Theme of the blog

晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-08-03

今日のひとこと

今日、還暦のナースに言われました。

「カナはもう友達なんかじゃない、敵なんだ!」

小指を立てて。

人差し指と中指をクロスすると、友達。
小指を立てると、敵です。(トイレ行ってくるよの意味もアリ)


なんかやったかな、と思い、冷静に聞いてみる。

「なんで?」


「だって! 日本に帰っちゃうじゃない! 
友達でいると辛くてたまんないから、もう今日から敵になろう!そしたら辛くない!もう話さない」って。



「最初敵だった人と友達になれることはあっても、
最初に友達になった人は、敵にすることはできないよ。」


って言ったら、インド人に大絶賛されました。
拍手喝采。


ポエムとか、格言とか、ロマンチックとか、好きだなーそういうの。


私の、降ってわいた今日のひとことです。



横で聞いてた人が小さな声で、


「別れのことは考えないことにしてるの。考えるだけで辛い」


って言ってるの聞いて、涙でそうでしたよーーー。やばい。


あと50日。

2011-08-01

汚い

少し前に、某途上国から事務所のスタッフ(日本人)がダモーまで視察で来たとき、各国の途上国で仕事をされてきたというその人、一言いいました。

「これは・・・・これはひどいわ。」って。

「いままでみたどこよりもひどいね。ネパールの奥地よりね。・・・うう、これはひどい」って。

難民支援してた友達もね、言ってましたね。
「うーん、ひどいね」と。


なんでしょうね、汚いのです、病院もなにもかも。
そりゃ、技術とか態度とかも申し分ないぐらいヒドイんだけど、とにかく病院なのに衛生が悪すぎる。
子猫大のネズミがいるし。


アフリカの診療所も、ラオスの診療所も、タイの難民病院も、イエメンの病院も、ここよりずーーーとずーーーーとキレイだったし、街中ゴミだらけってことは少なくともなかったな。


私の独断ではなく、これ、絶対カースト制度が骨の髄まで染み渡っているせいだと思います。


どこの国でも、環境整備はナースの基本中の基本です。
というか、ゴミをそこに捨てても、捨てなくても、結局困るのは自分であり、結局片付けるのは自分っていう構造が家でも仕事でもそうだと思うんですが。
インドの場合、極端な話(でもないか、日常的に)、オフィスのデスクまわりをゴミだらけにしようと、家の中にゴミを捨てようと、もちろん病院の床をゴミだらけにしようと、それを片付けるのはシュードラカーストのゴミ掃除の人だけです。
その片づける人のことを思って、じゃあゴミ箱に捨てようなんて思いはこれっぽっちもない。
だって、自分より下のカーストだよ?ってな話です。
どんなに汚しても、少し後にはキレイになってる。
そんなことが幼いときから続いている社会。
他の国での在住経験があるような、博識あるインド人ならまた違うかもしれませんが。
少なくとも伝統的文化で暮らすインド人圏は絶対にこうなってる。


もしも、間違って、ゴミが床に落ちてしまっても?
床に落ちたものを拾い上げるなんて、地位のある人がやってしまってはいけません。
「やらない」ともいうし、地位バランスがぐちゃぐちゃになってインド人同士が混乱・対応できなくなるので「やってはいけない」のです。

全インドがそうなってる。


そんな国で、小さなときから育っていて、ゴミ箱にゴミを捨てようというのはとっても難しいんだろうと思います。
日本人の私には苦しい話です。


他の国で、日本人である自分がやることでその背中を見せる活動をしよう、とかいう話ありますが。
そんなの本当に効き目なし。
そんなことしても、完全なる階級社会には通用しないってわかりました。


些細なことですが。

それでも、病院でゴミをとりあえずゴミ箱に捨ててくれる時が多くなってきたのは、嬉しいことです。

拾いはしませんがね・・・。

2011-07-29

赤ちゃんの死

何百人とりあげたのか、もう数えられなくなったのでわからないんですが。
人口に比例して、2年にも関わらず多くはインドの赤ちゃん。
私が助産師になって7年。
直接手を触れなかった例を含めると、無数の出産にたちあわせてもらってきたと思います。
これからも、多分ずっと。



今日5カ月で早産になった赤ちゃんを手にして、臍の緒を切ったり、胸にあてた人差し指から伝わる心拍を感じながら、周りの音がシャットアウトされたみたいになっていろいろ考えていました。


