Theme of the blog

晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-06-26

28%

この間デリーに遊びに行った時、インドで日本語教育に携わっているみなさんと一緒にお食事に招待していただきました。
会員しか入れないっていう、その会員になるにはお金がとてもたくさんいるような、そんな会員専用のレストランへ。
ラッキーな話です。
周りをぐるっと見渡したところ、日本だったらウン十万になるようなシルクやコットンのサリーを身に付けた方ばかり。
ラッキーな話です、ほんと。
上品な料理だらけ。


どんな話の流れでだったか忘れましたが、ご招待してくださった先生がおっしゃいました。
「あなた達、日本語教師の方が関わっている、つまりインドで日本語を勉強しているような層というのは、インド全体のたった28%でしかなく、その28%だけをみているのよ。残りはこの方(私のことです)が体験しているような、インドなのよ。」と。

28%をどうとらえていいのか、ダモーに帰る電車で考えてみたのですが、よくわからない。
それもインドで、これもインド。
日本なら、そうそう相違がないことも、広くて格差がありすぎるインドでは、まるで別世界になってしまう。
それがいつしか
”自分のみてきたインドは、一体どういうことだったのか”
 っていう考えに変わっていきました。

住んでいても、たまに疑うんです。
ここは、一体どこだろう、インドは実在するのか、って。
いつも寝ると次の朝には大都会デリーに変わっている夜行列車は、私にとってどこでもドアであり、同じく寝るとダモーに帰ってくる列車は、過去の時代に戻るタイムマシーンのようなのです。
私にとっては、わけがわからず、奥が深すぎて、現実のような非現実のようなシチュエーションがありすぎて、どっちが ”リアル” かわからなくなるっていう、そういうことを感じる国です。
だから、旅行者の方が言われているような、不思議さやスピリチュアルなインドともまた違う。
そういうのは、楽しい側面(旅行という娯楽という意味)でしか見えてこないのかもしれないな、と。
もちろん、それでいいんです。
私だってよくわからないし、別に知らなくていいこともいっぱいあるけど、とにかく貴重なことなんだっていうことに、やっと実感として気づき始めているということです。


そしてやはり、インドに足を踏み入れる日本人は大勢いるけれど、その中でも非常に貴重な部類に入るのではないかとこの2年を振り返ったわけです。
インドに住む日本人に、いっくら説明しても共感してもらえないことが多々ありすぎて、私がかなりの共通項を持って会話ができたのは、一緒に仕事をさせてもらっていた専門家のお2人だけでした。
あとは、インドの田舎の習慣や文化(この場合は私の州周辺)ことを潜在的に把握しているインド人だけでした。


なぜなら。
まず、旅行者は観光地を訪れるし、どれだけ長く観光地または観光地でないところに滞在したとしても、それは旅行でしかなく、生活に必要なこと(たとえば普通の人がする買い物の仕方、お祈りの仕方、食べ物の食べ方、親のしつけ方、家族の在り方、学校、病院・・・etc)が見えにくい。
これは、私みたいなボランティアなら多くの国で体験していることかもしれないな、とも思いますが、都市生活だと日本のように個人プレーが多く、なかなか見えづらい。
そういう意味で、非常に貴重な経験です。
何になるわけでもないかもしれませんが。

あとは、田舎で仕事をしているとはいえ、こんな本当に、何にもなく、外国どころかデリーにすら縁もゆかりもないようなところに住む人は嫁入りぐらいしか機会がなく、そんなこと安全面から考えても個人で入ることはできないし、知る限りは一人もいません。
インドは、インド人は世界ーの人口になろうとしており、そして世界に進出している人もたくさんいますが、性格の傾向から言うと非常に保守的な部類の人達ではないかと思います。
そんな国の田舎町に、仮に物好きの日本人が一人で住むとなれば、それは非常に困難なことも出てくるのかと。
私も、J〇〇Aという後ろ盾がなければ困っただろうなと思うことが多々。

大きな格差も無い分、教育を受けていない人や貧困層が多く、彼らと接する機会があまりに多くそれらに日常的に出会うこと。
最貧困州に指定されるはずだ、ということを肌で実感していくたびに、これらが頭で整理される日はくるんだろうかと思う体験と情報に溢れるのです。


ほとんどの人は、妊婦検診を受けずに突然やってきます。
「どうして受けなかったの?」と聞くと、
「注射(破傷風の予防接種です)はしたよ」と。
「でも、血圧も高いし、赤ちゃんも逆子だよ。お産は何があるかわかんないから、検診は受けないと」っていうと。
「大丈夫よ。みた感じ。」って、自信満々で譲らない。
みた感じで大丈夫なら、病院はいらないんですが、ハイハイハイハイと言われて話が通じない。
お金なんてかからないんですよ。タダです。
でも来ない。
亡くなって、その事実を嘆くけど、それが検診を受けたからどうなるっていうところに結びつかない。
それは、検診する側にも原因がありますが、あまりに複雑に絡み合う原因に頭が痛くなります。


