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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-05-18

油断も隙もない!

注:食事中には読まない方がいいと思います。


相変わらず、ネズミさんがどっからやってきてるのか、ウ○チを毎朝定位置になさっている。
暑くて水ばっか飲むものだから、夜中にトイレに行こうとパチっと電気をつけると、Gの活動タイム。
夜中に無心で殺す私、「強くなったのか、慣れたのか、はあ・・・」と言って、また眠る。
気付いたら、身長わずか3cmぐらいのチビやもりを、少なくとも3匹飼っていることになった。
いずれすぐに大人になることを考えると、気分は盛り下がる・・・。

古くて隙間だらけだし、っていうかなんてったって大自然だし、暑いし、ある程度もう共存は仕方ないし、特に害もなければ取り立てて騒ぎもしない。
これでも必死に掃除してるんですヨ!効果特になしです。

だから、たいていのことにはもうビックリしたり、ギャっ とか言わなくなってきた。
ある程度、いるかいないか予測もつくし、いるかなーって思ったら、事前にバンバンって足音立てると逃げてくれるし。

しかーし。
大事な大事な水フィルターの、濾過されたお部屋をのぞいたときに、アリがたくさん浮いていたとき。
この悲しみは、誰と共有すればいいんでしょう。
新しく買ってきて、ちなみにどうかな~♪って、試しに開けて本当に良かった。
何杯かは、きっとアリさんも飲んだけど。
ま、胃にアリの巣作ったりはしないだろうから、よしとしよう。
でも、それから見るたんびに入っている。
もうーー!どっからはいるのさ。
1mmにも満たない、茶色の点のようなアリ。
キッチンテーブルは黒っぽい石だから、見えないし。
もはや彼らの入れないところはないんだな、きっと。
フィルターに水を貯めっぱなしにはせず、濾過したらすぐにせっせとペットボトルへ詰め替えることにした。

「ったく。チッ」と思って、今夜も翌日の水作りをしながら。
ふと、その横の米びつ代わりの透明なプラスチック製瓶を見る。
なんか、く・ろ・い
く・ろ・いのが、ちっさいのが・・・・動いてますよね。
フタはネジ式の完全密閉なその空間。
外から入りこむのは不可能。
「・・・・」
もういやだーー!

私がバカだったんです。
だって、米袋に入った米しか買ったことなかったから、日本では!
米=キレイ、に決まってるって思ってた。
んなわけなかった。
そりゃそうだ。
秤売りでのあの店が、どうお世辞を言ったってキレイなわけないし、むしろ激汚いわけで。
人の家に行くと、やったらみんな米とか麦とかお皿に乗っけて、話しながら触ってるなーって思ってたのに気付けなかった。
みんな、余計な物を取り除いてたんですね。
おかげで、炊きあがった虫とか、炊きあがったその幼虫とか食べてたワタシ。。。
ガックリ。
で、意固地になって虫探しをするが、その度に大事な米がサラサラーとかこぼれてしまって、イライラMAXに。
「こんな夜中にやっても仕方ない、どうせ、食べてきたんだし!
と思い、明日仕事から帰ってきたら、真っ先に米一粒一粒調べてやる!と思って、キッチンの電気を消しました。

ったく、油断も隙もないよ、田舎ってやつは。
油断と隙だらけの生活、懐かしいし、ありがたい。

2010-05-16

おそらく永遠に議論され続けるテーマ


先日、日本人スタッフから読むといいと言われて一冊の本を読んだ。
厳密には、上下で2冊。












インドでは非常に有名なこのプーラン・デヴィという彼女は、下層カーストに生まれ、筆舌に尽くしがたい暴行や差別を受けて、ダコイットと言われる盗賊になり、最終的には国会議員にまでなった女性だ。
一見、差別を受けている人が立ちあがる、ある種聞いたことのあるドキュメンタリーの様に思うかも知れないが、そこには想像を絶するカースト制度の裏側と、インド農村部における女性の実態が描かれていた。

おそらく何百年もたいして大きくは変わってないんじゃないか、と思われるインド。
ITが進んだとか、そういう話ではない。
昔の面影がそろそろ完全に消えようとしている日本のような国ではなく、ずっと根強い慣習や伝統や文化といったものがそこにあるように感じるインド。
そして、私の住む町のさらに郊外は、本に描かれているような生活風景と今もなんら変わりはない。
女性達は、毎朝頭に大きな瓶を2つものせて井戸水を汲んで歩いているし、川で洗濯して、牛糞を手でまるめて乾かしている。
一つも変わってないと思う。

だから、とてもいい面もあり、だから、とても悲しい側面もある。


この女性は、ちょうど私の母と同じ世代に生まれている。

つまり、当の昔の話ではない。
そして、やはりたいして変わってないインドのことだから、きっと今も無数に第二のプーランがいるはずだと思っている。


カーストが、悪いとか良いとか、そういうことはどうしてか、私にはどうも意見できない。
おそらく、インドに来たことがなくって、インドのことを全く知らなくって、よその国で生活していた時に、カースト制度の話を聞いたら、”なんてひどい制度だ!”と憤慨していたのかもしれないけれど。
そんな風には、簡単に言えるような問題じゃない、って、それだけはわかるような気がする。

