何かとっても印象的なことがあったとき、人はその日の天気をよく覚えているような気がします。
”あの日もこんな朝だった” のように。
今日、まだ辺りに暗さが残る早朝、響き渡る誰かの叫ぶような泣き声で目が覚めました。
寒くて出られない布団の中で私の心は、
”ああやっぱりそうだったのか”
と、静かに思いました。
2 日前。
厳しい寒さが少し和らぎ、朝から陽の照る1日でした。
いつもより仕事が長引いた私は、薄暗いグレーになりかけの夜に帰ってきました。
家の前の道から裸電球が灯る隣の家の玄関に続く、長蛇の男の人の列。
誰が誰だかわかんないぐらい、まさにその夜のグレーと同じぐらいの暗さがその列を覆っていたのです。
なんか、暗い・・・って思ったけど疲れていた私はそれ以上のことは何も思わず、さらにピンとこなかったので、「今日なんかの日だったかな?なんか気持ち悪いな」と思って部屋に入りました。
そして今日、大家さんに朝の泣き声の話をして初めて知りました。
予想通りでした。
隣の家のおじいちゃんが死んだこと。
ヒンドゥー教は、お葬式関係は男の人だけで執り行います。
遺体を運ぶのも男の人達。
たまにみかけるので遺体に手を合わせていたのですが、あの列はダダのそれだったのか・・・とわかりました。
つい5日前、遅ればせながら新年の挨拶に寄ったところでした。
「カナ。バダイホー。(おめでとう) 寒いなあ。急に寒くなった。寒い寒い。」と言って、布団にくるまってました。
もう行くって言ってるのに、「座れ座れ」って言うから、何もせずしばらく座って。
「じゃあ行くね。ダダ、またね」と言ったのが、最期でした。
来た当初、意思の疎通もできないのに買った野菜をみせたり、よく隣に座りに行ってました。
言ってるヒンディー語がちんぷんかんぷんで、「この薬を買ってきてほしい」って言っていたのに、薬の成分を聞いただけで帰ってきてしまい、ダダが少し悲しそうな顔をしたこと。
「ニホンはどっちの方向だ?あっちか?こっちか?」と何度も聞き、そのたびに、キレイなピンクの花を咲かす木を指して、あの木の方向だよ。って言ったこと。
デリーで買ったお菓子をタッパーに詰めて持っていったら、すぐにそのタッパーに別のお菓子を入れて、私の玄関まで持ってきてくれた。
慣れない名前を、「カナーカナー」って呼びながら。
どこの星から来たのかわからない外人に、とっても優しくしてくれたものです。
いとこの奥さんのこどもの旦那のおとうさん・・・? あたりまで親戚なインド。
人口密度からしても、親戚の多さからしても、コミュニティの親密さからしても、誰かの出産も誰かの死も毎日の流れの中の出来事のひとつ。
जिसको चलना है वह चलता है
ジスコ チャルナー ヘイ ウォ チャルター ヘイ
って、涙見せずに言うインド人。
「逝くものが、逝くんだよ」
って。
そして、
मुझे भी आपको भी सब को मरना है
ムジェ ビヒ アープコ ビヒ サブコ マルナー ヘイ
「私もあなたもみんな死ぬの」
って。
だから。
だから、
जिससे मिलना है उससे अब मिलो
ジスセ ミルナー ヘイ ウスセ アブ ミロ
「会いたい人には、”今”会いに行きなさい」
って。
ダダジー、良かったね。
冬の晴れ間の空は、きっと布団より暖かいから。
どうもありがとう。
ダダ、ありがとう。
返信削除日本からヒンドゥー語も分からずおじゃましたのに、笑顔で迎えられ、心がほっこりした夏の日を思い出したよ。
出会えてよかった、ダダ。
会いたい人にいま会いに行きます
>mariさん
返信削除ああ、mariさんは会ったんでしたっけね・・・?
うん。
年齢には関係なく、誰でも明日の保障はないので、後悔のないように生きていきたいですね^^