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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2010-01-31

いのちの位

朝6時頃になると、井戸の周りで子どもたちの高い声と、井戸を引くガシャンガシャンという音が始まる。
子どものヒンディー語は難しいが、私の夢の中で楽しそうに聞こえる。
隣の家だ。
おじいちゃんとおばあちゃん、そのお嫁さん辺りまでしか見たことがないけど、どうやらお孫さんがいる様子。
その割には小さい様子。
家族が医者だったり、アメリカにいるような上層のお家柄。
ときどき、そのじいちゃんばあちゃんと軒先で談笑する。

このあいだ、初めてお家の中へ案内された。
奥からいつもの子どもたちの声。
キッチンからだった。
入ると、びっくりしたように丸い目をしてジッとみつめてきた。
10歳ぐらいのお姉ちゃんは2人、床に座り野菜を切っていた。
5歳ぐらいの女の子は、はだしで床を掃いていた。

お孫さんなんかじゃなかった。
れっきとしたお手伝いさんだった。
横の寝室には、里帰り中のそのまたお嫁さんと2カ月の赤ちゃん。
綺麗なおくるみにくるまれて、笑顔をたくさん注がれていた。



先日、裏のお世話になっているご家庭の、5歳になる女の子の誕生日会に行った。
小学生あたりのこどもたち、キラキラお姫様ドレスの子、きゃあきゃあ言ってカレーを頬張る。
3人だけ、とってもみすぼらしい服を着た子達がいた。
その家の19歳のお手伝いさんの妹と弟ちゃん達だ。
今日は夜にも働くことになった、模様しモノもあるので、ということか、お姉ちゃんの元へやってきていた。
はだしで、髪がぼさぼさの女の子、笑顔だけはめちゃめちゃかわいかった。
緊張からか、立場がわかるのか、振る舞われたゴハンを食べる姿が、子どもとは思えないほど静かだった。
子ども程、空気を読むんだと思う。


髪もサリーもぼろぼろの人しか来ない、ここ政府の県病院。
おそらく雑巾にもしないだろうぐらい汚れたサリーで、我が子を抱く。
お産中も、罵声を浴びせるスタッフ。
位のある人のお産のときも、そんな風に扱うのかな。

スタッフがいない間に、そんな村の人達と話をしてみる。
あたりまえだけど、普通の人達。
人懐っこくて、神様を心から信じ、家族を愛していることが、話からよくわかる。


人間って、平等って日本の学校で習った。
平等じゃなかったの?
子どもはみんな、愛されるものって習った。
愛されるものじゃなかったの?

私には、どうしようもない。

貧困で、物が食べられなくて、死にゆくより、仕事があるだけいいのか。
生きても、勉強もできない、外でも遊べない、親ともいられない。
そしたら、生きるってつまりどういうこと?
死なないために、生きてるの?

日本も貧しい頃は、いろんな辛いことがあったんだろうな。
と、そんなことを恥ずかしながら、ここに来てやっと身近に感じる。

2010-01-11

ニュース価値

今日、実家の母が送ってくれた荷物がはるばる20日ほどかけてやってきた。
やってきた、はいいが中身がやはりいくつか盗まれていた。
ムキー!!
はなから貴重品は送ってもらってない。
だから諦めるしかないのだけど。
ただモノはなんにせよ、誰かが一生懸命時間を割いて送ってくれたモノを簡単に盗まれて、いい気はしなかった。
ま、すでに市場に出回って誰かの生活の足しになってるのでしょうから仕方ありませんが。
母と相談した結果、次から宗教色一杯の荷物に見せかけるか、「これを盗むとお前にタタリがある」的メッセージを貼りつけるかという案が出た。
神様心情につけこんだ、心理作戦である。
しかし現実は、やはり大都市に送ってもらって、上京の際取りに行くのが確実そう。

