴のみんなが、何か聞いてくれたり、一緒に働いてくれたことはとっても嬉しいことの一つでした。
実際に、全てパック済みの使い捨てだった日本の臨床とは違い、ガーゼは小さくきって、コットンでパットも作って、滅菌も自分達でやって、っていうそういう日本も昔やってたことは、彼女達の方がとてもよく知ってます。
そういうわからないことは、素直に聞いて、そうやってお互いの得意分野を合わせながら損得勘定なく一つのことをよくしていこうという気持ちが起こったのは今回の一番の収穫だったんだと思います。


私は、この仕事だけしてればいいかもしれないけど、ナースもスイーパー達も、自分達の本来の業務をしながら、この仕事をしていました。
だから、一番頑張ってくれているナースのシャンティ(名前)なんかは、
「なんか私達だけ頑張っててフラストレーションたまるわ。せっかく決まり事を決めても、あっちやこっちやらで全然違うことしてるしさー。もう!」
って、なったときもありました。
でもそういうときこそ、私の仕事だと思いました。
孤独感から救うこと。
必ずいつも味方だということを示すこと。
私もそうやって女医さんに支えられていたから、ずっと気持ちを持ち続けられたし。
「私だって、シャンティがいないとできないんだよ?」って。
そうやって、ジャレビ(お菓子の一種)を奢ったりして、また次の日に倉庫へ行ったり。

こんなことに辿りつくまでに1年かかったのか?
って、ふと頭をよぎりましたが、初期では絶対できなかったこと。
だって、人間関係があって、縦関係をちゃんと把握して、私がやっても無視されない私の存在を認めてもらい始めて、そして言葉ができる。
だからやっぱり、今じゃないとできなかったと思います。

そんなこんなで、お金はいまならいくらでも出してもらえる!って思った私達は、ペンキまで塗り替えさせて、見た目はなんとも見違えるほどの分娩室にしあげました。
何かの感覚に似てるな、って思ったら、文化祭の準備でした。
ああいう共同作業の達成感・・・・

さて、これからです。
始まったばかり。
”維持”が一番難しいんだから。

目に見えるところは変わりました。
目に見えない、看護の仕方やケア、モチベーションや、コミュニケーション。
そういうものへの働きかけが、もっとも重要なところです。

それに加えて、今フィールド(郊外)で働く看護職対象にニュースレターを作成中。
これについてはまた今度。


ゼロだったものを1にするのが一番の苦労。
1さえくれば10になる、って尊敬する専門家の方が言ってました。

私たちは、やっと1になったとこ。

それでも、something is better than nothing ですね。


「やってだめなら、また変えればいい。」
一見、無責任にも聞こえますが、何にもやらなかった人よりずっといいですよ。
たった1部屋変えるだけでも大変なんだから、大阪府を変えようって頑張ってくれてる橋下さんには頭が下がります。


そんな、こともあろうことか知事に共感している、インドの片隅の一助産師です。

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1年まるまるインド2010年が終わりを迎えます。
いつも読んで応援してくださってるみなさん、ありがとうございます。
みなさん、よいお年をお迎えくださいね。

次の更新は年内が無理だったら、新年とさせていただきます。

2010-11-29

Photoシリーズ ① あかちゃん

写真だけの記事ってのもいいかな、と。

まずはやっぱり。
職業柄、世界共通で愛くるしい赤ちゃんたちを。

生まれて5分。













「インド人も、生まれたときは白いのよ?」



生まれて15分。
「ここどこ~~~?? 怖い・・・ぅぅ・・・」



















男の子と女の子。
私達、双子。













赤ちゃんでも、もう、鼻高い・・・



目の周りを黒くするのは、魔除け。

















あんまり可愛いとあっちの世界に連れていかれちゃうから・・・だそう。




「・・・・・」














「あんた、誰なん?」





Baby ・・・ シシュー
Child ・・・ バッチャー

2010-11-25

マイナス感情をプラスへ

現代の日本では、99%の人がお産のときになんらかの施設と言われる家ではない場所で赤ちゃんを産んでいます。
詳しい話は今回はしません。
が、つまり日本のお産の大抵の場合、正常なお産でさえ少なくとも2人の介助によりお産を支えています。

