Theme of the blog

晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-09-20

五感の記憶・・・触覚

暇なわけではないけれど、そういう気分なので毎日更新。
試験前ほど、部屋の掃除的な。


実は冬が大好きな私。
特に日本の冬は大好きです。
ロシアとか、高地レベルの冬はちょっと・・・

今まで出会った人の大半は ”夏が好き” と言っていました。
開放的でわくわくするからだそうです。

ああ、夏も好きですけどね、でも冬が大好きです。



空気の澄み渡り加減。
鼻だけ冷たくなる感じ。
朝夕のすーんとする空気に加え、昼の太陽の鮮やかさ!
暑い夏にいきなりクーラーのところへ入るのはあまり好きじゃないけれど、寒いときにあたたかい場所へ入るあのなんとも言えない安堵感。
秋冬服の方がおしゃれだし、年末の心躍る感じがやめられない。

どうせ帰るなら冬に帰ればよかったか?

と、少し思いました。



今日は連日の大雨のせいか、とても寒く、風が吹いて、半袖では震えるほど。
3月から続く夏に、そろそろ飽きてきています。
寒くなるのはおそらく12月に入ってから。

2カ月強ぐらいしかない冬が待ち遠しくなった、そんなお天気でした。

2010-09-19

違いの難しさ

情報を選択できて、自由に利用できる私達には、それが無い人よりずっといろんなことを知っているのかも。

それでも、”インド人はカレーしか食べないんでしょ?” というヒトもいるからなんともいえないけど。

おなじく、”ターメリックも、コリアンダーも、クミンも使わないなんて、一体日本人は何食べてるの?”っていうヒトが大半なので、なんともいえないけれど。




実体験したって、わからないこともあるもの。



違う、でも受け入れる。

この難しさは、体験したって難しいもの。

どこの国でも難しいもの。



「インド人は嘘をつく。」


日本人だって、嘘はつきます。
方便の時もあるから。


でも、日本人的倫理観に反する範囲を容易に超えた嘘もつく。
小さいことから大きなことまで。
可愛いことから許せないことまで。

どんなにいい人でも、どんなに近しい人でも。

”知らないのに、知っているという”
”知らないふりをして、知っている”
”やったのに、やってないという”
”やるといって、やらない”


そのたびにやるせなくなるけど、
嘘をつかずとも平和にいられるのは、実は日本だからかもしれない。
嘘をついたらダメだという倫理観とその基準値は、自分達の文化なのかも。
あんまり嘘をつかなくてもいいのは、日本が平和だからかな。


大勢の国で、立ち向かう術なのかも。



いつもインドのいいことばかり書いているので、たまには嫌なことも・・・

まわる地球で

夜、チャット(パソコンの画面で、文字と文字のやりとりで会話をする機能。同時進行なのでメールより早い)の画面を開くと、同じく地球の裏側、中米で助産師として働くお友達がオンラインでいました。

1年ぶりにパソコン上で再会です。

お互い相手が文字を打っているのも待てず自分も打ち始めてしまうぐらい、思いや近況、愚痴や喜び、悩みや思い出を2時間にも渡り話しこんでしまいました。

”なにしに来たのかって思う日もある”
”なかなか伝わらない”
”帰ったらどうするか”


去年の夏、同じ不安と希望を抱いて長野でともに過した、そのなかでもひときわつながりの強かった助産師仲間のうちの一人。
何も変わっていないようで、そんな中でもいろんなことをお互い吸収しているみたいで本当に嬉しかった。


自分一人、たった2年。
雄大なる地球の、インドの一部の町で、”ただ住んでチャイを飲んでるだけなんじゃないか?”と思う日も含め、存在すること。
目にみえる結果は少なく、そこに残る言葉や思いを伝えてくれることだけを信じて過す日々。
それでも、毎年何千人もの人がそうやって出ていくだけで、少しずつ世界は変わるんじゃないかって、あの長野で出会った訓練生達のことを懐かしく思いました。



いつも主張したいと思っていることがあります。

行動にできなくてもいい、たまにでもいい、真似しなくてもいい。

でも、

”関心をもつこと”

