いつも午前中は外来か分娩室に、午後はここ県病院に研修にきているANMの授業にでる。
ANMとは準看護助産師という名で、村で1人ないしは2人で村人すべての健康から分娩まで取り扱う人達。
あらゆる村から4人ずつ選ばれ、21日間サイクルで寝泊まりしここで研修する。
そんな日々の仕事の話は、これまた後日。
そんな毎日なのだけど、今日は初めて外に出た。
いつも通り外来に座っていると、私の相方(と言ってもポストは結構上のお方)ジャスミンさんに呼ばれる。
とりあえず車に乗れというので、乗った。
丘から広がる荒野を見下ろし、果てしなく広がる地平線をみる。
荒れた幹線道路を牛を避けつつ走ること30分。
アウトリーチ活動だった。
つまり、医療が届かない村へ出かけて、定期的に診療を提供しにいく活動。
到着した村の学校の1室に、2つほど机が置かれており、その部屋の前には何十もの女性とこどもが待っていた。
黄色、みどり、ピンク、青、赤、もうそれは様々な色のサリーがインドにはあるのだけれど、そんなサリーをまとった女性たちが、バーゲンセール開店5分前のように扉にくっついて集まっていた。
ひっきりなしに次々とやってくる患者さん。
忙しさは病院と変わらないか、それ以上なのに、少しのびのびしているジャスミンさん。
そして大好きな女医さんと、私の3人で小さな外来が始まった。
私の役目は女医さんが処方した薬を横で渡して説明する係。
「これ、朝晩1錠ずつね。食後に」
「これ、膣剤だから飲まないで。一日一回入れてくださいね」
「これ、シロップだからスプーンに1杯、一日2回ね」
たどたどしいヒンディー語を繰り返す私に、村の女性は母のような笑顔でくすっとしながら
「はい、わかりました」と答えてくれる。
こういう人と人との関わりが、こういう仕事の醍醐味である。
問診時に聞こえてくる会話にはこんなことがよくある。
「それで?結局何人ダメになったの?」
「2人産んで、2人とも」
「3人産んだうちの、2人」
「何カ月?」
「前の子は2歳半、次の子は8か月」
日本なら、きっと助かった。
場所の違いと、命の重さ。
そして悪夢が日常である悲惨さ。
「妊娠反応出てますよ」
それでもこう伝えると、3人目の子をお腹に宿した彼女は、うつむき加減ではにかんだ。
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先日デリーからナショナルチームが視察に来るというので、病院は大慌てで綺麗に物品を並べていた。
そんな折、3つあるはずの救急蘇生物品が1つしかないことに気付く。
ジャスミンさんに聞いてみると、
「カナが会議でいない間に2人死んじゃったからね。使ったから今ないの。」
私が1週間ここを空けていた間のことだそうだ。
てっきりベビーだと思ったが、その2人はお母さんだった。
日本では、10万人に5人ぐらいの確率でしかお母さんは亡くならない。
1週間で2人亡くなる。
数値を見て、それを下げに頑張る先進国からやってきたお客。
この現実を前にして。
数値だけでは得られない、その悲しみを知る。
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