「人の値打ち」    江口いと

何時かもんぺをはいて
バスに乗ったら
隣座席の人は私を
おばはんと呼んだ

戦時中よくはいたこの活動的なものを
どうやらこの人は年寄りの
着物とおもっているらしい

よそ行きの着物に羽織を着て
汽車に乗ったら
人は私を奥さんと呼んだ
どうやら人の値打ちは
着物で決まるらしい

講演がある
何々大学の先生だと言えば
内容が悪くても
人々は耳をすませて聴き
良かったと言う
どうやら人の値打ちは
肩書きで決まるらしい

名も無い人の講演には
人々はそわそわして帰りを急ぐ
どうやら人の値打ちは
学歴で決まるらしい

立派な家の娘さんが
部落にお嫁に来る
でも生まれた子供はやっぱり
部落の子だと言われる
どうやら人の値打ちは
生まれた所によって決まるらしい

人々はいつの日
このあやまちに気付くであろうか


インドは、着るものや、話し方や、学歴や、肩書きや、しいてはもちろん名字や職業や場所で瞬時に扱いが決まってしまう。
それは差別ではなく、男女が違うように、まさに「区別」のように浸透している。

それって嫌だよね、とか。
それって最低、とか。
間違ってる、とか。
そういうことを発言するのは、簡単なことだ。

私だって、そう思わないわけではないけど、でもちょっと待って、とも思う。


日本にも、いろんな差別も区別もある。
見せないように取り繕っているだけで。
人間がみんなで住む限り、社会がある限り、そういう問題ってずっとあるんじゃないかな。
ましてや、宗教がそれに関与していれば、なおさらのこと。
制度や改革では、人の根本的な思想というのは変えられず、何人か寄れば必然的に形成されていく社会の構図は、ある程度仕方ないとも思う。

大事なのは、わからなくってもいいから、考えたり関心を持ったりすることと、
大切な人は、ちゃんと大切にするってことかな。


未熟な私は、その程度の答えしか出せなかった。
残念だけど。

2010-05-07

県病院の次の規模にあたる、小規模な病院へ今日はまた足を運んだ。
ナースは4人、病床は20床程だ。
県内に7つあるそれらは、だいたいここから2時間程のところ。
その一つへ。

3人目の子をお腹に抱えたお母さんがやってきた。
子宮口は3cm。
お腹のすいた午後2時半。
陣痛がきたらすぐに電話してもらうようナースに伝えて、そとへ食事に出た。
ちょうど昼食をとり終わり、さあ右手を洗おうってときに、携帯が鳴り、まだカレーがついてるんじゃないかって思いながら超特急で戻る。
地下の売店に行ったと思ったとたん、PHSで病棟から呼び戻されたあの昼休みの時間を思いだして、少し懐かしかった。

暑いこの時期。
フル回転させて風を起こす天井のファンを産まれてくる赤ちゃんのために止め、一つ一つの言葉を紡ぐようにキレイに話し、動線がきれいで、素早いがぬかりなく丁寧。
決して焦らず、出てきたいように出てくる赤ちゃんと対話をしながら、そっと手を添えるようにお産をとった。
この世界は頭のキレ味とセンスのいる、まさにアートの世界だと思うが、彼女は立派なアーティストだった。












なんて、ひどいお産なんだと、悔し涙に悲し涙。
そんなお産をずっとみてきたここインド。
勉強したことを素直に受け止め、仲間と手を取り合い、お母さんと赤ちゃんのためを思った助産をしている姿を初めてみて、嬉しいという言葉では足りないぐらいの感動を覚えて、言葉が出てこなかった。
きっと普段は誰もそれを見てはくれていないはず。
それでも一生懸命、使命感や好きという気持ちや、なんらかの思いでやってきたんだろうな。
精一杯のヒンディー語で、精一杯の感動を伝えたつもりだ。
彼女のさらなる前進の動機づけとなってくれれば嬉しいし、もっともっと関わりたいって、私、一助産師としてそう思った。

素敵なお産をみせてもらった帰り道。
真っ黒で逝ったあの子や、目を閉じることもできずに逝ったあの子や、むくみきった体で横たわったあの子達が、あたまの中に一気によみがえってきて、今日生まれたその子の命の尊さを思い、なんだかボロボロ泣けてしまった。
走らせる車の外は、ずーーーっとずーーーっと遠くまで続く地平線に向かって、砂埃が舞っている。
やってきては、去っていく。
去っていっては、やってくる。
時や風のように。

インドで初めての、突風が吹いている今晩。
電気はさっきからチカチカチカチカしている。
停電かな。
今日のあの子の命もこんな風に力強かったな。














窓がガタガタ言ってます。
”また、やってくる”

インドの助産師さんと一緒に、やっぱり頑張ってみよう。
夢膨らむこれからに、来てよかったと一番強く思えた日でした。