出勤して、分娩室を覘いて5分後、その子は生まれてきた。
全身を真っ青にして。
急がないスタッフ。
どうせできることがないのが理由だろうか。
到底見ているだけにはいかず、手袋だけはめ、置かれたその子を自分が引き受けた。
十分わかっていた。
この状態で、ここでできることは何もない。
助からないのだ。
胎便をお腹の中でたくさん飲んでしまったその子は、すでに窒息状態だった。
電気がない、空気を送るアンビューバックはどっかにいった、寒々と風が通る。
注射器の先にカテーテル(ビニールの管)をつけ、即席で吸引器をつくる。
家族をあおり、布を持ってこさせる。
一生懸命体をふき、注射器で気管にたまった粘液をひく。
5分経過。
10分経過。
「どうしたい?」とその子に問いかけてみるが、
信じられないぐらいの頻脈だけが残されただけだった。
「よく起こることなの。しかたないの。泣かないの。」
呆然とナースステーションに戻った私に、スタッフのみんなは言った。
「ここには電気がないの。吸引したくったって、できないの。そういう場所で働いてるのよ、私たち。ね。」
と、優しい口調だが淡々と言った。
その通りなんだろう。
しかし、今回の事例に限ってはそういうことではないのだ。
分娩経過をよく観察していれば、
分娩経過をよく観察することが、大切なことだと知っていれば、
電気や機械がない状態で、蘇生をしなければならないような事態は起こらなかった。
目の前で逝ってしまうことが悲しいという単純な思いではなかった。
ずっと遠くの未来まで続くはずだったこの子の命を、その人生を体験させてあげられなかった。
私のせいではないこともわかっている。
気付くことができなかったスタッフは、気付けなかったことには気づいていない。
それも彼女のせいではない。
教育や、文化や、環境のせいだ。
でも、自分が変われば変わるということに気付くことはできるはず。
どうやらそれが私の活動目的のようだ。
今でも、あたり前に人が産まれ人が亡くなるこの場所では、
それがその子の人生だそうだ。
私がやってくるその前も、今も、そうやってやってきたのだから、今日私が悔やんでも仕方のないことなんだろう。
でも、もうすでに眠ってしまったその子をそっと渡したとき、
その子のおばあちゃんは悲しそうな目で、私に訴えた。
「サンソ・・・?とか、あげられないんでしょうか?息するかもしれない」
15分以上経過していた。
何も言えない私は、首を振るしかできなかった。
納得したり、神のお示しだと思ったり、こらえたりしているだけで、
悲しみは、悲しみだと思います。
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