会員しか入れないっていう、その会員になるにはお金がとてもたくさんいるような、そんな会員専用のレストランへ。
ラッキーな話です。
周りをぐるっと見渡したところ、日本だったらウン十万になるようなシルクやコットンのサリーを身に付けた方ばかり。
ラッキーな話です、ほんと。
上品な料理だらけ。
どんな話の流れでだったか忘れましたが、ご招待してくださった先生がおっしゃいました。
「あなた達、日本語教師の方が関わっている、つまりインドで日本語を勉強しているような層というのは、インド全体のたった28%でしかなく、その28%だけをみているのよ。残りはこの方(私のことです)が体験しているような、インドなのよ。」と。
28%をどうとらえていいのか、ダモーに帰る電車で考えてみたのですが、よくわからない。
それもインドで、これもインド。
日本なら、そうそう相違がないことも、広くて格差がありすぎるインドでは、まるで別世界になってしまう。
それがいつしか
”自分のみてきたインドは、一体どういうことだったのか”
っていう考えに変わっていきました。
住んでいても、たまに疑うんです。
ここは、一体どこだろう、インドは実在するのか、って。
いつも寝ると次の朝には大都会デリーに変わっている夜行列車は、私にとってどこでもドアであり、同じく寝るとダモーに帰ってくる列車は、過去の時代に戻るタイムマシーンのようなのです。
私にとっては、わけがわからず、奥が深すぎて、現実のような非現実のようなシチュエーションがありすぎて、どっちが ”リアル” かわからなくなるっていう、そういうことを感じる国です。
だから、旅行者の方が言われているような、不思議さやスピリチュアルなインドともまた違う。
そういうのは、楽しい側面(旅行という娯楽という意味)でしか見えてこないのかもしれないな、と。
もちろん、それでいいんです。
私だってよくわからないし、別に知らなくていいこともいっぱいあるけど、とにかく貴重なことなんだっていうことに、やっと実感として気づき始めているということです。
そしてやはり、インドに足を踏み入れる日本人は大勢いるけれど、その中でも非常に貴重な部類に入るのではないかとこの2年を振り返ったわけです。
インドに住む日本人に、いっくら説明しても共感してもらえないことが多々ありすぎて、私がかなりの共通項を持って会話ができたのは、一緒に仕事をさせてもらっていた専門家のお2人だけでした。
あとは、インドの田舎の習慣や文化(この場合は私の州周辺)ことを潜在的に把握しているインド人だけでした。
なぜなら。
まず、旅行者は観光地を訪れるし、どれだけ長く観光地または観光地でないところに滞在したとしても、それは旅行でしかなく、生活に必要なこと(たとえば普通の人がする買い物の仕方、お祈りの仕方、食べ物の食べ方、親のしつけ方、家族の在り方、学校、病院・・・etc)が見えにくい。
これは、私みたいなボランティアなら多くの国で体験していることかもしれないな、とも思いますが、都市生活だと日本のように個人プレーが多く、なかなか見えづらい。
そういう意味で、非常に貴重な経験です。
何になるわけでもないかもしれませんが。
あとは、田舎で仕事をしているとはいえ、こんな本当に、何にもなく、外国どころかデリーにすら縁もゆかりもないようなところに住む人は嫁入りぐらいしか機会がなく、そんなこと安全面から考えても個人で入ることはできないし、知る限りは一人もいません。
インドは、インド人は世界ーの人口になろうとしており、そして世界に進出している人もたくさんいますが、性格の傾向から言うと非常に保守的な部類の人達ではないかと思います。
そんな国の田舎町に、仮に物好きの日本人が一人で住むとなれば、それは非常に困難なことも出てくるのかと。
私も、J〇〇Aという後ろ盾がなければ困っただろうなと思うことが多々。
大きな格差も無い分、教育を受けていない人や貧困層が多く、彼らと接する機会があまりに多くそれらに日常的に出会うこと。
最貧困州に指定されるはずだ、ということを肌で実感していくたびに、これらが頭で整理される日はくるんだろうかと思う体験と情報に溢れるのです。
ほとんどの人は、妊婦検診を受けずに突然やってきます。
「どうして受けなかったの?」と聞くと、
「注射(破傷風の予防接種です)はしたよ」と。
「でも、血圧も高いし、赤ちゃんも逆子だよ。お産は何があるかわかんないから、検診は受けないと」っていうと。
「大丈夫よ。みた感じ。」って、自信満々で譲らない。
みた感じで大丈夫なら、病院はいらないんですが、ハイハイハイハイと言われて話が通じない。
お金なんてかからないんですよ。タダです。
でも来ない。
亡くなって、その事実を嘆くけど、それが検診を受けたからどうなるっていうところに結びつかない。
それは、検診する側にも原因がありますが、あまりに複雑に絡み合う原因に頭が痛くなります。
でも、そのヒモを解く必要はどこまであるんでしょうか。
そしてその鍵は、私達が握っているんでしょうか。
それともインド人か。
結局やっぱり、孫悟空なんですよ。
一生懸命頑張って飛び回って頑張っても、そこはお釈迦様の手のひら。
やっぱりそうだな、って思って。
だったら、飛ぶことに意味があるのか、っていうのは、生きてる意味を考えるぐらい難しい。
私がこんな誰も知らないインドを体験することになったのは、一体どういうことだったんでしょうか。
28%の人々も、知らないインド。
ただ、意味はなくても良かった、期限付きの2年がここで。
やっぱり都会はエンターテイメントで溢れているけど、ここは帰ってくると安心する。
笑顔で去る勇気はありません。
「なんで帰るの?」って言われて、涙が出そうで無言になってしまった昨日。
一体何人もの人と別れないといけないんだろう。
最後は話が大きくズレましたが、今から別れが悲しい。