1年ぶりにパソコン上で再会です。
お互い相手が文字を打っているのも待てず自分も打ち始めてしまうぐらい、思いや近況、愚痴や喜び、悩みや思い出を2時間にも渡り話しこんでしまいました。
”なにしに来たのかって思う日もある”
”なかなか伝わらない”
”帰ったらどうするか”
去年の夏、同じ不安と希望を抱いて長野でともに過した、そのなかでもひときわつながりの強かった助産師仲間のうちの一人。
何も変わっていないようで、そんな中でもいろんなことをお互い吸収しているみたいで本当に嬉しかった。
自分一人、たった2年。
雄大なる地球の、インドの一部の町で、”ただ住んでチャイを飲んでるだけなんじゃないか?”と思う日も含め、存在すること。
目にみえる結果は少なく、そこに残る言葉や思いを伝えてくれることだけを信じて過す日々。
それでも、毎年何千人もの人がそうやって出ていくだけで、少しずつ世界は変わるんじゃないかって、あの長野で出会った訓練生達のことを懐かしく思いました。
いつも主張したいと思っていることがあります。
行動にできなくてもいい、たまにでもいい、真似しなくてもいい。
でも、
”関心をもつこと”
いろんなことに。
新聞を読むだけでもいい。
批判や賛同、怒りや悲しみ、軽蔑や賞賛、なんでもいい。
自分にできることが、自分の毎日を精一杯生きるだったり、自分の家族を思うことだけでもいいと思う。
その中で、できることが必ずあるはずだから。
だから、何かに関心は持ち続けてほしいと思います。
無関心よりずっといい。
いつのまにか、朝だったホンジュラスは昼になり、夜だったインドは夜中になり。
日本だったら朝まで話をしていただろうと思いながら、”あ、向こうはまだ夜じゃないか”と思ったり。
夢中になった現代風おしゃべりを終え、インドの私は眠りにつく直前です。
私が過した朝を彼女はこれから過すのかって思うと
「地球はこうやって廻るのか」
と、思い。
どんな時代もあがり続ける太陽を、お手伝いしているような私達のしごと。
自分の生きる時代の太陽だけはせめて無事に。
ヒトから生まれるヒトという小さな宇宙に感動するよね、と会話の中で共感できたような気がします。
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