で、仕方がないので包みに使われていた日本の新聞を隅から隅まで読んだ。
するとなかなか素敵な記事を発見。


 ”19日午前7時20分頃、大阪空港で「制限区域内に犬が入っている」と飛行機を写真撮影していた男性から通報あり。--調べたところ、滑走路外周を野犬とみられる中型犬が歩いているのがみつかった。犬は1時間20分後、格納庫の扉付近で姿が見えなくなったといい、門扉から出て行ったとみている。同空港では午前7時から運航が始まっていたが、支障はなかった。”



 本日11日午前10時より、産科外来にて通常通り診察がとりおこなわれた。
患者の診察台とされている長椅子の下に、野犬とみられる中型犬が眠っているのがみつかった。
犬は診察の間終始、就寝の姿勢を貫き、1時間後同外来職員の罵声と脅しによりようやく重い腰をあげた。
診察は10時から始まっていたが、特に支障はなかった。

 その1時間後、同病院で働く日本人看護師(Kさん)が産科病棟から小児科病棟へ徒歩にて移動していた際、曲がり角にて一頭の野牛とみられる中型牛と出くわす。軽い衝突があったが、Kさんに目立った外傷はなく、牛はその後扉より出ていったとみている。
 また、Kさんは昨日自宅前の道路を象が歩いているのを発見しており、近くの現地住民に報告している。


もちろんこれはノンフィクションだが、本日の新聞記事には採用されなかった。

残念。

2010-01-07

ダダ、その後。

”ダダ”とは、厳密にはヒンディー語で父方のおじいちゃんを指す。
でも、「ちょっとそこのおじいちゃん!」とか、「ねえねえ、おじいさん」とかの呼びかけの時も”ダダ”を使う。


私の周りには、隣に住むダダ、毎日昼食を病院に持ってきてくれるダダなど、ダダ友達(略してダダ友)がたくさんいるのだけれど、毎日お世話になってるダダ友の一人、サイキルリキシャー乗りのダダについてまた書く。
12月5日付の記事(わたしの一日)に登場した、ダダ。












そのダダが、2・3週間前のこと。
ある日突然朝やってきた。

ガンガンガン!って扉をたたく音がするから、朝っぱらから来る人といえば大家さんぐらいだけどこんな乱暴に叩かないはず、誰?!って思ってこっそり開けると、そこにダダがいた。
「来たよ~」って。
「え?」
笑えるんですけど・・・。


全然頼んでないのに、その日から定時に私を迎えに来てくれるようになった。
それまで行き当たりばったりでリキシャーを探して、朝通勤していた私にはとてもありがたかった。
どうやら、ちびっこ達を学校に送る契約をしているダダの朝の帰り道が私の家の前の様。

まあ、なんせ江戸っ子だと「てやんでえ!」、関西だと「~でまんがな」ぐらい(多分)のヒンディー語の方言を話すので、私は理解が追い付かず、この情報も詳細は不明。
ただ、ちょっと思ってる時間より遅くなるのでやや遅刻気味。
それでもみんなより早いのでいいのだけど、日本人は・・・気分下がります。

でもなんにせよ、とっても優しい。

片道10ルピーなのだけど、ある日20ルピー札しかなくて、朝渡すとダダもお釣りがなかった。
「*+☆♡!!」と言っていたが、意味不明だった。
ま、いいかと思ったら、夕方しっかり覚えていて私からお金を取らなかった。
50ルピー札しかないと言って結局10ルピー札がみつかった時も、
「ま、あったらあったで。なかったらなかったでいいんだよ。問題なし!」と言っていた。
それで生計立ててんだから、問題多ありだと思うのだが・・・


そんなダダ。


最近めちゃめちゃ寒いので、靴下をズボンの上から履いたり、耳を覆うようにマフラーを縦に巻いてジャンパーを着たりして朝やってくる。

今日もいつも通りガンガンガン!と扉を鳴らして顔を見せた。
「はい」と顔だけ出して、最後の支度をして再び出る。
番外側の扉から、ダダのリキシャーが見える。











拡大。











でも、いつもなら座って待ってるダダ。
リキシャー置いてどこ行った??!!と思ってると。

寒かったのね。
日向で座って待ってました。











んー・・・かわいい。

2010-01-04

椅子の世界と、床の世界

あけましておめでとうございます!
インドで元気にやってます!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて。
元旦、祖父母の家に集まった我が親戚の間でこんな疑問が湧いたと、母から聞きました。
「携帯電話が普及してるのに、なんで洗濯機とか電子レンジとか普及せんの?ってみんな言ってたよ」って。

