両親は2人とも根っからの旅行好き。
当時にしては珍しく、2人は出会う前からそれぞれ海外へ渡航していた。
飛行機にスーツで搭乗していた時代に、ダウンジャケットでネパールへハネムーンに行ったそうだ。
そんな両親の、今日は29回目の結婚記念日。
なので、こんな話を書く。
そんな両親の元に生まれた私は、幸運なことに、幼い頃から国内も国外もいろんなところへ連れていってもらった。
その影響かDNAか知らないが、だから今もインドに来ちゃったりしている。
子ども時代を終えてからも、家族とは別に旅をしてきた。
長く住んだ国もある。
各国に足を運んで、そのたびに思うことが一つある。
以前 「行く理由(7月3日付記事)」にも書いたとおり、もちろん、私のお仕事は助産師なので、そのお仕事関連で今回もインドに住んでいるのだけれど。
それとは別にやはり来ている理由がある。
どこの国に行っても、必ず出会いがある。
たとえそれが旅のように短くあっても、お互い忘れられない友情になることすらある。
「友達がいる国とは、けんかできない」
そのたびに強く感じるこの気持ち。
友達がいない国とはケンカできるという意ではない、もちろん。
思うのは、この気持ちが大切だといつも繰り返し感じること。
国対国、宗教対宗教、民族対民族では平和は生まれない気がする。
平和を生むのは、個人と個人。
どこへ行ってもその国に行く度に思う。
少し違う肌で、ちょっと暑くて遠くて、違う言葉を話しているけど、心は一緒。
優しくて、ちょっと怖がりで、人間らしくて。
個人個人はとても優しく、無垢で明るい人たちが多い。
知らないから怖くて、怖いから攻撃的になるけれど、一人でも愛すべき人がいる町、友達の住む国と闘う気にはとてもなれないと。
その感情が大切なんだと思いながら。
相手を愛すること。知ること。
一人の力はとても小さいけれど、とても強く、個々のつながりは大きな力でさえ及ばない固いものがあると思います。
国と国ではなくて、ひとりひとりがつながっていくことが、お互いを救っていくんだと。
世界中で日本が批判されるようなことがあっても、「でもカナのいる国だから」
そう思ってもらえるように。
世界中でインドが批判されるようなことがあっても、「彼らのいる国だから」
だから、私は戦争しない。
そういう気持ちが生まれれば、誰かが違う国に行ったり関心を持つことに、素敵な意味があるんじゃないか。
ANMのお友達と、バスに乗って遠くの彼女の病院へ行った今日。
彼女と隣り合わせで座って、そんなことを思い返していました。
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