「IUFD(子宮内胎児死亡)だから」
って、あっさり言われてました。


実際は陣痛がとまらないので、結局産んでもらうしかない選択で、生まれても700gそこそこの赤ちゃんを救う術はないので見守るしかできないことをみんな承知です。
だから、一銭のお金もないお母さんに最初っからそう言ってました。

そのお母さん(といっても19歳)を目にしたときは、すでに頭が見えてましたが、”生きてるな”って思いました。

”この子生きてる”

わかるんですね、ほとんどは。外からみても。

小さすぎる頭を手のひらに感じながら、そこから周りの音がスーッと消えていきました。



もちろん日本でも、なんらかの原因で赤ちゃんが生まれる前に亡くなること、死産になること、生まれた後に亡くなることはありますが。
その確率はここらの国とは比べ物にならないので、稀なケースだったり、本当に現代医療ではどうしようもなことだったりします。

でも、そうそうあたるケースでもないのと、あっても蘇生の余地や治療の余地があるのが日本。

ここではそうはいかないので、一生分の赤ちゃんの死を目にしたように思います。
それぐらいたくさん、ということ。


ぷはー ぷはー って小さく息をし、胸から伝わる心拍は正常で、つくりももちろん人間なんだけど、まだまだ未熟でふにゃふにゃです。


答えはわかっていたけれど、多分自分で決断を出すのが怖かったのだと思う。
というか、自分で下した責任を回避したかったんじゃないかって今思いだすと情けないけど、近くにいたドクターに一応確認しました。

「どうしますか。蘇生しますか」って。

「維持できないのよ。蘇生してどうするの」って。


そうですよね、って思いながら、臍の緒を切る。

日本だったら、NICU(新生児集中治療室)があるな。
でも700gだと厳しいか。
(NICUの光景を思いだして)あんなに電気や器具を使うことができるなんて、恵まれてるな。
ていうか、その前に早産を防ぐな。
そんなこと考えたところで、ここはインドの田舎だった。

って。


家族は、いつも通りぞうきんみたいな布を持ってきてました。
「もう少しきれいな布ない?」って聞く私に、
「この子は別に清潔じゃなくていいんじゃない?(だって死体だよっていう意味)」っていうナース。

清潔概念があることはいいことです。
でも人間なのにね。ってまだ消え入りそうだけど動く心臓をみながら、話しかけてみるけど赤ちゃんは眠ってました。


ここに来た頃は、おお泣きでした。
泣くのはハシタナイっていうインドで、そしてプロ意識としてぐっと我慢するんだけど、救える命が消えるというのは感情コントロールにするとかなり上級で、私にはそんなうまくコントロールできませんでした。
もう手の施しようがない時だって、それがたとえ患者と看護師という立場であっても、人が亡くなるというのは結構くるものです。

救えることを、救える環境があることを知ってる私は逆に不幸なのかもしれないとも思いました。


はじめから亡くなっているとわかってて、その子が生まれる手伝いや
希望が地獄に変わる瞬間や
そういうのをあんまりにも見すぎて、それがときに ”ヒトの死” だって忘れちゃうんだな人間は。
って思います。

だって、自分だって今日涙の一滴どころか感情の波すら来なかった。
それはモノ扱いだからとか、赤ちゃんなんてどうでもいいってことじゃなくって、凍結させるんですね、自分が自分のこころを。
でないと、あまりにも非日常の死にまみれてると精神がおかしくなっちゃってやっていけない。
でもどこか切ないです。


喋らないけど赤ちゃんだって人間。
お腹の中でも外でも、それは ”人の死”。

そんなこと、毎回毎回真剣に感じる暇がないぐらいそういうことばっかりなんです。
いつか自分が妊娠したり、こどもを持つとき、そんなことが起こったら。
死をまともに受けることができるんだろうか、って。



ただ、慣れるということは怖いけど、そんな私も人間。
死の受け止めかたが変化しているだけと思いたい。


ただ、悲しむこと、泣くこと、嘆くことが人間の正しい反応だとされるなら、インド人は異常なのか。


そうじゃないと思います。
なぜそうなのかを考えていける自分でありたい。
その事実を批判するのは簡単だけど、どうしてかまでを考えないと何も変わらないんだと思いながら。