そう言われて、2日ほど考えてみました。
物流とか、経済力とか考えてみましたが、違う気がします。
流通ルートは作ろうと思えば作れそうだし、経済力がある人は田舎にもいっぱいいます。
要するに、必要ないのだと私は答えを出しました。

もしも洗濯機があったら。

洗濯だけが唯一得られる職業である、洗濯カーストの人々。
次の日から失業です。
そして、自分で洗濯なんてしない中流以上の人達、洗濯機使う必要ないですよね。
自分で洗濯をする洗濯カースト辺りから下の人達、洗濯機買う余裕ないですよね。
洗濯機、入ってこないわけです。


もしも掃除機があったら。

掃除だけが唯一得られるというか、生まれた時から掃除人(スイーパーと呼ばれてます)の家族に生まれたら、その時点から君の人生は掃除人。
彼らの仕事がなくなります。
というか、床掃除なんて自分で絶対しない中流階級以上の人達、掃除機必要ないですね。
自分で掃除をする下層の人達、掃除機買う余裕ないですね。
掃除機、意味なさないわけです。
じゃあスイーパーに掃除機を使って掃除させれば・・・
掃除機なんかより、ずっと綺麗に手早く掃除できちゃいます。
特に必要ないですね。
掃除機、入ってこないわけです。

ゴミ箱がないインド。
ゴミはすべて、床にすてます。もしくは窓の外に捨てます。
その捨てられたゴミを含めて、床も道路もスイーパーが掃除します。

それだけは絶対にできない私。
かといって、ゴミ箱がない。
仕方ないので、こっそり持ち帰るゴミがかばんの中に増える。


家に何十年も出入りしている、食器洗い係のシュードラ(カーストの最下層です)のおばあさん。
私がテーブルでご飯をごちそうになっている横の床で、同じご飯をごちそうになっていました。
他の家も同じでした。
さらに他の家では、同じ部屋では絶対に食べませんでした。

たとえ声をあげて笑うぐらい話ができる間柄だとしても。

トイレの掃除とか、床の掃除とか、食器洗いとか、育ちがちゃんとしている女の子がするようなことではないそうです。

日本には、何カーストがあるの?ってきかれて、カーストはないよっていうと、みんな初耳みたいな表情になる。

ご存じかと思いますが、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラと4つに分けたワルナの他、さらに細かく職業が分業されています。
1950年に、法律で表面上廃止されましたが、現実は何も変わっていないそうです。

結婚は同じカーストでしかしません。
何百年も交わらずに横割りで社会が進んできました。

私には何もできないし、否定も肯定もしないスタンスです。

しかし、現状はこんな感じの世界です。

2009-12-31

平日ですけど、なにか?

去年は、「入り」っていう勤務をやりました。

大みそかの朝から夕方まで働いたあと、一度仮眠をし、23時頃に再び病棟へ行き、交代の助産師達と一緒にテレビで年を越した後、元旦の朝9時まで働きました。

ラウンド(病室見回り)に行って帰ってこない同僚の、どん〇えのソバが伸びたり、2009年まであと数分!ってところで、空気の読めない当直師長さんが病棟に来たり、「おめでとう」の数分後にはナースコールがなり、患者さんの排泄処理をしないといけなかったり。

いつも通りのそんな年越しでした。


その前の年は脅威のインフルエンザにかかり、誰も交代してもらえない元旦は薬漬けで働き、そのあとは一気にダウンして、自分の病院の救急外来に這っていき、当直の研修医にブツブツ言われ、頭にきたが熱が40度で言い返せなかった。

