世界で9番目だそうです。
あのアメリカでさえ40番台だそうです。
死ぬことよりもずっと苦しいように感じるぐらの苦しみと闘いながら生きるのは、大変なことだと正直思うこともあります。
そう、思わないわけではない、ということ。
人間は誰だって、弱いから。
それでも、生きようと思うことができるのは、それだけで自分はなんと幸福なんだろうと周囲に感謝するのです。
仕事は全くできないのだけれど、病院の外来にいつも笑顔で座っていた看護助手的な存在のヒラというおばさんがいます。
本当に朗らかで、私にもいつも変わらずニコニコ話かけてくれていました。
月曜日、病院に行って聞きました。
ヒラの長女が亡くなったと。
19歳だったそうです。
よく聞くと、毒を飲んで自殺したそう。
”エンジニアの学士の勉強中”というのは、中~上流階級を表す単語の代名詞みたいなもので、これは想像に過ぎませんが、ヒラのような地位のお母さんの家系では、おそらく ”頑張って” その大学に入っていた状態。
「長女はエンジニアの勉強中で、次女には看護の学士をとらせている最中。自分は教育をちゃんと受けられなかったから」と、とても自慢気だったのです。いつも。
その長女が自殺した。
小学校の頃から、進級試験が非常に厳しいとされるインドの学校教育。
彼女が自殺をした原因も、大学での試験・単位に関わることだったようです。
日本人のあなたなら、どう感じますか。
”そんなことで・・・”と。
やはり思うでしょうか。
貧しい家庭、ギリギリの家庭。
インドのカースト制度、格差社会のループから抜け出すには、学歴をつけて、のし上がるしかない。
家族を幸せにできるかどうかは、自分のこの手にかかってる。
学歴もなく、カーストも低ければ、一生貧困からは抜け出せない。
経済発展が著しい今のインドで、若い世代がそこに人生をかけているのです。
つまり、親が家計を詰めに詰めてお金を払ってもらい入った大学で、自分が滞りなく卒業し、問題なく就職するところまでいったら格差をきっと踏み倒せる。
でも逆の場合は、木端微塵になってしまうのです。
詳しい理由はわかりません。
ただ、彼女はその大学での進級につまづいてしまった。
毒を飲むほどの苦しみ。
大好きな家族を置いてまで、逝ってしまいたいと思うその苦しみ。
インドは世界で40番台前半だそうですが、10代の自殺率が極めて高いそうです。
そして特徴的な、10代に限らない理由。
農作物の収穫期、不作を苦にする集団自殺と、進級時期に増える自殺、そして異カースト間では許されない禁断の恋愛を理由にする自殺。
私がインドに来てから、身近な人の例を聞いて、これで4件目です。
外来に貼ってある、雑誌の切り抜きみたいな神様の絵にまでいつもお祈りしていた、ヒラ。
笑顔が絶えなかった、ヒラ。
貧困よりももっと深い悲しみに包まれているのでは、と胸が痛くて張り裂けそうです。
”そんなことで” と思える私達。
”選択” という道がある私達。
”自殺する彼女の気持ちを想像できない”
それだけで、とても幸福なことなのだと思います。