そして突然、”正常”から”異常”に変わることがある産科は、お母さんや赤ちゃんに何かあったら総出の人数を必要とします。
命も2つなので、それなりの人数が。
産科救急の世界は、救急と同じく一刻を争い、そして最大の幸せが最大の不幸へと移りゆく可能性の間の時間を通りぬけるので、特殊な感情と映像が行き交っている世界のような気がします。


指示を出す人。
指示された物品や血を運ぶ人。
注射をどんどん開封していく人。
それを吸いあげ投与していく人。
状態を観察する人。
他科に連絡する人。
オペの準備に備える人。
起こっている事実を分単位で記録していく人。
封を切られた様々なモノのゴミを片付けていく人。
茫然とたちつくす旦那さんを気遣う人。
人手がとられてそこだけにスタッフが集中している間に残された他の患者さんを気遣う人。

チームワークと、スピード、急いでいても失敗は許されず、適切な処置と心のケアを必要とされ。
赤ちゃんが生まれていれば赤ちゃんを同時にケアし、生まれていなければもっと大変で。

とにかく、お産という現場に慣れている私達でさえ、緊張感が心臓を突き破るのではないかと思うほどの空気が流れ、そして2時間が2分ぐらいにしか感じられないスピードと、終わった後の雑然とした部屋の汚れと疲労感が残ります。

普段は忘れていても、ふとしたときに思いだし、あのときのアレはアレで良かったのか、という医療者なら誰しも経験したことがある感情の一つに捉われたり。

そうして、いつまでもまるでドラマの騒然とした映像のように
赤ちゃんに管を入れる仲間の医師の横顔がずっと残っていたり、血まみれになって大声で指示を出し続ける産科の医師の姿を思い出したり。


大多数の、穏やかで笑顔溢れる、究極に幸せな出産の影で、稀にこういうことが起こったり。
ただ静かに消えゆく命や生まれる前に眠ってしまった命のお手伝いをさせてもらっています。
私達。



それを。
ここにきて、たった一人で何度経験したかわかりません。
分娩室にナースが配属されるまでは。

突然お産への遭遇、どうしようもない死、限られた処置とたった一人で必死で目の前の小さな命への蘇生。
そのたんびに、”なにやってるんだろう”っていう気持ちになり、助からなくてはおお泣きし、何に怒っていいのかわからず。
だって、インドに来ていなかったらきっと一人っきりで遭遇することもなかったし、その映像と悲しみを一人で処理する必要もなかった。
人の死を見たくなれば、赤ちゃんの死に会いたくなければ、いますぐこんな仕事辞めればいいんです。
別に誰も文句言わない。

殺すために、助産をしているわけじゃないのになと思い。
でもどうしようもない、だってここは日本じゃないからと思い。
でもじゃあどうしてここに来たんだって思い。
ふとしたときに映像がとめどなく流れ、辛さでどうしようもなくなってしまいます。


でも、
数え切れない悲しみを、1のプラスにするために、マイナス感情をぎゅっと固めて「動機」にすることだけが現状を変えられる唯一の手段。

それでも、インドの数値の歴史には0.1の変化すらないかもしれない。
でも、インド人、いえ、友人である同僚達の心の中に残っていってほしい。

そう思いながら。




今日、病院を出る前に忘れ物を思い出して、もう一度研修の部屋へ戻った時。

もう授業は終わって次の勤務まで休んでていいのに、机に向かって一生懸命勉強している同僚の後ろ姿がありました。

笑って、
「カナ。いつでも準備はできてるからね」って言ってくれた。


ねえ、言葉も文化も違うけど、伝わってるの?



