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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-03-25

1の問題、100の背景

毎日、あっちいインドからです。
暑くて眠れないから、天井のファンを回しながら寝ると、次はノドが乾きすぎて眠れない。
寝不足でボーっとしますが、まだまだ夏は始まってないそうです(!)

デリーから帰ってきた我が家は、虫さんとかネズミさんとかが好き放題遊んでくれてまして、掃除から始まりました。
ネズミがでない(嬉!)、て思ってると、虫が増える(ネズミさんが食べてくれていたから)
虫が増えるので、ベープみたいなのとか、蚊取り線香で退治する。
そうすると、静かにお亡くなりになっている物体を狙って、蟻がワサワサやってくる。
それでもお亡くなりにならない虫を狙って、ヤモリちゃん達がやってくる。
勘弁してほしい・・・
散々考えた結果、一番害の少ないヤモリちゃんと私は同棲することにしました。
他に申し込んでくれていた方々、すみません。

でもこれが自然ってことなんですね。
ピッカピカの都会に住んでた私はこんな自然のサイクルに無知でした。
ハエすらも出ない、大阪も東京も、本当に不自然なことなんだって実感しています。
ていうか、もう慣れてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が来てから、まともに外来が進んでいるのを見たことがほとんどありません。
だいたい80%ぐらいは成り立たない。
まず、医師がいない。いるけど、足りません。
3人しかいない産婦人科で、婦人科も産科もオペをして、緊急帝王切開もして、回診もして、外来も診ています。
手が空いた人が手が空いたところに行くという感じの回し方。
プライベートなことでも、すぐに休暇はとってしまうし
早退だって、遅刻だってバラッバラです。
今日は、出勤してくるのか、してこないのか、いつもわからない。
こう書くととっても不真面目に見えるかもしれませんが、私が見る限り3人の先生ともとっても頑張っているとは思います。
突然5日休む、とかはあります。確かに・・・
でもこうでもしないと休めないのもよくわかります。
あまりにも業務量が多すぎるうえ、24時間いつだって呼ばれれば病院に行ってます。

そう、そんな中での外来だから、ぜんっぜん進みません。
朝行って、まずそこに人がいればOKです。
たとえ居て、外来が始まったとしてもオペの時間になればたとえまだ患者がいても、ハイ終了ーです。
だいたいは誰もいません。ナースも足りないので、いません。
患者は廊下に溢れてます。

「先生は?」
「今日は誰先生?」
「先生いつくるの?」
「どこ行った?戻ってくる?」
「何時になったら来る?」

「・・・・」
心の声は、”知らなーーーーい!!知らないよ!私が聞きたいよ!”と思うのですが。
患者さん達が不憫すぎて、
「ごめんね、私にはわからない」と答えます。
インド人は
「知らないって言ってんでしょ!私にどうしろって言うの!来ないもんは来ないの!帰れ!」
って言うけど・・・
(ま、これはインドの日常です。一応フォロー)

「多分来ます」と言うと、
「いついついつ?誰がくる?」っていう攻撃に合うし、
だって、私一人じゃ外来できませんし。
で、結局
「今日は先生来ませんでしたー。足りませんでしたー。」
ではまた次回、ってことになる。

こういう国で育ったうえ、いつも我慢を強いられてきたであろうロウカーストの方達が患者さんだから、3時間待った後でもブツブツ言う程度で帰っていきます。

ついでに、実習に来ている看護学生はその3時間ずっとそこに座っているだけだし、
初めて見る外人に質問攻めだし。
私はいいんですけど、私はもっと考えたい、って思ってなんともやりきれなくなるわけです。

どうしようもないな、と思いそのたびに心が痛みます。

今日は、さすがに患者さんがブチ切れました。

私もANMのクラスがないので、久々に外来に座ったわけですが、先生もナースも来ませんでした。
名前だけで、いつも外来の助手代わりにされちゃう家族計画カウンセリング担当の人と
「まったくねー、困りましたよねー」ってずっと世間話しながら待ったわけですが、先生は2人休みで、おひとりオペでした。
って、できるわけないじゃないですか!待ってたのに!

そしたら、赤ちゃんを予防接種に、そして嫁を産後の健診に診せにきた姑さんが、ブチ切れたんですね。
しかも私に。

「なんなんだ!!朝からずっと待ってるのに!先生が来ないって、ここは病院じゃないのか?!だから政府の病院ってヤツは!この子だってずっと泣いてるんだよ!どうしてくれるの?リキシャーだって、20ルピー払って、また帰りも払って帰るんだよ!次いつ来れると思ってるんだよ!・・・(省略)」

こういうときは、言い訳や理屈が通らないのは一番よく知ってます。
日本でも一緒です。(ね、4北のみなさん)
だから
「そっかー、そうですよね、私ももう本当に困るなって思ってるんですよ。朝からずっと待って大変ですよね。うんうんうんうん。・・・・・・うんうんうんうんうん。」
と、続けました。
本当にそう思った気持ちもありましたので。

全く、この外人に言っても仕方ないか、と思ったのか、気持ちが落ち着いたのか、お母様だんだん穏やかになってきて、最後は赤ちゃん抱かせてもらってなんだか私の話をして、彼女達はどこかへ帰っていきました。

めでたしめでたし・・・
でも、なんでもなく!
悲しみのきゅーんとする音と、情けない気持ちでいっぱいでした。


ただ、助けたいだけなのに。
ただ、死んでほしくないだけなのに。
ただ、診たいだけなのに。
貧乏でも命は一緒なのに。


でも、何かが決定的に悪いということだけでは解決できない、いろんな問題があるんです。
政治、教育も、気候も、文化も、経済も、宗教も、いろんなことでバランスをとれないと、なかなかみんなの命は助からない。

一人の命が助かることと、より多くの命が助かること。
後者をとるのが医療者の役目なんでしょうが。



前者でもいいからなんとかしたいな、とずっと考えてます。

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