命の価値なんて比べるものではないって思ってた、いやそんなこと思いもしなかったけど、そうでもない。
それは日本人である私の価値観だったんだな。
何が正しくって、何が間違っているっていうのは、結局決められないことのほうが多いっていうのは、他をみればみるほど思うこと。

命の価値がここよりずっと平等な日本に帰ったら、ゆっくり考えたいと思います。

2011-07-24

7月のこと

なにがなんやら。
いそがしい。
気持ちだけ焦ってる感じがするだけで、のんきすぎる私はてきぱき動けません。


ざっと7月のことを記録。

前半は、デリーの北部、ヒマラヤがみえるデラドゥンという町のNGOを訪問しました。
村に出かけて(結局ここまできて村に行って観光はできず・・・)、思春期の女の子達に、”生理とは” とか ”いのちっていうのはどういうことか” とか 自分の体を知ってもらうことで健康意識を持ってもらうように少しお話してきました。
なんで? ってお思いかもしれませんが、思春期性教育も助産師が専門とするお仕事の一つなのです。

真剣な目でじーーーっと卵子の話を聞いてくれました。

















中旬は、デリーから訪問者。
同い年ですがインド歴は私の後輩にあたるお友達が、ダモーに遊びにきてくれました。
まだインドに来て半年、そして大大だーーーい都会デリー(私的にはあそこは東京)に住む彼女にとってはきっと異国だったことと思います。
雨の合間を縫って、村までひっぱりだして連れていきました。
誰かが来てくれると、楽しい。
写真はお友達のブログをどうぞ→こちら☆(まるなげゴメン)



はい、後半の今ですが。
先日、ずっと温めてたスイーパー(お掃除の人)&アヤ(看護助手さん)達への勉強会をやっと実施。
って言っても、私は無理やりオフィスに打診したのと、日にちと対象者と内容をざっと決めただけで、やってくれたのは産科医の先生です。














その方が説得力も集客力もあるので、それでいいんです。
早速いろいろ自主的に工夫しはじめた姿をみて感動!



母体死亡は少し減ったものの、なかなか減らない新生児死亡に少しでも貢献したく、さっさと退院しちゃうお母さん達に健康教育できないかと、紙芝居のようなスライドを今は作成中です。














目標は、あの汚く暗い病棟で、研修生に紙芝居を使って、母乳の必要性(途上国は特に。衛生概念もなく、水が感染源なので、母乳だけで育てることで救える命がたくさんです)を主に訴えようかなと。
ま、私の差し迫った帰国までに定着させるのは非常に困難ですが・・・。




というわけで、帰国日9月27日成田着で決定です!
暇を持て余す予定の私と、みなさん遊んでくださいませ。



追伸:

関係ないけど、ヒンドゥー教をはじめインドでは結婚できる時期が決まってます。
”神様が起きているとき” らしいんですが(神様って寝るの?!・・・インドらしい)、それに伴い、出産時期も重なります。
いま、まさにシーズン。
早く終わらないかな~(あるまじき発言) 
今ごろ神様は寝てらっしゃることかと思いますが、一日40人近く生まれて、多忙でみんな倒れる寸前ですよ。。。
人間も4カ月ぐらい寝てみたいもんです。

2011-06-26

28%

この間デリーに遊びに行った時、インドで日本語教育に携わっているみなさんと一緒にお食事に招待していただきました。
会員しか入れないっていう、その会員になるにはお金がとてもたくさんいるような、そんな会員専用のレストランへ。
ラッキーな話です。
周りをぐるっと見渡したところ、日本だったらウン十万になるようなシルクやコットンのサリーを身に付けた方ばかり。
ラッキーな話です、ほんと。
上品な料理だらけ。


どんな話の流れでだったか忘れましたが、ご招待してくださった先生がおっしゃいました。
「あなた達、日本語教師の方が関わっている、つまりインドで日本語を勉強しているような層というのは、インド全体のたった28%でしかなく、その28%だけをみているのよ。残りはこの方(私のことです)が体験しているような、インドなのよ。」と。

28%をどうとらえていいのか、ダモーに帰る電車で考えてみたのですが、よくわからない。
それもインドで、これもインド。
日本なら、そうそう相違がないことも、広くて格差がありすぎるインドでは、まるで別世界になってしまう。
それがいつしか
”自分のみてきたインドは、一体どういうことだったのか”
 っていう考えに変わっていきました。