明日の1と、10年後のココの100の可能性を想って嬉し涙が出たこの気持ち、みなさんにも伝わるかな。

逆に、言葉でしか伝えられないけど。

2010-11-05

新年あけまして

今日、11月5日。
ヒンドゥー教最大のお祭り、Diwali(ディワリ、またはDeepawaliディパワリ)でした。
昨年は、10月17日。
まだデリーで研修中だった私は、インド上陸後最大の発熱を起こし、爆竹鳴り響くデリーの街中病院に向かっていたのがいい思い出です。

ヒンドゥー暦の新年を迎えるお祭りであり、何百といる神様のうち、美と幸運をつかさどる女の神様ラクシュミ―様(仏教では吉祥天)を祀る行事であります。


お昼ぐらいに、呼ばれていた仲良しの同僚の女医さんのおうちへ。

日本の新年同様、その日を迎えるまでに大掃除をし、家の外壁まで塗り替え、飾り付けをし、たくさんのモノを新調し、その日の夜にはお祈りをするのですが・・・


朝ぐるっと見渡したところ、ペンキを買ってきたばかりの人。
ペンキで外壁を塗らせている人。
飾り付けをし始めている人。
などなど、もちろん、マイペースでした。
そう。
「しないよりいいのさ、それでいい」

















とりあえず、他人様の家にお呼ばれして、勝手に水を飲んだりゴハンをごちそうになったりするインドの習慣にも、また、そのおうちにもお邪魔になりすぎて慣れてしまった私は、おひるごはんを遠慮なくいただきました。

さあて、買い物でも行くか!となったのは4時ごろで、そこから女4人、サイキルリキシャーで10分の街中へ。
いつも昼間なんてスカスカの半径2km程の街中は、花火の帰り道よりひどい混雑で、リキシャーに乗った私達は、報道陣をよける芸能人の車状態。
インドって、どんな僻地でも人だけはいる・・・


銀細工のお店に行き、装飾品の物色。
カーテンやらテーブルクロスを新調しに、足を運び。
プレゼント用のサリーを買い。
通りすがりに花を買ったり、正体不明のモノを購入しているが、突発的に買った様に見えて、後でちゃんとプジャ(お祈り)に使われているのを見て、直前の衝動買いにも目的があったことを知り。
道すがら、たくさんの知り合いに会い。(だって小さな町だから・・・)
まっだまだ、私を初めて見る人がたくさんいて、視線攻撃にあい。
今夜のプジャ(お祈り)用に服を買い。
「チャイはまだか?」と電話をかけてくる旦那さんを無視し、おばあちゃん含む女4人で6時過ぎまででかけてました。
楽しかったー。


チャイ待ちだけしてたのかと思いきや、旦那さん達もちゃんと部屋の飾り付けや、プジャ(お祈り)の準備はしてました。


そこから、ランゴーリと言って、神様を迎えるために家の玄関に色とりどりの粉で絵を描き、同時進行でプジャの準備をしていきました。
(もう、夜も更けて7時を過ぎてきてますが、神様もう来ちゃってんじゃないの?って内心思いながらお手伝い)









































ここが入り口の階段です、神様。道しるべ、見えますか?











手作り陶器の器に、ギヒーと言われるインドの油をたらし、火を灯します。
家のいたるところにそれを置き、神様を迎える準備。
たくさんの果物と、お菓子、お米、お水、ウコン、お花、神様の絵を描き、神様の像を置き、今夜の主役、ラクシュミ様とガネーシャ様をお迎えする。
正装し、裸足になる。






























家長のおじいちゃんが小さな鐘を家中に鳴らし歩き、みんなでバジャンを歌う(参:動画)。
神様に水やお米をかけたり、おじいちゃんにおでこにビンドゥー(色粉でしるし)をつけてもらったり。























暗闇の中ゆらめく炎の赤と、一斉に歌うバジャン。

人間が、”祈る” ということの意味やその本質、存在する理由やその神聖さに、心を打たれ。
なんだか泣きそうなほど感受性を刺激された、素敵なプジャでした。

大きな事件や事故もなく、健康にインドで暮らせていることをインドの神様に感謝し、あと1年無事に暮らせること願い、新年を迎えました。

都会の爆竹や花火だけが目立つ新年だけでなく、人々が心から静かに祈り迎える新年。
もちろん夜ごはんは11時に食べ終わり、家の塀に並ぶ小さな炎をみながらの帰宅となりました。


























2010-11-01

ひかり

そう、この記事「チーム出陣」で書いた、分娩室への看護師の配置がなんと先週行われたのです!
やればできるんじゃないですか!


