知り合いの家でくつろいでた時、何度か顔は合わせている食器洗い係のおばあちゃんと話す機会がありました。
おばあちゃん:「どこの村からきたの?」
私:「ニホンって言って、遠いところ。違う国だよ。」
おばあちゃん:「ダモーのどの辺?」
私:「ええっと・・・・。ダモーじゃないよ?ダモーの外。」
おばあちゃん:「ボパール?(ここから電車で7時間の州都)」
私:「いや、ボパールよりずっと遠いの。インドじゃないんだよ? インドの外!違う国なの。」
それを横で聞いていた、おばあちゃんの雇い主であるその知り合いが言いました。
「彼女はね、インドに住んでるってこと、知らないんだよ。
インドという存在を知らないし、インドが国だっていうことも、”国”っていう概念も知らないの。
ダモーから出たことなくって、彼女の生活は生まれてからずっとダモーの中で、目の前の食器を洗って、目の前の子どもを養って、食べて生きてきてるの。
自分がインド人だとか、インドという国があるとか、インド以外にどんな国があるとか、そんなこときっと関係ないというか、想像できないんだろうね。」
”生きる” のに、必要なことは、人それぞれなんだろうけど、”生きている”ことにはみんな変わりないんだろうなと思います。
私達の話を、くしゃーっとした笑顔で聞きながらうなずき、
「さ、洗ってきますね」と、サリ―をまくしあげた細すぎる体で家の奥に入っていきました。
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