朝6時頃になると、井戸の周りで子どもたちの高い声と、井戸を引くガシャンガシャンという音が始まる。
子どものヒンディー語は難しいが、私の夢の中で楽しそうに聞こえる。
隣の家だ。
おじいちゃんとおばあちゃん、そのお嫁さん辺りまでしか見たことがないけど、どうやらお孫さんがいる様子。
その割には小さい様子。
家族が医者だったり、アメリカにいるような上層のお家柄。
ときどき、そのじいちゃんばあちゃんと軒先で談笑する。
このあいだ、初めてお家の中へ案内された。
奥からいつもの子どもたちの声。
キッチンからだった。
入ると、びっくりしたように丸い目をしてジッとみつめてきた。
10歳ぐらいのお姉ちゃんは2人、床に座り野菜を切っていた。
5歳ぐらいの女の子は、はだしで床を掃いていた。
お孫さんなんかじゃなかった。
れっきとしたお手伝いさんだった。
横の寝室には、里帰り中のそのまたお嫁さんと2カ月の赤ちゃん。
綺麗なおくるみにくるまれて、笑顔をたくさん注がれていた。
先日、裏のお世話になっているご家庭の、5歳になる女の子の誕生日会に行った。
小学生あたりのこどもたち、キラキラお姫様ドレスの子、きゃあきゃあ言ってカレーを頬張る。
3人だけ、とってもみすぼらしい服を着た子達がいた。
その家の19歳のお手伝いさんの妹と弟ちゃん達だ。
今日は夜にも働くことになった、模様しモノもあるので、ということか、お姉ちゃんの元へやってきていた。
はだしで、髪がぼさぼさの女の子、笑顔だけはめちゃめちゃかわいかった。
緊張からか、立場がわかるのか、振る舞われたゴハンを食べる姿が、子どもとは思えないほど静かだった。
子ども程、空気を読むんだと思う。
髪もサリーもぼろぼろの人しか来ない、ここ政府の県病院。
おそらく雑巾にもしないだろうぐらい汚れたサリーで、我が子を抱く。
お産中も、罵声を浴びせるスタッフ。
位のある人のお産のときも、そんな風に扱うのかな。
スタッフがいない間に、そんな村の人達と話をしてみる。
あたりまえだけど、普通の人達。
人懐っこくて、神様を心から信じ、家族を愛していることが、話からよくわかる。
人間って、平等って日本の学校で習った。
平等じゃなかったの?
子どもはみんな、愛されるものって習った。
愛されるものじゃなかったの?
私には、どうしようもない。
貧困で、物が食べられなくて、死にゆくより、仕事があるだけいいのか。
生きても、勉強もできない、外でも遊べない、親ともいられない。
そしたら、生きるってつまりどういうこと?
死なないために、生きてるの?
日本も貧しい頃は、いろんな辛いことがあったんだろうな。
と、そんなことを恥ずかしながら、ここに来てやっと身近に感じる。
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