ま、インドの、

”8月28日まで絶対夏休みの宿題をやらないが、なぜか9月1日には耳を揃えて出せてしまうワザ” や、
”うんともすんとも言わなかったのに、パエリヤ食べにスペイン行く!と思ったらもう翌日には空港にいる感じ” や、
”質問しといて、答え聞いてない感じ”

が、好きなんですけどね。
誰ですか、それはインドではなく君のことだと言ってる人は?(たぶん母)


そう、それで、ある日突然ポツンと分娩室にやってきたのです。
シフト制でまわすために、3人。


「ねえ、カナディディ。滅菌した器材って・・・」
「そう、ないの。だって、滅菌する機械を請求する紙にサインしてくれないし、第一それをする人材が、ひとりもいなかったんだから。お産取る人すらいないのに。」


「ねえ、ゴミ箱って・・・。」
「そう、ないの。まあ、あるけど、だって、みんな床に捨てるから。」


「ねえ、もしかして消毒液って・・・」
「そう、ないの。だって、盗まれるから請求しない、っていう理不尽な理由でYESって言わないし、第一ね・・・・(つづく)」



「だって、それらに気付ける人どころか、だ・れ・もいなかったのよー!!」
「そして、整えたところで1日にして無知な助手さん達に破壊されるのよー!!」



だから。
だから、あなた達が来てくれて本当に嬉しい。
と、しっぽを振り続ける私に、

「カナディディ、がんばろう!」

って言ってくれたのです。


まだ何にも始まってないけど、バンザーイ!


清潔不潔(注:医療業界の)がわかるナースがやってきてくれた、ってだけで、期待以上の人材。

2010-10-30

言葉

インドは、16の主要言語があって、文字もガラっと変わるぐらい地域によって言葉が違います。
一応、英語とヒンディー語が主要公用語で、全部では2000を超える言語が存在するインド。

現代はまだまだイギリス統治時代の影響が残っており、英語の単語が頻繁に使用されている、または英語がたくさん話されています。

もちろん南北の人が話すときは、英語になるし、初対面や公式の場は英語だったりします。

中流以上になると、政府のヒンディー語学校ではなく、English medium と言って、私立のヒンディー語の授業以外全て英語で行われる学校へ進学します。

学校は英語、家はヒンディー語、読むのは英語の方が早い、頭ではどっちも考える・・・・などなど。

デリーやムンバイなど、メトロポリタンシティになると、英語を母語として育つ若者は増加中であり、テレビ番組でさえ、ヒンディー語と英語がごっちゃまぜのことがあります。

”I think こっちのほうがいいと思う。Isn't it? "
”私思うのよ・・・you are so 優しい!”

みたいな・・・ルー○柴さんもついていけない感じで。

で、本人達ももう全然わかってない。
途中で英語とヒンディー語が入れ替わり立ち替わりしていることに。

これ都会の話です。
ただ、全国的に、英語話せる=ステータス ですね。



さて。
私の任地、田舎では。

もちろん、English Medium も存在しますし、ある一定以上の教育を受けている人は、英語を操ります。
でもたいてい若者だし、貧困層が多いこの地域では多数派ではありません。

ただですね、日本人も外来語が多いように、たとえ田舎でも外来語はたくさん。
しかし、患者である下層の人や村の人はその簡単な外来語すら知らないので、そこはヒンディー語を知っていないといけません。