いろんなことに。

新聞を読むだけでもいい。
批判や賛同、怒りや悲しみ、軽蔑や賞賛、なんでもいい。
自分にできることが、自分の毎日を精一杯生きるだったり、自分の家族を思うことだけでもいいと思う。
その中で、できることが必ずあるはずだから。

だから、何かに関心は持ち続けてほしいと思います。

無関心よりずっといい。



いつのまにか、朝だったホンジュラスは昼になり、夜だったインドは夜中になり。
日本だったら朝まで話をしていただろうと思いながら、”あ、向こうはまだ夜じゃないか”と思ったり。
夢中になった現代風おしゃべりを終え、インドの私は眠りにつく直前です。

私が過した朝を彼女はこれから過すのかって思うと

「地球はこうやって廻るのか」

と、思い。



どんな時代もあがり続ける太陽を、お手伝いしているような私達のしごと。
自分の生きる時代の太陽だけはせめて無事に。

ヒトから生まれるヒトという小さな宇宙に感動するよね、と会話の中で共感できたような気がします。

2010-09-11

帰国して、帰国

まだ夜中ともいう早朝、裸電球の薄暗い駅に降りたった途端、離れていたのが嘘のように思えました。

待合室で休憩したあと、Blue momentの朝の時間を風を切って走るサイキルリキシャ。
頭の上の屋根は開けてもらい、風を感じながら帰宅しました。
火曜日のこと。

各お寺からの心洗われるマントラが静かに流れているなか、道で歯を磨いたり、こどもが用を足していたり、牛が歩いていたり。

あんなにクリーンで、ラグジュアリーで、スムーズで、コンファタブルな国にいたから、
”ちょっと帰るのよそうかな”
って思う気持ちも少しありましたが、つめたい朝の時間を通り抜けながら、心の中の「にやっ」とする感じとともにすぐに自分自身がそこに収まってしまいました。
「いい夢みたな」、ぐらいの。


そう、そんな快適な国はこの世で一つ。母国です。
休息目的でほぼ実家にこもっていたため、お知らせせず今回会えなかったみなさん、ごめんなさい。
来年、ぜひ会ってください。


どこからやってきたのか、増えた可愛い親戚。
同じように小さい時、同じおじいちゃんとおばあちゃんに囲まれていた大事な従姉妹の産んだ娘。
おじいちゃんやおばあちゃんがいなくなっても、こうやってずっと家族は増えていくんだなあと感動。



25kmも自転車こいで会いにきてくれたおじさん。
上の娘のおじいちゃん。
インド人でも25kmも漕いでる人みたことないです。
でも嬉しかった。


きっと、私に言葉でいう何倍も心配ばかりしているだろう両親。
帰省しても心配ばかりかけっぱなしでしたが、いつも幸せです。



「カナ~!おかえり!」って、たくさんの人が迎えてくれるインドへ再上陸。

いえ、無事に ”帰国” しました。

2010-08-25

おしらせ

すみません、Kana さん少し旅に出ていますため、しばらくお休みさせていただいております。

9月半ばより再開いたしますので、覗いてくださっている方、今後ともよろしくお願いいたします。


Kana

2010-07-20

若者の心と、格差

自殺大国と言ってもおかしくないような、今の日本。
世界で9番目だそうです。
あのアメリカでさえ40番台だそうです。


死ぬことよりもずっと苦しいように感じるぐらの苦しみと闘いながら生きるのは、大変なことだと正直思うこともあります。
そう、思わないわけではない、ということ。
人間は誰だって、弱いから。
それでも、生きようと思うことができるのは、それだけで自分はなんと幸福なんだろうと周囲に感謝するのです。


仕事は全くできないのだけれど、病院の外来にいつも笑顔で座っていた看護助手的な存在のヒラというおばさんがいます。
本当に朗らかで、私にもいつも変わらずニコニコ話かけてくれていました。