住んでいても、たまに疑うんです。
ここは、一体どこだろう、インドは実在するのか、って。
いつも寝ると次の朝には大都会デリーに変わっている夜行列車は、私にとってどこでもドアであり、同じく寝るとダモーに帰ってくる列車は、過去の時代に戻るタイムマシーンのようなのです。
私にとっては、わけがわからず、奥が深すぎて、現実のような非現実のようなシチュエーションがありすぎて、どっちが ”リアル” かわからなくなるっていう、そういうことを感じる国です。
だから、旅行者の方が言われているような、不思議さやスピリチュアルなインドともまた違う。
そういうのは、楽しい側面(旅行という娯楽という意味)でしか見えてこないのかもしれないな、と。
もちろん、それでいいんです。
私だってよくわからないし、別に知らなくていいこともいっぱいあるけど、とにかく貴重なことなんだっていうことに、やっと実感として気づき始めているということです。


そしてやはり、インドに足を踏み入れる日本人は大勢いるけれど、その中でも非常に貴重な部類に入るのではないかとこの2年を振り返ったわけです。
インドに住む日本人に、いっくら説明しても共感してもらえないことが多々ありすぎて、私がかなりの共通項を持って会話ができたのは、一緒に仕事をさせてもらっていた専門家のお2人だけでした。
あとは、インドの田舎の習慣や文化(この場合は私の州周辺)ことを潜在的に把握しているインド人だけでした。


なぜなら。
まず、旅行者は観光地を訪れるし、どれだけ長く観光地または観光地でないところに滞在したとしても、それは旅行でしかなく、生活に必要なこと(たとえば普通の人がする買い物の仕方、お祈りの仕方、食べ物の食べ方、親のしつけ方、家族の在り方、学校、病院・・・etc)が見えにくい。
これは、私みたいなボランティアなら多くの国で体験していることかもしれないな、とも思いますが、都市生活だと日本のように個人プレーが多く、なかなか見えづらい。
そういう意味で、非常に貴重な経験です。
何になるわけでもないかもしれませんが。

あとは、田舎で仕事をしているとはいえ、こんな本当に、何にもなく、外国どころかデリーにすら縁もゆかりもないようなところに住む人は嫁入りぐらいしか機会がなく、そんなこと安全面から考えても個人で入ることはできないし、知る限りは一人もいません。
インドは、インド人は世界ーの人口になろうとしており、そして世界に進出している人もたくさんいますが、性格の傾向から言うと非常に保守的な部類の人達ではないかと思います。
そんな国の田舎町に、仮に物好きの日本人が一人で住むとなれば、それは非常に困難なことも出てくるのかと。
私も、J〇〇Aという後ろ盾がなければ困っただろうなと思うことが多々。

大きな格差も無い分、教育を受けていない人や貧困層が多く、彼らと接する機会があまりに多くそれらに日常的に出会うこと。
最貧困州に指定されるはずだ、ということを肌で実感していくたびに、これらが頭で整理される日はくるんだろうかと思う体験と情報に溢れるのです。


ほとんどの人は、妊婦検診を受けずに突然やってきます。
「どうして受けなかったの?」と聞くと、
「注射(破傷風の予防接種です)はしたよ」と。
「でも、血圧も高いし、赤ちゃんも逆子だよ。お産は何があるかわかんないから、検診は受けないと」っていうと。
「大丈夫よ。みた感じ。」って、自信満々で譲らない。
みた感じで大丈夫なら、病院はいらないんですが、ハイハイハイハイと言われて話が通じない。
お金なんてかからないんですよ。タダです。
でも来ない。
亡くなって、その事実を嘆くけど、それが検診を受けたからどうなるっていうところに結びつかない。
それは、検診する側にも原因がありますが、あまりに複雑に絡み合う原因に頭が痛くなります。


でも、そのヒモを解く必要はどこまであるんでしょうか。
そしてその鍵は、私達が握っているんでしょうか。
それともインド人か。


結局やっぱり、孫悟空なんですよ。
一生懸命頑張って飛び回って頑張っても、そこはお釈迦様の手のひら。
やっぱりそうだな、って思って。

だったら、飛ぶことに意味があるのか、っていうのは、生きてる意味を考えるぐらい難しい。



私がこんな誰も知らないインドを体験することになったのは、一体どういうことだったんでしょうか。
28%の人々も、知らないインド。
ただ、意味はなくても良かった、期限付きの2年がここで。
やっぱり都会はエンターテイメントで溢れているけど、ここは帰ってくると安心する。