そんな年越しでした。



さて、インドではどんな年越しを迎えるのかな、と思っていましたが。


「ありませんでした」

「・・・」

「年越しが、ありませんでした。」

予想外です。うろたえます。
どんな年越しでもまあ慣れっこだったのですが、「ない」となると、もうお手上げです。

ヒンドゥー教の新年は10月に切り替わってしまいましたし、イスラム教もキリスト教も大イベントは終わってしまいました。
1月1日はどうするの?って近くのインド人に聞いてみましたが(ちなみにヒンドゥー)、

「んー。平日だね」って。
答えになってないんですけど・・・

「だって、あれって西欧のものでしょ?」って。
日本はもはや西欧化しすぎちゃってたんですね。

デリーとか、ムンバイとか、大都市は「やっほー!」だの「Happy NewYear」だのパーティーとか打ち上げ花火とかあるんでしょうが、田舎はひっそりしています。
女が夜に出歩くなんてめっそうもございません上に、おとといからの耳鼻の調子が悪化しまくりなので、私も平日をエンジョイしております。

いつも通り、八百屋も、牛乳売りも、隣の改装工事も、なにもかも動いてます。

「え、明日から2010年なの? あっそ。」
みたいなインド。
だいたい行く先々や場所によって、時計の時間が全部バラバラ。
いったい何時なのかわからない毎日が、来年になってようがたいしたことではないですよね、インドさん。

でも憎めない。
だからこんな、どことも似ても似つかない国になったんでしょうね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インド以外の国のみなさん、今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください。

2009-12-29

アターイース

朝からのどが痛く、ガラガラ。
今日、休みだっけ?と頭はボーっとする。
もう一度寝た。
また、デリー熱みたいなあんな事態になっては、私の病院で治療されてしまう!
そんなの死んだも同然!自力で治してやる!と思って、もう一度寝た。
そしたらムンバイに行っている、何度か紹介した女医さん家族から電話。

「Happy Birthday,Kana!!!」

そうでした。誕生日でした。
昨日まではもちろん覚えていたのですが、朝起きてすっかり忘れていました。
みなさん年末であちらこちらへ出かけており、おまけに休日(実は勝手に休日と思いこんでいました)のため、ゆったり大家の母と屋上で過ごした。
しかし、キツすぎる日光と体調不良の頭痛にたえきれず、結局また寝た。

気付いたら、大変なまでのメールを家族・友人よりいただいており、こちらのお友達もスタッフもみなさんお電話してくれた。

幸せです。
祝ってもらえるって、何よりも幸せです。

「この子は大事なときに熱を出す」
と、私の母はよく言っていましたが、今日も体調を崩した娘でした。
日本の素晴らしい薬と、素晴らしい看護師(私)により、夜には回復できたのでした。

初めての、半袖の誕生日。
28歳になりました。
アターイースといいます。
28年間、何不自由なく生きてこられて本当に嬉しい限りです。
ここインドに来て、それがどれほどのありがたさかまた分かったような気がします。

みなさん、いつも温かい言葉ありがとうございます。
来年の誕生日もインドのようです。

2009-12-26

接待オペ

私が一番仲良くしていただいている女医さんは、暇があると私をオペへ誘う。
日本に居た時は、帝王切開の時ぐらいしかオペ室に用はなかったので、他のオペなんて学生の時一回みたぐらいだった。
特に嫌いなわけでもないが、特にめちゃめちゃ興味があるわけでもない・・・

しかし、「今からオペよ。見においで!」とか
「○○先生(お偉いさん)がオペするわよ、興味あるでしょ?」とか言われると、
別に取り立てて急ぎの用でもない限り、NOと言えないのが日本人。
「はい、みにいきます」と言って、結局1・2時間のオペに入ることになる。