月曜日、病院に行って聞きました。
ヒラの長女が亡くなったと。
19歳だったそうです。
よく聞くと、毒を飲んで自殺したそう。

”エンジニアの学士の勉強中”というのは、中~上流階級を表す単語の代名詞みたいなもので、これは想像に過ぎませんが、ヒラのような地位のお母さんの家系では、おそらく ”頑張って” その大学に入っていた状態。
「長女はエンジニアの勉強中で、次女には看護の学士をとらせている最中。自分は教育をちゃんと受けられなかったから」と、とても自慢気だったのです。いつも。


その長女が自殺した。



小学校の頃から、進級試験が非常に厳しいとされるインドの学校教育。
彼女が自殺をした原因も、大学での試験・単位に関わることだったようです。



日本人のあなたなら、どう感じますか。

”そんなことで・・・”と。

やはり思うでしょうか。



貧しい家庭、ギリギリの家庭。
インドのカースト制度、格差社会のループから抜け出すには、学歴をつけて、のし上がるしかない。
家族を幸せにできるかどうかは、自分のこの手にかかってる。
学歴もなく、カーストも低ければ、一生貧困からは抜け出せない。
経済発展が著しい今のインドで、若い世代がそこに人生をかけているのです。
つまり、親が家計を詰めに詰めてお金を払ってもらい入った大学で、自分が滞りなく卒業し、問題なく就職するところまでいったら格差をきっと踏み倒せる。
でも逆の場合は、木端微塵になってしまうのです。


詳しい理由はわかりません。
ただ、彼女はその大学での進級につまづいてしまった。


毒を飲むほどの苦しみ。
大好きな家族を置いてまで、逝ってしまいたいと思うその苦しみ。



インドは世界で40番台前半だそうですが、10代の自殺率が極めて高いそうです。
そして特徴的な、10代に限らない理由。
農作物の収穫期、不作を苦にする集団自殺と、進級時期に増える自殺、そして異カースト間では許されない禁断の恋愛を理由にする自殺。

私がインドに来てから、身近な人の例を聞いて、これで4件目です。


外来に貼ってある、雑誌の切り抜きみたいな神様の絵にまでいつもお祈りしていた、ヒラ。
笑顔が絶えなかった、ヒラ。

貧困よりももっと深い悲しみに包まれているのでは、と胸が痛くて張り裂けそうです。



”そんなことで” と思える私達。

”選択” という道がある私達。

”自殺する彼女の気持ちを想像できない”



それだけで、とても幸福なことなのだと思います。

2010-07-18

価値観の問題?

集中ベーシックコースのヨガが今日で終わり、あとは日曜の週一になります。
アドバンス(応用コース)は合宿があったり、なにかと素敵なシステム。

今日はいつもの倍ぐらいの時間で、なぜかよくわからないがゲームがあったり、プレゼント交換がありました。

ま、「なぜかよくわからない」ことなんて日常茶飯事なので、さして気にもとめていなかったのですが、さすがに久しぶりのプレゼント交換とあり、私も楽しみでした。


あの音楽が鳴って、横にプレゼントをまわし、音楽が止まったところでストーーーップ!となるあれですね。
なんら難しいことはないあれですね。
小学生でもやってのける、あの円になってやるやつですね。


それが・・・・。


それがインド人の手にかかると、もう大パニック。


右から回ってきてるのに、左に回してしまったりして、1人3個ぐらい持ってたり。
自分が持ってきたプレゼントは膝においたまま、他人のだけ回してたり。
せーので回さないもんだから、もうぐっちゃぐちゃ。
「はやくそっちだってば!」
「え?なに?これ、自分のを他人にあげるの?まわすの?」
(何聞いてたんですか?てか、プレゼントでしょうが!)

わいのわいのわいのわいの、大大パニック。

音楽はとうに止まっているのに、回し続けたりするので、
係の人が「ストーップ、ストーップ ストーーーーーップ!!!」と体全身でとめていました。
結局、1人のところに5つぐらいかたまったり、何も持っていない人が多数出没。


なんのためにまわしたんですか・・・


私だけ大爆笑です。


そう。
そんな苦労をのりこえて、私にあたったものがコレ。















サイババ様の置物・・・・。
・・・。



隣で、ガラスの可愛い器4個入りがあたったお姉さまが言いました。

「あら~~ いいわね~~いいわね~~サイババ様じゃない!ご利益あるわよ~。小さくてどこにでも置かせていただけるし、なんて素敵なの~このサイババ様!換えてほしいわ~」

(え??!!!換えますよ!奥さん!ガラスの器!!うつわ~!!)