つまり何が言いたいのかというと。

そうやって、若者と話すときに、
例えば日本語でいうと、

スプーンを さじ と言う人はもうあまりいないし、
ティッシュを ちり紙 と言う人もいないし、
ネックレスを 首飾り と言ったり、
トイレを 厠 と言ったりしませんよね。

それは、名詞だけに限らず、

フレンドリーな人だ!とか、
ま、Anyway、それはEasyじゃないProblemだよね。とか、

都会よりやや大人しめのルーさんになってくるのです。


でも、村の人や患者さんは、トイレを厠と言ってあげないとわからなかったり、逆に彼女達が話している単語を知っていないといけない。
12月は師走と言わないと通じない、と言った具合です。
ちなみに、村の方々は方言がひどいので、そちらのリスニングはいまだ困難。



で、そうしているうちにたまに私はわけがわからなくなって、いまどきの女の子を相手に、たとえばの話、

「そのさじ、誰の?」

とか、言ってしまい

「あーははは!!”さじ”だって!! (爆笑)」

みたいな事態になってしまう・・・。


外国人が言うと、もっと面白いんでしょうね。


言葉は生きているので、変化し続けるんでしょう。
英語とヒンディー語と、方言と時間軸の間で、アラサーの頭はたまに疲弊してしまうのでした。

2010-10-25

つづく つづく

”胎児”って呼ばれている間、つまりお母さんのおなかの中にいる間の赤ちゃん、私達助産師をはじめとする産科の人達は、そのお腹を通じて赤ちゃんの心臓の音を聞かせてもらいます。
簡単にいうと、元気かどうか確かめるために。


大人の脈の倍ぐらいの速さで、

”ドクドクドクドクドクドクドクドク・・・・・”

って聞こえてきます。


日本ではもう機械が浸透しているので、電気で動くその機械をお腹にあてるとスピーカーから聞こえてくるんですね。
でも、ここにはまだそれがないからお腹に聴診器をあてるか、トラウベっていう小さなメガホンみたいなものをお腹にあててそこに耳をあてて直接聴きます。


仕事の中でもベスト5ぐらいに入るぐらい、この診察が好きです。
(あとは赤ちゃんの頭が見え隠れしてるときとか・・・マニアックな部類ですね)

聴いて、
”ヒトの中にヒトがいる!”

って思うと感動してアドレナリンがバーーーッて出て、顔がにやける。
助産師何年目ですか、って話ですが。
もちろん、診察して血の気が引くときもあるのがこの世界の影の部分ですが。


それで。
大人の手首に指をあてた時、自分の脈を自分で手首でとった時、いっつも思います。

”あの音を鳴らし始めてから、私の体の中でもずっと動いてるんやな、休まずに。あと何十年もずっと休まず動くんやろうか。死ぬそのときまで、動くのか。”

って。

そう思うと感慨深くって、じーんとします。

”まだ動いてる。あ、まだ動いてる。”

って、当たり前だけど脈をとり続けてみたり。


みんなの心臓もそうであるように。

また一人、お友達に子どもが生まれたって。
帰る頃には1歳ですが、もうすでに1年弱ドクドクいってこの世に出てきたから、一体何歳とするのがいいのかわからないけど(!)
朗報をいただき、ふと普段思っていることを思いだして書いてみました。


水と皮膚を通して聴こえてくるドクドク・・・は、自分が水の中にいるような錯覚に陥るし、目をつむるとそこは小さな宇宙です。

私達がこの世からいなくなっても、その子の心臓は動いていくし、その次の子もまた動いていって、この世からあの音がなくなることはないんだろうと思います。


人類が続く限り、ね。

2010-10-15

チーム出陣

今まで書いてきた通り、私が主に行ってるこの県病院。
人がほんっといない。
いえ、人が少ないのに比べて、患者が圧倒的に多すぎるともいうか。

1人のお産にだって、母子ともに何かあった時のことを考えると2人は居た方がいいし。
2人同時にお産になったって、1人じゃどうにもならないのに。
5人同時、いえベッドすら足りないのでお産後すぐ患者交代、いえ分娩室まで間に合わず外で、なんて状況なんです。
なのに、常々10人ぐらい控えてる産婦に加えて、帝王切開後の人、普通に産後の人は40人ぐらいいる。
その全てにあてがわれているのは、たった、たった1人のナース。

