一応、英語とヒンディー語が主要公用語で、全部では2000を超える言語が存在するインド。
現代はまだまだイギリス統治時代の影響が残っており、英語の単語が頻繁に使用されている、または英語がたくさん話されています。
もちろん南北の人が話すときは、英語になるし、初対面や公式の場は英語だったりします。
中流以上になると、政府のヒンディー語学校ではなく、English medium と言って、私立のヒンディー語の授業以外全て英語で行われる学校へ進学します。
学校は英語、家はヒンディー語、読むのは英語の方が早い、頭ではどっちも考える・・・・などなど。
デリーやムンバイなど、メトロポリタンシティになると、英語を母語として育つ若者は増加中であり、テレビ番組でさえ、ヒンディー語と英語がごっちゃまぜのことがあります。
”I think こっちのほうがいいと思う。Isn't it? "
”私思うのよ・・・you are so 優しい!”
みたいな・・・ルー○柴さんもついていけない感じで。
で、本人達ももう全然わかってない。
途中で英語とヒンディー語が入れ替わり立ち替わりしていることに。
これ都会の話です。
ただ、全国的に、英語話せる=ステータス ですね。
さて。
私の任地、田舎では。
もちろん、English Medium も存在しますし、ある一定以上の教育を受けている人は、英語を操ります。
でもたいてい若者だし、貧困層が多いこの地域では多数派ではありません。
ただですね、日本人も外来語が多いように、たとえ田舎でも外来語はたくさん。
しかし、患者である下層の人や村の人はその簡単な外来語すら知らないので、そこはヒンディー語を知っていないといけません。
つまり何が言いたいのかというと。
そうやって、若者と話すときに、
例えば日本語でいうと、
スプーンを さじ と言う人はもうあまりいないし、
ティッシュを ちり紙 と言う人もいないし、
ネックレスを 首飾り と言ったり、
トイレを 厠 と言ったりしませんよね。
それは、名詞だけに限らず、
フレンドリーな人だ!とか、
ま、Anyway、それはEasyじゃないProblemだよね。とか、
都会よりやや大人しめのルーさんになってくるのです。
でも、村の人や患者さんは、トイレを厠と言ってあげないとわからなかったり、逆に彼女達が話している単語を知っていないといけない。
12月は師走と言わないと通じない、と言った具合です。
ちなみに、村の方々は方言がひどいので、そちらのリスニングはいまだ困難。
で、そうしているうちにたまに私はわけがわからなくなって、いまどきの女の子を相手に、たとえばの話、
「そのさじ、誰の?」
とか、言ってしまい
「あーははは!!”さじ”だって!! (爆笑)」
みたいな事態になってしまう・・・。
外国人が言うと、もっと面白いんでしょうね。
言葉は生きているので、変化し続けるんでしょう。
英語とヒンディー語と、方言と時間軸の間で、アラサーの頭はたまに疲弊してしまうのでした。