となっていた私は。

「あ・・・あはは、そうですねえ。それなら交換いたしましょうか?(やったー!)」と言ってみたら。

「ダメよ!そんなサイババ様がせっかく来てくださったのにそんなこと言っちゃ。大事にしなさいね。クリシュナちゃん(前回記事参照)」

と言われました。

・・・・・。



誰よりもうらやましがられた私のこのサイババさん。


(私は・・・・ガラスの器とかプラスチックの時計がよかったですよ。)


最後はみんなで食事をして解散しました。
めでたし。

2010-07-15

前回記事 補足:マントラ


今朝歌った歌は、どうしてもみつけられませんでした。

でも同じ、クリシュナという神様のために歌った、同じようなトーンの歌をみつけたので、参考までに。

でもこれは正式なマントラではないかな・・・


マントラ。

こんな感じの祈りの歌が、お寺から早朝聴こえてくるとき、胸がジーーーンとします。


神様ごとにも何十種類もあって、本当にいろいろ。

ちなみにこのクリシュナさん。

かなりやんちゃな幼少期を送り、かなりのイケメン(?)プレイボーイで、女をはべらかしていたそうですが、結構好きです。

なんでかって、別名をたっくさん持ってるこのクリシュナ神、その別名の中のひとつにKanhaというのがあり、私が自己紹介をすると必ずそのKanhaと間違えられ、「いい名前だね~そういえばKanhaは今までなかったな!」みたいな話題が広がるからです。

・・・。


細かーい人生話(神生?)がちゃんとあるヒンドゥーの神様達。

そんなところもおもしろい。

インド哲学 その2

2週間程前から、例年より遅く雨季に入った北インド。

雨が降り出して3日経った頃、外に出ると一面ミドリが輝いていてビックリしました。
たとえがあまりよくないけれど、ちょうどお弁当のバランの色、そのもの・・・。

空気が冷たく、朝晩はファンがなくても大丈夫なぐらいに気持ちのいい季節になりました。

そんな最近、朝6時から町の小さなホールで行われているヨガに毎日3時間行ってます。

5時台の外の空気はとても気持ちよく、小鳥がさえずっている時間です。




ヨガというと、インドですが。

日本ではエクササイズだったり、足を頭にあげちゃったり、といったそういうことにフォーカスされていると思いますが、本来ヨガはその精神を説くことがやはり重要なようです。


30人ぐらいの参加者は、いつも1~2時間ぐらい、先生からいろんな精神論(主にヒンドゥー教に基づいた考え)を聞き、そのあと体内の悪を取り払い、清らかなものを取り込むために呼吸を1時間程するのです。
難しいポーズより、呼吸。

そして、この複雑で混沌とした世界において、自分の軸がぶれることのないように、あるがままを受け入れ、生を全うする。
そのためのお話をたくさんしてくれるのです。

あやしい新興宗教等ではなく、古くからインドの人が考えてきたことであることが興味深く、そして生活してみていかにインド人の精神力が強いかを思い知らされていることから、こういう風に人生を生きているのかと思うと関心するのです。
仏教にも通じるところがあるのは、さすが仏陀と仏教を生んだ国。




●मन (マン)・・・こころ
目は見ることができ、耳は聞くことができるけど、心は見ることも聞くこともできる。
心で見て聞こう。


●コインの裏表
コインのこちら側が、平和・よろこび。
コインのこちら側が、不幸。
平和をここから取ってください、と先生に言われ、みな混乱した。
どちらも存在して、初めてコインであるため、平和だけとれないんですね。
人生に悲しみしかなければ、喜びにはきづかない。逆もまた然り、と。