これはあんまりだと思うのですが、きっとこの1人のナースが全力を出せば?
いえ、私がそのナースなら死んでしまうと思います。
そうするとどうなるのか。
0か1ではなく、0か100なら0を選ぶということで、まったく仕事をしなくなってしまう。
病棟にいるか、分娩室に行くか・・・?
あの人もこの人もいて、あの人もこの人も話しかけてくるし、だいいちお産なんてほっときゃ勝手に生まれて、ほっときゃ勝手に死ぬんだよ。ああめんどくさい、チャイ飲も。ってなるんでしょう、多分。

そう。
管理やら、技術やらうんぬんの前に、それを伝えられる人を置いてくれ!
っていうのがみんなの、そして私の一番の願い。
結局研修にきているANMの2人がコキつかわれ、なんのための研修やら、ってな話なのですから。
ついでに、自宅分娩を超える劣悪な環境ときたら、なんのための施設分娩なんだってな話ですから。


院長が変わって半年ほど。
常々ずっと温めてきた、そして諦めてきた、しかし私は懲りずにうるさかったこの問題に乗り出す姿勢を見せ始めた私の同僚達。
女医さん2人、看護師1人と作戦を練り、院長のもとに直談判に行きました。
リーダーの女医さんが代表で上手にお話。
ついに、ついに、ついについに!!!
分娩室だけの配属の看護師を置いてもらえることになりました!!

インドだから、それがすぐ明日ってわけにはいかないことは重々承知です。
でも、今回はきっと嘘には終わらないということがわかったこと、そしてなによりそんな風に

『自分達の働く環境のことを、自分達で考えて、自分達から動きたいから一緒に作戦を立てようと言いだしてくれたこと』

それがなにより嬉しかったのです。

こういうのは、当たり前のことだけど、でも1人じゃできない。
何人か同じような考えを持って、そしてタイミングをみて一気に動かないといけない。
そしてその同じような考えを持つまでに果てしない時間がかかったり、タイミングがことごとく悪いのが途上国。
でも、それが一歩踏み出せたなら、きっとヨソモノがいなくってもゆっくりその後も歩んでいけるのだと思います。


必要だと自分達が感じること。
進まないとと、自分達が心から思うこと。

禁煙や禁酒や、糖尿病コントロールや、ダイエットや、失恋や、挫折や、失職や。
そういうのと一緒で、おかれた環境で自覚症状がない場合、ある場合、どちらにしてもその症状を次のステップに自分が持っていくのは大変なことだと思います。

でも、作戦を練っていたときの真剣だけど、力を寄せ合って話す姿勢と表情に、うまくいくといいなという希望がもてました。

小さなことだけど、一歩一歩です。

2010-10-09

ゴールはなし

「サンギーーターー!! あ゛ぁ゛ーーーー!!おい!起きろよー!ぅわーーーーー」
泣き崩れた男の人。わーーーーーーーわーーーーーーと叫んでいました。
まるでドラマのように。

すやすやと眠る小さな赤ちゃんの横に、意識不明、こん睡状態のお母さんが、朝の分娩室に。



妊娠とは、貧血傾向になりやすく、分娩は出血を伴います。
一説には男性がそれぐらいの出血をしたら死んでしまうかもしれないぐらいの出血をしても女性は生き抜くとか。

マラリア、デング熱にかかっていた彼女。
どちらの病気も貧血を助長し、出血をとめる力も失います。

来たときには、鼻、耳、口からも出血。
口角からは泡をふき、瞳孔は散大。
意識はもちろんなく、呼吸はいびきのよう。
なけなしの輸血と、限界のある鼻からの酸素投与。
その酸素ボンベだってちゃんと動いているのやらどうやら。

