現代の日本では、99%の人がお産のときになんらかの施設と言われる家ではない場所で赤ちゃんを産んでいます。
詳しい話は今回はしません。
が、つまり日本のお産の大抵の場合、正常なお産でさえ少なくとも2人の介助によりお産を支えています。
そして突然、”正常”から”異常”に変わることがある産科は、お母さんや赤ちゃんに何かあったら総出の人数を必要とします。
命も2つなので、それなりの人数が。
産科救急の世界は、救急と同じく一刻を争い、そして最大の幸せが最大の不幸へと移りゆく可能性の間の時間を通りぬけるので、特殊な感情と映像が行き交っている世界のような気がします。
指示を出す人。
指示された物品や血を運ぶ人。
注射をどんどん開封していく人。
それを吸いあげ投与していく人。
状態を観察する人。
他科に連絡する人。
オペの準備に備える人。
起こっている事実を分単位で記録していく人。
封を切られた様々なモノのゴミを片付けていく人。
茫然とたちつくす旦那さんを気遣う人。
人手がとられてそこだけにスタッフが集中している間に残された他の患者さんを気遣う人。
チームワークと、スピード、急いでいても失敗は許されず、適切な処置と心のケアを必要とされ。
赤ちゃんが生まれていれば赤ちゃんを同時にケアし、生まれていなければもっと大変で。
とにかく、お産という現場に慣れている私達でさえ、緊張感が心臓を突き破るのではないかと思うほどの空気が流れ、そして2時間が2分ぐらいにしか感じられないスピードと、終わった後の雑然とした部屋の汚れと疲労感が残ります。
普段は忘れていても、ふとしたときに思いだし、あのときのアレはアレで良かったのか、という医療者なら誰しも経験したことがある感情の一つに捉われたり。
そうして、いつまでもまるでドラマの騒然とした映像のように
赤ちゃんに管を入れる仲間の医師の横顔がずっと残っていたり、血まみれになって大声で指示を出し続ける産科の医師の姿を思い出したり。
大多数の、穏やかで笑顔溢れる、究極に幸せな出産の影で、稀にこういうことが起こったり。
ただ静かに消えゆく命や生まれる前に眠ってしまった命のお手伝いをさせてもらっています。
私達。
それを。
ここにきて、たった一人で何度経験したかわかりません。
分娩室にナースが配属されるまでは。
突然お産への遭遇、どうしようもない死、限られた処置とたった一人で必死で目の前の小さな命への蘇生。
そのたんびに、”なにやってるんだろう”っていう気持ちになり、助からなくてはおお泣きし、何に怒っていいのかわからず。
だって、インドに来ていなかったらきっと一人っきりで遭遇することもなかったし、その映像と悲しみを一人で処理する必要もなかった。
人の死を見たくなれば、赤ちゃんの死に会いたくなければ、いますぐこんな仕事辞めればいいんです。
別に誰も文句言わない。
殺すために、助産をしているわけじゃないのになと思い。
でもどうしようもない、だってここは日本じゃないからと思い。
でもじゃあどうしてここに来たんだって思い。
ふとしたときに映像がとめどなく流れ、辛さでどうしようもなくなってしまいます。
でも、
数え切れない悲しみを、1のプラスにするために、マイナス感情をぎゅっと固めて「動機」にすることだけが現状を変えられる唯一の手段。
それでも、インドの数値の歴史には0.1の変化すらないかもしれない。
でも、インド人、いえ、友人である同僚達の心の中に残っていってほしい。
そう思いながら。
今日、病院を出る前に忘れ物を思い出して、もう一度研修の部屋へ戻った時。
もう授業は終わって次の勤務まで休んでていいのに、机に向かって一生懸命勉強している同僚の後ろ姿がありました。
笑って、
「カナ。いつでも準備はできてるからね」って言ってくれた。
ねえ、言葉も文化も違うけど、伝わってるの?
明日の1と、10年後のココの100の可能性を想って嬉し涙が出たこの気持ち、みなさんにも伝わるかな。
逆に、言葉でしか伝えられないけど。