「いいえ、興味ありませんから」
「それって私の活動に関係ないんじゃ・・・」
とか、言ってしまっても何も起こらないのかもしれないが、縦社会で人間関係を重んじるインド。
私の活動も信頼関係あってこそ始まると信じているため、彼女を始めとする医師達とも顔も心もある程度ツーツーにする必要があると思っている。
なので、(確かに見ていて飽きはこないが)特に今の活動と関係のないオペも見させていただいている限り。


おかげさまで、今まで無知だった婦人科のオペ進行を知ることができ、
とっつきにくかった麻酔科医に名前を覚えていただき、笑顔をいただいた。


接待も、仕事のうち。
「先生!ナイスカッティング!ナイススティッチング!」
「いやいや、たいした縫合じゃなくってよ」
といった会話が、いつか何かの役に立ちますように。


「先生、休日はぜひ!」といって朝早くゴルフにでかけるサラリーマンのように、
「今日も先生のオペ、みさせていただきたいです!」オーラが出ているのかもしれない。

2009-12-24

イブの朝に

出勤して、分娩室を覘いて5分後、その子は生まれてきた。
全身を真っ青にして。
急がないスタッフ。
どうせできることがないのが理由だろうか。
到底見ているだけにはいかず、手袋だけはめ、置かれたその子を自分が引き受けた。


十分わかっていた。
この状態で、ここでできることは何もない。
助からないのだ。
胎便をお腹の中でたくさん飲んでしまったその子は、すでに窒息状態だった。
電気がない、空気を送るアンビューバックはどっかにいった、寒々と風が通る。
注射器の先にカテーテル(ビニールの管)をつけ、即席で吸引器をつくる。
家族をあおり、布を持ってこさせる。
一生懸命体をふき、注射器で気管にたまった粘液をひく。
5分経過。
10分経過。
「どうしたい?」とその子に問いかけてみるが、
信じられないぐらいの頻脈だけが残されただけだった。


「よく起こることなの。しかたないの。泣かないの。」
呆然とナースステーションに戻った私に、スタッフのみんなは言った。
「ここには電気がないの。吸引したくったって、できないの。そういう場所で働いてるのよ、私たち。ね。」
と、優しい口調だが淡々と言った。

その通りなんだろう。
しかし、今回の事例に限ってはそういうことではないのだ。

分娩経過をよく観察していれば、
分娩経過をよく観察することが、大切なことだと知っていれば、
電気や機械がない状態で、蘇生をしなければならないような事態は起こらなかった。
目の前で逝ってしまうことが悲しいという単純な思いではなかった。
ずっと遠くの未来まで続くはずだったこの子の命を、その人生を体験させてあげられなかった。
私のせいではないこともわかっている。
気付くことができなかったスタッフは、気付けなかったことには気づいていない。
それも彼女のせいではない。
教育や、文化や、環境のせいだ。
でも、自分が変われば変わるということに気付くことはできるはず。
どうやらそれが私の活動目的のようだ。

今でも、あたり前に人が産まれ人が亡くなるこの場所では、
それがその子の人生だそうだ。
私がやってくるその前も、今も、そうやってやってきたのだから、今日私が悔やんでも仕方のないことなんだろう。

でも、もうすでに眠ってしまったその子をそっと渡したとき、
その子のおばあちゃんは悲しそうな目で、私に訴えた。
「サンソ・・・?とか、あげられないんでしょうか?息するかもしれない」

15分以上経過していた。
何も言えない私は、首を振るしかできなかった。

納得したり、神のお示しだと思ったり、こらえたりしているだけで、
悲しみは、悲しみだと思います。

2009-12-22

出会い

村から、ランダムに選ばれたANM。
21日間寝泊まり研修を受けに、県病院にやってくる。
村から出会いを運んできてくれる彼女たち。


まるで、恋人をうっとりみるようなしぐさで。
それは別に私が美しいとかそういうことでは全くない。
彼女にとって初めての日本人。
英語は全く通じない。
言葉もできない、何もできない、それでもそんな私を嘘のない全身のハグで迎え入れてくれる。
初めての外国人にも、キラキラした目と心で迎え入れてくれる彼女達の懐の深さに
言葉ではいいつくせない感動が湧きあがる。