でも、そのヒモを解く必要はどこまであるんでしょうか。
そしてその鍵は、私達が握っているんでしょうか。
それともインド人か。


結局やっぱり、孫悟空なんですよ。
一生懸命頑張って飛び回って頑張っても、そこはお釈迦様の手のひら。
やっぱりそうだな、って思って。

だったら、飛ぶことに意味があるのか、っていうのは、生きてる意味を考えるぐらい難しい。



私がこんな誰も知らないインドを体験することになったのは、一体どういうことだったんでしょうか。
28%の人々も、知らないインド。
ただ、意味はなくても良かった、期限付きの2年がここで。
やっぱり都会はエンターテイメントで溢れているけど、ここは帰ってくると安心する。


笑顔で去る勇気はありません。
「なんで帰るの?」って言われて、涙が出そうで無言になってしまった昨日。
一体何人もの人と別れないといけないんだろう。

最後は話が大きくズレましたが、今から別れが悲しい。

2011-06-23

酷暑終わり、雨季です。

ぎゃ。
気づいたら1カ月以上、書いていませんでした。
訪問してくださっていたかた、すみませんでした。
ちょっと、デリー北の避暑地に旅行してました。2週間ほど。



















































ひさしぶりにダモーへワープしました。
「ひさしぶりー!」って笑い合うと、人と素直に再会する喜びを感じて、あんなに ”都会が楽しすぎて、もう帰りたくない” って思った感情も、スルっと脱げて落ち着いてしまうのでした。
野菜の人も、近所の人も、鍵かかってるから日本帰ったかと思ったーって言ってたけど、そんなに近くないんだな、これが。


私が涼んでいようが、どしゃぶりの雨が降ろうが、人がひっきりなしに生まれています、はい、今日も。
”止まらずに 溢れ出てくるインド人。 混雑は 車両のせいか ヒトのせいか”


数日前から始まった雨季。
おかげで気温はぐっと落ち込み、日本の初夏のような感じです。
今年は例年よりずっと激しい雨らしく、突然はじまった雨季で、道路が寸断されました。
我が家も驚愕の事実が起こったのですが、とても公表できるような内容ではないので、知りたい方にはお伝えします。
人生で二度とない体験でした。



美しく、涼しい避暑地の写真とは裏腹に、ちょっとモヤモヤを一つ。



「ちょっと聞いてよ。」

そう言って、今日の日勤のカトリー・シスターが言いました。

「こないださ、
読み書きもできるような人でさ、
ジャバルプール(車で3時間半の小都市)で超音波やってきたっていう妊婦と家族がいたんだけどさ。
名字もティワリでさ(上位カーストだよっていう意味)。
なのに、超音波で女の子ってわかったからって、中絶しに来たよ。
こんくらいの子でさー。」

と、両手で20cmぐらいにして。

「さっきだって、真ん中のベッドで生まれた子の家族泣いてたよね。女はいやだって。」


ここではよくあることだけど、これは深刻で、結局国民が6:4くらいで男が多くなってきているらしい。
インドで、お嫁がいなくなります。


衝撃な話は、まだまだたくさんあるのですが、うまく頭がまわりません。

一つ言えることは。

インドはお金がないわけではないだろうに、その使い方も、政策の立て方も、なにもかも、現場を知らないお金持ちが考えているから、何もうまくいかないのだと。
少なからず、どの国もそういうことはありますが、人間が飛ぶ鳥の風の感じ方を知らないように、
改善を試みる上層部の人達は、貧困層の生活のその現状を想像すらできない。
知ろうともしない。
村のベッドで寝る勇気があるような本物は、この国では望めないのか。

また時に、村の人々の価値観は、あまりに現代の私達のソレとかけ離れており、会話がままならないこともあります。
戦国時代の人に、メールの説明をしているような気分。
具体例はまたの機会に。
結構大変です。



なんとも歯がゆく、不効率な話だらけ。


頭が仕事モードに戻った私は、ただの小さな国からやってきた一般の私にもわかることが、どうしてこの国の幹部はわからないのだろうと、やがて女が消えるかもしれないことも結局どうでもいいと思っているのかもしれないと、そんな一例を耳にして、遠くをみつめるしかなくなるのです。



帰国まであと、97日。
まあいっか、なんて思いながら、カレーを食べる。