体質的なモノもあるし、器質的なモノもあるし、環境によるモノもあるしいろいろ。
日本でも多くって、子宮の収縮をとめるお薬を使って安静にしてもらったり、子宮の出口(入口というべきか・・・?)を縛って満期まで出てこないようにしてみたり。
そうやって、出来る限りお腹の中で育ってもらいます。
胎内の環境を外で作るのは大変で、そして胎内で育つように成熟させるのも大変で、満期まで育ってくれるに越したことはないからです。
人間の体って、つくづく神秘です。
妊娠6カ月のお母さんが、ウーンウーンと言ってやってきました。
「ウーンウーン」と言う言葉が出る時点で、もう結構な痛みが来ていたと思うのでかなり危険です。
でも、子宮の収縮をとめるお薬はありません。
そりゃインドですから、あるところにはあるし、この町にだって入ってこれるはず(もしかしたらあるのかも)
でもとっても高いお薬なうえ、管理だって難しい。
入院して様子を見れる腕のある看護師もドクターもいない。
安静にしてくださいって言ったって、村の女が働かないとみんな食べていけない。
人なんて雇う余裕がないのに、誰がかがんで薪でゴハンを作るのか。
栄養あるもの食べてくださいって言ったって、お金がないと買えないし、肉なんて手が届かない。
生まれようとするときに、産む選択肢しかない。
そのうえ生まれたって、6カ月の子を見れるような設備は何一つない。
家族やお母さん本人はどう思っていたか聞けなかったけど、もちろん私には生まれてすぐ亡くなるしか道がないと思っていたので一応覚悟で見てました。
掘立小屋みたいなきったない分娩室で、他の産婦も他の産婦の家族もみんな凝視。
550gの女の子。
産声を2・3回あげ、ぷるぷる震えて出てきました。
優しく拭き、家族に「小児科に行きましょう」と声をかけたが、「もう頼むからそのまま死なせてちょうだい」って。
「・・・・。でもとりあえず一緒に行こう」と言って、半ば強制的に小児科へ向かうが、いつも通りすっからかんのベッドに、詰所で居眠りしているナース。
「今日、先生休みだし、電気もないし何もできないよ。」とのお言葉だけいただいて、私達は何もできずに引き返しました。
先生だって人生があるし休まないとやってられないだろう。
電気だって計画停電しないと、足りないんだから仕方ない。
分娩室へ戻る最中に、腕の中で息をひきとったので、家族の一人はホッとしたような表情をみせたが、もう一人は目が真っ赤になっていた。
助からないし、助けても後遺症が残るし、そんな治療費払えない。
そう思っているんだろうって私が考えていると、
「神様が連れていってくれる方がよっぽどいいんだよ。女の子だったしね。
あー、大変なお産だった。」
と、家族の一人。
同じインドの大商業都市ムンバイ。
きらびやかな高層ビルが立ち並んでいる都市では、新生児治療室に何床もベッドがあり、この間500gの子ももちろんケアされていたそうです。
日本なら助かったかも、とか、ムンバイなら、とか思わないわけではないですが、考えたって仕方ないこと。
でもその子もインドで生まれて、この子もインドで生まれたのにな、と。
これが同じ国だって思うとなんともやりきれないですね。
当の母は、天井をずーーっとみつめたまま、赤ちゃんのことは一切聞いてきませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