出会いにも、友情にも、国境なし。
母なる大地の母なる人々 。

初めて会ったとき彼女は私にこう聞いた。

「日本からはヘリコプターで来たの?」

きっと、ヘリコプターなんて見たことがない彼女は21日目の別れの日、やっぱりキラキラした目で、ゆっくりと、拙い英語でこういった。

「アイ・ウィル・ミス・ユー」


同い年のラシュミー











今度は私が会いに行きます。

2009-12-18

はじめてのおつかい

所属するプロジェクトより、お手伝い願いたいとの出張命令あり、突然隣のパンナ県へ行ってきた。
2泊3日の初バス一人旅。
パンナへは、ボパール(州都)よりプロジェクトのインド人スタッフが直接やってきている予定。
私は一人、長距離バス(路線バス扱い)にてパンナへ行かなければならなくなった。

総勢15名ほど。
私が行って帰ってくるまで、それをフォローしてくれたインドの人の数。
「Pannaまで行くんだけど」というと、事前に一緒にバススタンドまでついてきて、バスの時間を確認してくれたANMの4人。
無理やり私が連れていかれたみたいに、積極的に助けてくれた。
当日、確実にバスに乗せてくれ、「あんた男なんだから、後ろいって。ねえ、車掌さん、この子の横には女の人座らせてよ!」と無理やり席確保。
バスワーラー(バスの運転手)と、車掌は、
「おうよおうよ!乗れ乗れ。任せろ」と、ドンと構えて受け入れてくれた。

ハッタというところ経由で行くそのバスは、バスの車掌が開きっぱなしのドアに立って、町中を「ハッタ、パンナ、ハッタ、パンナ、ハッタ、パンナ・・・・・」と、相撲のノコッタぐらいの速さで叫びながら行き先を告げる。
相撲のノコッタがノコッタに聞こえないのと一緒で、行き先を聞きとれないので初心者はバスに乗れない。
インド人はそれを聞きとって、動いているバスに次々と車掌の立っているドアから飛び乗ってくる。
じいちゃんも、軽やかに飛び乗る。
バススタンド以外からも、乗れる。
バススタンド以外からも、止まれと叫べば降りれる。
自由。
大草原を突っ走る。
牛の大群にしばし停滞。

途中で止まると一斉にチャイを飲みにいったり、バス再出発し始めてんのに、それからお菓子買いに行ってまた飛び乗ってきたりする。
自由。
いきなり、前からコンペイトウみたいなのが回ってきたり、隣の人がグァバをくれたり。
修学旅行か?
知らない人に、食べ物もらってはいけませんって教わったけど、どうみてもみんな食べてるから私も食べた。
味のあるヒンディー語の音楽がガンガン、車体は荒れた道をバウンドしまくり。
この自由さが、ものすごく気持ちいい。
インドに来て、人間らしく自由なところを見るたび、本当に気持ちいい。

15分ストップぐらいのところに止まると、バスワーラーと車掌が、「お腹すいてないか?ご飯くえ!あっちで食べるぞ、来い!」と言ってきたが、初めてで信用できなかった私は、
「すみません。お腹すいてませんので・・・」と言って切り抜けた。
降りたら現地のスタッフがお出迎え。
「ごはん食えって言ったけどさー、食べなかったぞ。」とスタッフへご親切に告げるバスワーラー。
さみしそうな顔してたので、警戒した自分、やや申し訳なくなる。

帰りのバス。
逆方向からやってきたバスも同時刻にバススタンドへ入ってくる。
つまり、行きのバスワーラー達。
帰り方向のバスワーラーに、「おい!この子ダモーまで行くからな、ちゃんと届けろ!」と。
優しいです。

3時間半乗って、60ルピー(120円)
往復120ルピー。
安いアトラクションでした。
楽しかった。

まるで子どもの一人旅。
はじめてのおつかい状態。
みんなに助けられて、無事帰宅。

出張内容は次回。