笑顔で去る勇気はありません。
「なんで帰るの?」って言われて、涙が出そうで無言になってしまった昨日。
一体何人もの人と別れないといけないんだろう。

最後は話が大きくズレましたが、今から別れが悲しい。

2011-06-23

酷暑終わり、雨季です。

ぎゃ。
気づいたら1カ月以上、書いていませんでした。
訪問してくださっていたかた、すみませんでした。
ちょっと、デリー北の避暑地に旅行してました。2週間ほど。



















































ひさしぶりにダモーへワープしました。
「ひさしぶりー!」って笑い合うと、人と素直に再会する喜びを感じて、あんなに ”都会が楽しすぎて、もう帰りたくない” って思った感情も、スルっと脱げて落ち着いてしまうのでした。
野菜の人も、近所の人も、鍵かかってるから日本帰ったかと思ったーって言ってたけど、そんなに近くないんだな、これが。


私が涼んでいようが、どしゃぶりの雨が降ろうが、人がひっきりなしに生まれています、はい、今日も。
”止まらずに 溢れ出てくるインド人。 混雑は 車両のせいか ヒトのせいか”


数日前から始まった雨季。
おかげで気温はぐっと落ち込み、日本の初夏のような感じです。
今年は例年よりずっと激しい雨らしく、突然はじまった雨季で、道路が寸断されました。
我が家も驚愕の事実が起こったのですが、とても公表できるような内容ではないので、知りたい方にはお伝えします。
人生で二度とない体験でした。



美しく、涼しい避暑地の写真とは裏腹に、ちょっとモヤモヤを一つ。



「ちょっと聞いてよ。」

そう言って、今日の日勤のカトリー・シスターが言いました。

「こないださ、
読み書きもできるような人でさ、
ジャバルプール(車で3時間半の小都市)で超音波やってきたっていう妊婦と家族がいたんだけどさ。
名字もティワリでさ(上位カーストだよっていう意味)。
なのに、超音波で女の子ってわかったからって、中絶しに来たよ。
こんくらいの子でさー。」

と、両手で20cmぐらいにして。

「さっきだって、真ん中のベッドで生まれた子の家族泣いてたよね。女はいやだって。」


ここではよくあることだけど、これは深刻で、結局国民が6:4くらいで男が多くなってきているらしい。
インドで、お嫁がいなくなります。


衝撃な話は、まだまだたくさんあるのですが、うまく頭がまわりません。

一つ言えることは。

インドはお金がないわけではないだろうに、その使い方も、政策の立て方も、なにもかも、現場を知らないお金持ちが考えているから、何もうまくいかないのだと。
少なからず、どの国もそういうことはありますが、人間が飛ぶ鳥の風の感じ方を知らないように、
改善を試みる上層部の人達は、貧困層の生活のその現状を想像すらできない。
知ろうともしない。
村のベッドで寝る勇気があるような本物は、この国では望めないのか。

また時に、村の人々の価値観は、あまりに現代の私達のソレとかけ離れており、会話がままならないこともあります。
戦国時代の人に、メールの説明をしているような気分。
具体例はまたの機会に。
結構大変です。



なんとも歯がゆく、不効率な話だらけ。


頭が仕事モードに戻った私は、ただの小さな国からやってきた一般の私にもわかることが、どうしてこの国の幹部はわからないのだろうと、やがて女が消えるかもしれないことも結局どうでもいいと思っているのかもしれないと、そんな一例を耳にして、遠くをみつめるしかなくなるのです。



帰国まであと、97日。
まあいっか、なんて思いながら、カレーを食べる。

2011-05-17

日本に帰ったらしたいこと

インドのことはとっても好きです。
なんていうか、これこれが好きとか理屈で説明できる感情ではなくて、言うならば叶わぬ恋です。
だからこそ愛おしく、帰れる場所があるから夢中になれるのかもしれませんが。
でもそれに比べてやっぱり祖国は家族のような存在で、好きでも嫌でもそこにあって、大切で。

