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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-02-22

厳しい毎日

今日もまた赤ちゃんが瀕死だった。
こんなことばっかり書いてると、ほんとに亡くなってばかりのように映るかもしれないけど、本当に亡くなってばかりなのだ。
嘘ではなく。
もともと母体数が多いから多いように見えるのかもしれないけれど。

ちょうど小児科で、小児科医に、新生児の蘇生についてANMを指導してもらっている時だった。
サリーのぼろ布にくるまれた赤ちゃんを抱えたナースが走ってきた。

”実践だ”
と、思い私はANMを連れて行く。
今日のその子は、ふくよかで、ちゃんとお腹でしっかり育ったんだなと一目でわかる子だった。
頭は2倍に膨れあがっていたので、遷延分娩(いわゆる難産)だったんだろうとわかる。
分娩室にはいなかったから詳細はわからないけど、いつもの感じと、分娩室から小児科までの距離を考えても、当に5分は過ぎているはず。
目をパッチリ開いたまま、まばたきもせず、手足をピクリともさせずやってきた。
ちょうど電気がない1時~2時の間に。

小児科医がいるので出る幕もないか、と思いながら見ていたが、なんて素人同然の蘇生なんだろう。
私一人でやった方がよっぽどマシだと思いながら見ていた。
でも、そこはヨソモノが押しのけて入れるような世界ではないのが現実。

15分ぐらい、バギング(酸素を送ること)と心臓マッサージをしたところで、
「ぷはー・・・」とゆっくり呼吸をした。
大人のようにゆっくりの自発呼吸。
体は冷たく、だらんとしている。
ぷはー が何度か続いたところで、蘇生が終わった。
諦めではなくて、安堵で。
今晩死んでしまうか、後遺症が残るか、どんな人生を送るかな・・・と、安堵するみんなの横で一人考えていた。
赤ちゃんの外表所見と、状態から見て、やはり今回も分娩経過で起こった仮死だろう。

わからないけど。
日本でもそういうことはあるから、何が原因か今となればわからないけど。

どんな死も必ずやってくるもので、どんな死も悲しいが。
10か月、待ち望んでいた母や家族の愛情や希望への光、しっかり育った赤ちゃんのこれから続くはずだった人生を考えると、「お産での死」というのはなんて残酷なんだろうと毎回思う。


何がいいのかよくわからない。

それでも、今日の蘇生ができるぐらいの物品すら無くて、亡くなった方がマシだったか。
後遺症が残ったって、生きていることが大切か。
早く気付いて帝王切開にしていれば助かったか。
お産をうまく進められるようなケアがわかっていれば起こらなかったか。


生きるって、生かせるって、なんでしょう。
改めて、生死を左右する、尊いがともすれば驕り高ぶってしまう仕事だな、と感じた。
驕ってしまわないように、謙虚に事実をみつめるようにしないと、自分までおかしくなってしまうんじゃないかと考える。
現に、最初の頃のような激しい悲しみが、戸惑いが凍った感情みたいに冷たくなっているのを感じる。
これがプロってことか?
って、臨床に初めて出たあの頃も、よくぐちゃぐちゃに頭をかきまわされたのを思い出す。


今日は隣県へ引っ越しする同期を見送るディナーだったが、ずっとそんなことを考えていたので、心半分で申し訳なかったなと思う。
この場でごめんなさい。


心の底から嬉しいときも、どん底に悲しいときも、自分の感情が一番落ち着いて楽になる曲があるので、
今日もそれを聞いて、休むことにします。


名曲
”チャイコフスキー バイオリン協奏曲ニ長調”

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