昔臨床に出たばかりの頃、一般病棟に居たことがある。
つまり、産科ではなく普通に疾患を持つ人のまさに「病棟」に。
叫び続ける人、顔以外は動かせない人、夜中中ナースコールを押し続ける人、意識はない人。
8時間トイレに行く暇も座る暇もないぐらいヘトヘトになって働いて、そのうち自分があることを忘れかけていることに気付いた。
”目の前の人が、生きている人間だということ”
当たり前のことを忘れさせるぐらい、人間って環境に飲み込まれるものなんだって改めて気付いた。
その自分が悲しくて、情けなくて、何のためにこの仕事をしてるのかって考えた。
「君にわかるのか?毎日天井ばかり見ている気持ちが」
新米ナースだった私には、返す言葉がなかった。
”病は気から”とか言うが、病が故に気を失ってしまうのだ。
もう一度外が見たい、もう一度料理がしたい、もう一度歩いてみたい。
そうやって、笑わなくなった人、意識がなくなった人。
そう感じてるんだろうなと本当の意味で感じて看護することができたのは、自分に余裕ができてからだった。
だけど、感じただけで、理解はできなかったものだ。きっと、私が元気だったからだと思うけど。
いつも行く八百屋さんの近くに、何歳かわからない、おばあさんのようなヒトが、道路の隅で寝ている。
一体生きているのか死んでいるのかわからないような寝ぞべり方で。
でも毎日場所が変わっているのでおそらく生きているんだろう、ってしばらくしたらわかった。
先日、野菜を物色していたら、そのおばあさんが寄ってきた。
片手を前に出しながら。
とっさの私は「・・・ぅう。」って思って反射的に身構えた。
でも八百屋の兄ちゃんが、「ほら!あっちいけ!」と言って、5ルピーを投げた。
八百屋の兄ちゃんだって、朝の8時から夜の8時過ぎまで炎天下でずっと野菜を売ってるけど、決して贅沢な暮らしではないはず。
私だって、大金持ちじゃないけれど、ふと思った。
「このお金を抱えて、私はどうするのか」って。
もちろん、これからの自分のこと、将来の家族のこと、どんなときだってお金はあるにこしたことはないんだけど。
だからカツカツで生きないに越したことはないのかもしれないけど。
でも、じゃあどうして八百屋の兄ちゃんはお金をあげられるんだろうって。
”え?なんでこんなおばあさんにあげるの?” って意味じゃなくって。
私には、欲がありすぎるのかな。
それともケチなのか。
それともそれが正義だと思って奢ってるのか。
贅沢から抜け出せないのか。
思いやりが足りないか。
結局は人間は自分が一番大事なのか。
インドに来た冒頭部分でも同じようなことを書いてるけど、どうやらまだまだわからないようです。
あるお母さんが言ってました。この子が生まれていた時にはただ元気であればいいって思ってた。だんだん大きくなってくると、いろんな欲が出てきちゃうって。
返信削除眠ることとおっぱいを飲むことがすべての、赤ちゃんたちに囲まれて、自分の生活の欲の塊を思う今日この頃。
欲をみたすことが幸せなのか?
はたして何が幸せなのか?
kanaちゃんのブログを見てまたあらためて考えさせられた夜時間。ゆっくり自分の道を考えましょ。
体に気をつけてね♪
>mari
返信削除どんなこともそうですよね。欲って果てしない。
日本で会った患者さんたちは、健康を失ってきっとその原点に気付いてたんだなって今思う。
きっと産むことすらできない人や、産めなかった人は、赤ちゃんができさえすればいいって思ってるとも思う。
お金をばらまけとは言わないけど、時々欲はばらまいてしまった方がいい気もしてます。
難しい!
欲をばらまくのか~
返信削除難しいけど、心がほっとしそうだね
欲って自分を苦しくしちゃうことがあるんだよね~
よしっ。
欲ばらまき月間スタート♪
>mariさん
返信削除お金ばらまくより難しいですね。
煩悩を捨てるはずのお坊さんだって、おいしいもの食べるし・・・。
でもいい欲は持ってた方がいい気もしますね!