インドの嫌なところもたくさんあります。
嫌なところを並べるのがあまり得意ではないので、なかなか言えません。
むかし、あまりに相談してくれないと女友達に寂しいと言われたことがあったけど、本当に悩んでいるときは誰にも言えないこの性格は自分でもあまり好きではなく苦しくなるときもあります。
でも、いまさら治らない。
え、いつも聞かされてますよ?っていう少数派の方、内密に(笑)


で、なんだかんだ言って絶対寂しくなると思うけど、それでも、でも、日本に帰ったらしたいこと。


ダントツ1位です。

1位
家族、友達、犬に会いたい。
会いたい会いたい、会いたい。
娯楽といえば、散歩ぐらいしかない、散歩すら注目されてストレスなこの町を出たら、おいしいゴハンとお酒をたしなみ、夜も外を出歩きたい。


2位
日本語をしゃべりたい。
全ての感情を日本語で説明したい。 


3位
食べたいものを食べたい。
実は日本食はもちろん、洋食にも飢えています。
なんでもいいから、食べたい。体重増加、こわいです。

4位
洋服が着たい。
現代女性の恰好がしたい。
お化粧して、スカート履きたい。タンクトップ着たい。ブーツとか履きたい。


5位
誰とでも、地位に関係なく普通に接したい。
これ、一番のストレスですね、インドでは。上下階級が厳しすぎる。
地位が低くっても、何かやってくれたらありがとうと言いたいし、気が合えば一緒にどこかに行ってみたりしたいものです。
たとえば、極端な話。
スイーパー(掃除人)に感謝しすぎれば、私の地位がさがり、バカにされ、次から話を聞いてくれなくなるし、スイーパーや運転手と一緒にゴハンを食べれば、それによって私が最下位になり、これまためっちゃ大変なことになるんです。口で説明しきれません。。。
言うならば、完全に犬の社会です。
こういうのがない世界に戻りたい・・・


でもね、わかってるんです。

インドに行きたくなって、ヒンディ語を話したくなって、カレーが食べたくなって、現地の服が着たくなって、バイヤー!って怒りたくなること、そして、どうしようもなくなること。



だから、楽しむようにします。
残り4カ月、一日一日。

2011-05-11

村を巡回中

どんどん時間が過ぎていく・・・・
半月ぐらいが、だるま落としのようにスパーっと抜かれるような感じで飛んでいきます。
気づいたら、あ、帰国でした!ってことになりそうなブログなので、明日も朝早くて睡魔も襲っていますが頑張って書いておこうと思います。

というかこのブログ、カウンターをつけてないのでコメントをくれた人しかわからないのだけど、誰か読んでくれているんでしょうか・・・?
2年も書き続けて、いまさらこんな疑問を持っても仕方ないのですけど。
ま、自分の覚え書きってことで。
いつも独り言ですみません。


最近、本当に楽しいです。
でもとってもバタバタしています。
きっとそれは、ゴールテープが見えているからかもしれませんが。
ゴールがあるから走れるんでしょうね。
でもそれは私の2年という意味だけのゴールであり、このテーマの、この国の、ここの人達のゴールではないんですよね。
最初は、マラソンに参加したことすら間違いだったのではないかと思うぐらい気の遠くなるような道にぐったりし、歩き、とまり、水を飲み、路肩の応援すら耳にしたくなくなり、そんなこともありながらあと数キロまで来た感じです。
でも、マラソンじゃなくって、リレーだった。
走る距離は長いけど、バトンを渡す相手がいたこと、それは何より嬉しいことです。
いえ、一人っきりのマラソンじゃダメですよね、この仕事。


この2年をずっと一緒に過してきた、私の周りのインド人のみんなは、気が早くもずっとカウントダウンしています。
「かな、あと5カ月だね・・・」
「かな、あと4カ月半だね・・・」

「いなくなるなんて想像つかない。どうしよう、さみしい。」
って言われて涙目になられたら、私まだ4カ月もあるのに、”ちょっと息抜きに旅行でもしよ!”なんて思っているのに、えーっと、私だってどうしていいかわからなくなりました。
嬉しすぎて。
そして、さみしくて。


外国人のお友達がいらっしゃる人にはわかってもらえるかもしれませんが、言葉が通じあって、一緒の空間で過し、同じ話題で爆笑できたり、同じ話題に怒ったり悲しんだりしていると、相手が外国人だってこと忘れちゃいます。
もちろん、ここでは”私”の方が外国人なんですが、相手も忘れてるな、って思うような国籍とは関係のない友情は何にも変えがたいものです。