何もしようがないこの病院にいても仕方がない。
車の工面、人の工面、医師が来るまで待っての診察、そんなこんなで朝方5時にきた彼女が、大学病院に向け出発しのは朝の10時を過ぎていました。

ここから、あぜ道を3時間半かかるというのに。
酸素もなく、向かいます。
誰もが信じて祈っていたのだろうけど、でもこの後回復することはないというのに。


妊婦健診を受けようと思わなかったかもしれない、受けていたかもしれない、そんなのあるって知らなかったかも。
健診したって、何かあって搬送されてくるのに何時間もかかる。
1台しかない救急車が出払っていたら、4輪なんて持ってない、バイクすら持ってない人は誰に頼む?
マラリアやデングにかかろうとしてるわけじゃないけど、蚊はたくさんいる。
扇風機がないところで、戸をあけないと暑い。
網戸をはるようなお金がないとしたら。
水道がなければ、井戸から汲んだ水を張って貯めておくしかない。
蚊が増殖しようが、蚊取り線香をいちいち24時間つけておく知識もお金もないかも。
虫よけを一本買うお金で、きっとじゃがいも1カ月分は買える。
蚊帳で寝る贅沢。
一人に一つベッドがある贅沢。
自分の家だけよくたって、道路はでこぼこ、水はたまる。
そして病気になったところで、受診行動をとれるのか。
お産とそういうことが結びつくってことをどこで知ればいいのか。
搬送されてきたって、何もない。
人もない、モノもない。
そこからさらに行くまちに、誰が、どうやってついていき、誰がお金を出し、誰が道中見守れる?
助かったところで、大学病院に持続的なお金、払えるの?


何が原因で、彼女は死ぬの?


医療の不備?貧困?道路の不備?教育?慣習?
どれか一つ、いや全部解決すればそこが世界平和のゴールですか?
そういうこと、現地に来る前に、”国際協力ってなんだろう”って、よくそういう仲間でセミナー開いたり語り合ったりしたな、って思いだしました。

そう、実際、医療ができることなんて、ほんの一握り。
でも医療 ”も” ないとダメなんです。


なぜ事が思うように運ぶ場所や国は、なぜ事が思うように運ぶのか?
気付かないところで、気にもとめないところがちゃんと整っているからだと思います。

”マラリアやデングは、蚊で感染しちゃうんだよ”ってもし日本の町に書いてあったら、日本人なら誰でも読める。
たとえば、そういうこと。



決して取り乱すようなことを、なかなかしないインド人。
そんな中でも男の人が叫び号泣する姿みているのは、とても直視できませんでした。


私と同い年、28歳のお母さんでした。
初めての子を横に。

2010-10-06

立ち止まった時、感じることは

疲れ切った顔を横にむけて、そっとキスをする。
”はじめまして” の挨拶に、涙を流しながら。


子どもを必死で守ろうとする娘をそっと抱く、母の母。
「仕方ないのよ」と泣きながら。


悲鳴のような声を重ねて、すでに亡くなっている子を一生懸命産んだ彼女。
もう皮膚がぐちゃぐちゃになってしまっているその子をなでながら、その何倍もの大きな声で、ずっと叫び続けてた。
悲鳴のように。



溢れるほど生まれていって、溢れるほど死んでいく。
その字の通り、本当に、溢れるように。

溢れるように。



忘れがちだけど、みんなわが子を心から愛してます。


無条件に愛してくれるお母さんに感謝して。
あなたが生まれ、あなたが産んでるその裏側では本当にたくさんの赤ちゃんが命を全うできていないことを知り、その命の尊さに感謝して。
たくさんの不満を置かれた環境にぶつけながら、それでもまだまだずっとマシだと感謝して。
私達、世界の頂点のような生活をしていることに感謝して。

そうしてほしいな、と思います。


いつも笑顔と涙の中にいる仕事。


自分もたくさん喜び、たくさん泣きますが。
でも、いい仕事です。


ああ、いい仕事だな、と感じます。