1年半経って、いまさら任地の事情紹介。
私の住んでるダモーという県は、大阪府と和歌山県を合わせたぐらいの大きさの県で、そこに100万ぐらいの人が集中して住んでます。
中心部の2kmぐらい以外はほぼ野っぱらで何もない、一本道。
イメージでは、日本の田舎の単線の駅規模の町に、新宿(いいすぎかな)ぐらいの混み合いになっている感じ。駅の周辺以外は、ザ―っとひろがる草原です。
日本だと、その規模の町は閑散としていることが多いので、そこはやっぱり12億の国ですね。
その県の政府の病院の中で、一番大きな病院が平屋の建物で一つだけドーンとあり、その病院の近くに住んでます。
あとの野っぱらの部分は、7つの「医者がいる」病院と、「医者のいない」診療所が150箇所ぐらいあるだけです。
その7つのうち3つは「帝王切開ができる」病院とされていますが、実際は”産科医”と“麻酔科医”がいないとできない事なので、実質中心の県病院1つが担っています。
その県病院にも、24時間電気はなく、常駐の麻酔科医はいません。
もちろん検査器具や呼吸器どころか、酸素の配管なんてないので、重症患者は亡くなるか遠く3時間の大学病院に送るかになります。
ただ、そこでの分娩件数は、月400~600件、年間4000~5000件です。
で、正常分娩を取り扱うナースは一勤務帯に一人だけ。
月に400~600というのは、日本でいうと中核病院の年間分娩件数で、最先端の母子医療センターでも、年間に1200件程度です。
私の働いていた、東京ど真ん中、新宿の16階建て総合病院でさえ、年間500~600件。
日中の産科に助産師は4~6人いたものですが、8時間座る時間もないこともあったものです。
そして妊娠・出産を理由に亡くなるお母さん・赤ちゃんの数は、インドの平均よりずっと高く、それはだいたい日本の30~50倍程度、世界で上位10位に入る西アフリカ諸国と同じぐらいの指標です。
状況だけ聞き、数値を見ると過酷ですね。
そう、現実も過酷です。
でもそんなこと言って諦めていても仕方ないし、みんなここで生きていくしか方法がないし、「生きていくしか」なんて誰も別に思っていない。
楽しく暮らしているのです。
だから、できる人数で、あるものを使って、できることを最低限する。っていうのが、目標。
村で働く看護師達は、もちろん薬の処方からお産の緊急時の対応から、何から何まで、日本の助産師以上医師同様の能力を求められ、適切な判断で搬送しなければなりません。
それができれば問題ないのですが、それがいろんな理由が複雑に絡み合ってなかなかできないので、なかなか難しい問題なのです。
ちなみに医師がいれば安心っていうのも、日本とは違うところですね。
だって、そのおばさん医師が昔の間違った方法で治療しちゃってああ大変、ってことがとてもよくあるから。
権力を握るものが間違っている時ほど、恐ろしいものはありませんね。
長くなりましたが、そう。
そんな野っぱらの中で、1~2人ずつバラバラで24時間働くナース達が、孤独感に襲われないよう、そして互いの良い経験を共有したり、知識交換ができるよう、巡回していたり搬送を受けたりしている私の立場で情報を流そうと思ったのです。
それで、ニュースレターを作成しました。
だれかがいいことやっていても、誰もみてくれない。誰も褒めてくれない。遠くでやっていては他の誰も真似できない。
本人への動機づけや、周りのレベルアップ。
そういうことにつながればいいと思い、あと短い任期でできるだけ書いてみます。
ああ、英語で作ってから、英語を修正して、それをヒンディー語にして、ヒンディー語を修正してもらい、印刷会社と交渉するまでに、インドという国と、インド人並みにのんきな私のセットのせいで、めちゃくちゃ時間がかかりました・・・。
(英語も作っておかないと、私の言いたいことをヒンディ語だけで書くと、修正してくれるインド人に伝わらないので・・・)
でも、やっと印刷中!
あとは配達を待つのみで、あとはそれを配るのみ。
インターネットやメールがないので、紙ベースで、バスで配って歩きます。
鳩でも飼いたい。病院の数分。
反応はまた今度。
ただいま早速第2号を作成中。
第一号はこんな感じ。