私にとって、彼らは ”インド人” ではなく、”友達” です。



県病院の分娩室は、改善の余地はあるものの、やっぱり以前に比べて格段によくなり、それを実感したとき本当に嬉しくなります。
参考記事(→あああああ

目にみえるモノや環境の変化はもちろん。
ここでは何度も書いてますが、血圧計もなく、1年以上交換されていなかった粘液がドロドロについたカテーテルがネズミの走る床に落ちており、それで赤ちゃんの羊水を吸いだしたりしていたこと。
そもそも看護師もいなかったこと。
それに比べれば、ビックリな変化です。

BEFORE










AFTER











BEFORE













AFTER











あとは、こうしたらいいね、っていう自発的な言葉や行動がみられるようになったこと。
ヒトの気持ちに働きかけるっていう、行動変容へのアプローチは一番大変なことだからです。
私は”何をやった”って偉そうには言えませんが、彼女達の気持ちとリンクすることはできたのかな、って思います。


少し病院の席をはずしても、あまり支障がないだろうって思うことが多くなってきたので、いまは村を巡回中です。
病院で、ANM達の研修をずっとお世話してきて、そのANM達のその後のフォローアップのために。
何カ月ぶりに再会する子達もいて、みんなとっても懐かしく、そして喜んでくれます。
「カナディディー!ヒンディ語ペラペラになったねー!」
って、最初の最初の頃のバッチの子達は言ってくれて。

実はこんな奥地の僻地の場所で住んで働いていたのね・・・ って思うほど遠くで、たった2人で頑張っている子達や、
「トレーニングなんて行く暇ないから、来て教えてくれるなんて嬉しい」って言ってくれる家庭を持つオバちゃんナース達の、笑顔が嬉しい。
たとえ、その時だけだったとしても?
もし、まあまたやる気がなくなってその通りやらなくなったとしても?
巡回して総勢8・90人のフォローをしますが、そのうち数人でもいいからまた前進してくれるといいなと思います。

ちなみに、今クールの巡回の主な目的は、パルトグラム(分娩の経過をきちんと把握し、適切に搬送するためのツール)のつけ方を徹底させること。
研修でやっているので、再学習ですね。
ケーススタディやったり、事例集で早押しウルトラクイズ並にパッパッと読み取りアセスメントしてもらいます。
助産は、”情報を読み取ること、読みとった情報を正しく読むこと、それを持って先を見越すこと”
これが大切です。
訓練になっていれば嬉しいです。














あとは、物が整ってなくてできないってことがないように、なかったところの場所をオフィスに上伸すること。
村で離れて仕事をしているので、みんなの普段の愚痴を聞くこと。


片道80kmの距離からガッタンガタンの道を、私の住んでる中心地まで来て、初めて、”電気のある時間” に帝王切開ができます。
いかにリスキーな環境であるかを、再確認です。


暑いので、陽が低いうちに朝早くからでかけ、1日で3か所ぐらい回ります。












トタール140kmぐらいの距離を、何もない地平線と、牛の往来と、ターバンのおじいさんをみていると、この景色を懐かしむ私がそう遠くないんだろうと思い、センチメンタルになるのです。

2011-04-22

風の谷のナウシカ

去年は、乾季は雨なんて絶対降らなかったのに.
特にこの酷暑直前の時期はカサカサの乾燥で地も干上がっていたのに。
今年はビクビクしていた4月が終わろうというのに、いまだに涼しいです。
いえ、「涼しい」というと語弊があるかもしれないので、正確には暑いのですが30~35度ぐらいでおさまっているということです。
時たまザーーーーっと通り雨が降るのが雨季の時みたいで ”ヘンな天気” に落ち着かない最近です。
怖いものが来る来る、って思って待っているのになかなか来ないことの拍子抜けでなんだか生ぬるい気持ちです。

それと同時に、後4カ月あまりでやり上げてしまいたい仕事がたくさんあることへの焦りと、将来への準備と、帰国前にして大事にしたい任地の人達との1日1日の時間への寂しさと、いまだに少し穴のあいた日本を想う気持ちが、入り乱れて忙しい毎日です。
心が。