●कोशिश (コーシシュ)・・・トライ
たとえば、「座るよう試してみてください」と言われたとき、別に座りなさいと言われているわけではない。最終的に座るのか、座らないのかは、自分次第。
でも、自分の中の”心”はそのकोशिश という言葉は知らない。
するかしないかではなく、したいかしたくないか、嫌か嫌でないか、考えたくないのに考えてしまう。
それが”心”
心を解き放ったとき、探そうとしたものがみつかるとのこと。
鍵がないない、と探しているときはみつからない。
探そうと努力するその心を解き放ったとき、鍵がみつかる・・・とのこと。
”おこっていること、するべきこと” それが、それ。
つまり運命。


●अभी (アビヒ)・・・まさに今この瞬間、ライトナウ
心は、過去にも未来にも思いをはせることができるけど、人生は”たった今”このときだけ。
1寸先は闇、と日本語でもいいますが、まさにそれ。
大家さんに話したら、「だから、会いたい人がいて、会いたいと思ったときは、すぐに会いに言ったほうがいいよ。したいと思うことがあるなら、今すぐにでも行動にしたほうがいいよ。未来はわからないからね。今を生きようね」って言ってました。
インド人、みな哲学者。
関西人がみな芸人なのと一緒・・・。

●पानी जैसे रहना है ・・・水のように生きよ
上から下に落ちても、形が壊れない。
障害があっても形をかえて流れることができ、その本質は変わらない。


まだまだたーーくさんあるのですが、印象に残っているものだけ挙げました。

最後に屍のポーズをし終わったら、みんなでヒンドゥーのマントラ(お経)を歌って終了。
このマントラ、南無阿弥陀仏的な暗いトーンではなく、本当に透き通った聖なる明るい歌。
神様によっても、何百と種類があるそうですが、いつもマントラを聞くと心に響いて泣きそうになります。


「あなたの人生に必要なものは?」
「幸せなのはいつ?」
「幸せになるには何が必要?」

そんな問いかけを先生にされるだけで、人間は意外と欲を捨てれば楽に幸せに生きれるんじゃないのかな?
って思いました。



実は欲だらけのインドで・・・。

2010-06-26

1年

結婚式に忙しかった昨日、25日。
ちょうど1年前の昨日、私は仕事をやめて、東京を後にし、このブログを書き始めました。

それより10カ月前に受験をし、それより5年前には世界に出ることを考えてあの病院を選び、それより何年も前からこの世界に来たいと思っていました。

そして、辞めてから1年。
その後、目まぐるしい程に忙しく、出会いと別れを5年分ぐらい繰り返し、今日という日をインドの片隅で過しています。

1年経って、やっと我に返ったような気持ちです。

初心は忘れてしまうから初心と言われるのかもしれませんが、できることからやってみようと思いなおしました。


昔の隊員がインドの人に言われたらしい言葉で心に残っているものがあります。


”日本人が、この広くて何億人もいるインドに2年ぐらい住んでボランティアしたところで、インドに及ぼす影響は微々たるものだろう。むしろその2年、インドで生活してインド人から学んだことを、自分の人生に役立ててほしい。日本人にインドのことをもっと理解してもらえる橋渡しをしてほしい。そして、いつか時間がかかってもいいから、ゆっくりどこかでそれをインドに還元してくれればいい”


煮詰まって焦った時、いつも、”そうだな” と思って心が軽くなります。

日本にいたころは、”国際協力” っていう、どこかしら壮大なテーマに酔いしれていることが多かったように思います。
現実は、どんな仕事だって地道でそして地味な作業が多いもの。
来てみて思いました。
”なんとか助けなきゃ” とか ”アフリカのこどもは・・・うんぬん” っていうステレオタイプの言葉がどれだけ陳腐なものだったかということ。
でも、現実の悲しみに悲観的になっていても、そんな理想論意味ないとけなしていても始まらないと思っています。

意味がないことは一つもない というのは自分の人生論の一つですが、無理やり答えや結果や意味を見出すことなくできればいい思っています。

先のインド人が言ったように。
自分なりの形で、社会貢献していければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・

結婚式参加ではなく、身内の結婚式実施を見学した今回。
とっても充実した3日間だったので、結婚式レポまた書きます。