どしゃぶりの中、ネットもつながらない夜、大好きな映画を観ることにしました。
大好きだと言いながら、他のジブリに誘惑されて考えてみれば15年以上観ていなくって、本当に久しぶりに観ました。
あの時は、暗い気持ちが体の表面にぺたっと貼りつくような感覚しか残らなくって、でも気になるからきっと好きなんだろうって思っただけで、思えば私、どうして大好きなのかも忘れているようでした。


「風の谷のナウシカ」


もともと涙もろいのですが、涙が止まらなかったです。

長くても80年あまりしかないヒトの人生の中で、人間一人一人が欲望にまみれて生きています。
名誉や権力に翻弄され、争うこと戦うことで他人のソレまでも手に入れようとエスカレートすることが多い世の中です。
命は80年ポッキリのものではなく、祖先や子孫とで、過去と未来でつながっているのでその視野を持って生きているのだと思うのですが。
国の領地や、国権や、思想の違いを、欲をむき出しにして相手を制するために戦う人間たちと。
生きるために必要なこと以上のことを求めて、自然からの怒りを買っている今の私達の世界。

人間同士は、相手の息の根をしずめることで、力で負かすことが出来る(ように思っている)から争いが減らないのかもしれない。
もしかしたらそれが自然にも通用すると思って、力で封じ込めようとすると自然の怒りに触れるのだろうと思います。

汚染された水を海に流してしまった人間への怒りは、隣国が自分のところにも流れてきてしまうというような恐怖とは全くレベルの違う怒りとなって自然から還ってくるんでしょう。


自然にはかなわない、やっぱり人間は自然とともに生きている一部だと言うことを、考えずにはいられない今回の地震とナウシカです。

オウムが津波にみえて、仕方なかったです。


立ち入り禁止区域に指定された中の牧舎で100頭を超える牛が、つながれたまま悲鳴をあげながら死を待っているという。
インドに連れて来て、放し飼いにしてあげたいところですが、きっと一番辛いのはずっと一緒に暮らしてきた飼い主さん達なんだろうと思います。


怒りと悲しみに悲鳴をあげてる自然の声に、耳を傾けられるナウシカのようでありたいと思いながら、自分の欲を制するのがいかに難しいか感じている、生身の私です。

2011-04-10

Photoシリーズ ② どうぶつ

さて、No.1よりだいぶ期間が空きましたが、Photoシリーズ続きまして、「動物」

もうあまりにも ”普通” になりすぎて、全く違和感がないのですが、インドには人の存在と同じく動物の存在があまりにもありすぎます。
今まで行った先進国の町に動物が普通に歩いていることはもちろん、途上国の町を思い浮かべてみたけど首都や都会の道路に牛が寝ているなんてことはやっぱりなかったような気がします・・・


ということでインドで最も敬意を払われる、”神様の乗り物”=牛からご紹介。

都会でも、










田舎でも、










バスのまどから、触れるよ。










「はあ~ バス混んでたわ、まったく。やっと下車できたわね。」










こども。牛のくびのヒダヒダが、ぶよぶよしててかなり気持ちいい。
牛も気持ちよさそう・・・(だと思う。固まってる)










そこらじゅうに、牛、牛、牛。

目がとっても優しくて、かわいくて。

ドアを開けると、そこに牛。










みたいな、ウソのような現実。













「雨宿りしてただけなんですけど・・・・。すみませんねえ、出ていきますよ。」




続きまして、水牛。
牛乳といえば、水牛のお乳が多く、そこらじゅうにこれまた水牛。バッファロー。

向こう側に渡れません・・・・。
長いなー列が・・・










やっぱりいるよ、おとなと一緒に、赤ちゃんも。















ヤギって白いと思ってたけど、勘違い。
「ああ、はぐれたわ。早く帰らないと・・・」










「神様教えて、私の人生って・・・・」










たそがれてます。



馬ね。













らくだね。










はい、そしてインドといえば、

象ね!















このほかよく見かけるのは、

もちろん大量の犬に、サル、ひつじ、豚、イノシシ、リス。

あまり見ないけど、野生でいるのが、

くじゃく、うさぎ。

逆にみかけないのが、

猫。


猫はインド人に嫌われているけど、でも、いなくない???



共に生きる。
共に死ぬ。
だって、みんな生き物だから。
だって、ここはインドだから。


動物=ジャーヌワール