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晴れな人生、生き方!
それでいて、夢がちりばめられていて、ところどころで出会えるといい。
自己満足だとも思いながら、夢の一つである国際協力に踏み出す。

*用語説明*
ANM・・Auxiliary Nurse Midwife(准看護助産師) 農村部で15・6の村を対象にドクターなしで診療所を運営する。分娩から成人・子どものケアまで。

ナース・・・日本のように看護師と助産師の資格が分かれておらず、それ以上のことも行う。例)会陰切開や、縫合など

2011-09-12

雨の晴れ間の今日

首に臍の緒がまきついていたことが原因だと思うけど、産まれたときには心臓が止まっていました。
でもさっきまで心音はあったから、最後の最後で苦しくなって、逝っちゃたんだな、と思います。
専門知識ですが、分娩監視装置はそれなりにたくさんの命を助けてきたことを実感します。
日本の産科のこともいろいろ新しい目でみなしてみよう。

そのあとは、骨盤位(逆子)のお産がすぐありましたが、初産にもかかわらずなんなくクリア。

大事なケースを連続で見ることができて、研修のナースに教えるにはいいケースでした。
日本だと、初産骨盤位は帝王切開になるので、助産師だけってことはないけれど、私もたくさん勉強できました。

置かせてもらう場所がなくって、先の亡くなった赤ちゃんの横で、逆子のあかちゃんのケアをしていたけど、まさに明暗の図。



「死を習慣にしないで。いつも、できることをできるだけしようって思いを忘れないでね」



とナースに伝えながら廊下を歩いていると、女性病棟で大勢の人が叫び大泣きする姿。
吹きっさらしの大部屋には、他の患者もその家族もどこかのこどもも、牛もいたりして、そんななかにいるご遺体と大勢の家族。



死が習慣になるっていう意味は、どういうことだろう。
その光景をじっとみつめる子供たちをみながら、さっき自分が発した言葉を心の中で考えていました。
目の前のインド人ナースには、そのものの意味が伝わっていないかもなと思いましたが、私が正しいのか自信がなかったので、そっとしておきました。



ふと横を見ると、さっき亡くなった赤ちゃんの叔母さんにあたる人は、日光がふりそぞく広場に4・5人で輪を作って談笑しており、その膝には亡くなった赤ちゃんが日光浴されるように置かれており、その横を牛がブラブラしてました。



口座を閉じる相談のために、銀行に行く私は早退。
雨があがった町は、生きている人で溢れていました。

明日もがんばって生きよう、わたし。

2011-09-11

最後の訪問客

おとといと昨日は、事務所の方が4人も、プライベートな時間を使ってダモーまで遊びに来てくれました。
こんなに何にもないところなのに、その何にもなさに興味を持ってきてくださいました。
車に乗って長距離移動。
道中、村の奥の診療所を見学したりしながら。

なんと前代未聞の、車が5回もパンクをするというハプニングにより、6時半の飛行機でデリーを出発された4人をちゃんとダモーの市内までお連れできたのは夜の11時前となりました・・・。

でも、とっても楽しかったです。

























2011-09-06

酒飲み麻酔科医

以前も申した通り、この広い県で手術ができるのは県病院の1件だけ。
当たり前ですが、手術は麻酔が必要。
この麻酔っていうのが、思っている以上に難しく奥深いものなんですね。(って、私はかけたことがないのでよくわからないんですが、とても難しい領域らしいです。)

麻酔科医って、日本でもすごく少ないって言われているんですが、ここも同じく。
ドクターになる人は、やっぱり直接診たり、切ったり、縫ったりする分野のドクターが多いんでしょうね。


で、その麻酔科医ですが、常駐はいなくって、数か月前に来た新しい麻酔科医も、隣の県から来ている。
なので、緊急時は、麻酔科医がいなくって手術できなくって、車で3・4時間の都市まで搬送です。



問題は、その新しい麻酔科医。


インド(都市部はそうでもなくなりましたが、特にここ農村部なんか)では、飲酒や喫煙は、ドラッグ常習ぐらいの悪とみなされちゃいます。
めっちゃ白い目。


その麻酔科医、24時間お酒臭い。
うえに、ものすごく感じが悪いんです。
多分同い年ぐらい。

別に私には何の被害もないけれど、
帝王切開で生まれた赤ちゃんを何回も何回も叩いたり(呼吸の刺激だとしても、やりすぎ)、
ボールみたいに上になげてキャッチを何回もしたり(ドクターならシェーキング・ベイビーの文献を読んで!)、
使用したチューブなんかを床になげつけたり、

は、もう百歩譲るとして。


適当に麻酔して、麻酔が効いてない!
帝王切開中に、痛くって足動かしてますけどー!
これってすごく危険。
しかも、麻酔を足すんじゃなくって、叫んでるお母さんの顔を叩いて黙らせたり。


誰も言えないんです。
医者だからっていうだけで権力を握っているし、彼がいないと、手術ができない。
本当に偉い人は、偉そうにしないもんですが、ああいう中途半端な人が一番やっかい。


でもそれでも、頼らざるを得ないっていう環境。
ため息もんです。

医療者の方ならわかってもらえるかもしれませんが、キレイ事じゃなくって、自分が責められる以上に目の前の患者さんが痛めつけられてる時の悔しさったらありません。


インドのブラックマネーは想像を絶するぐらいの巨額であり、スイス銀行に隠されているそうですが、そのお金を思うたびに、国ってなんのためにあるんだろうって思います。

”国民を救うためか、殺すためか”


どうせそのお金の保持者もいつか死んでしまうのに。

ばっかみたいです。カネと権力。
本当にばっかみたい。
そんな世界で、キレイであればある人ほど、苦しむ。

アル中の麻酔科医に年間何千もの手術がたくされているっていう環境に、そんなことを思います。

正解は

4日前のこの記事へ補足


わかった!!

バカボンのパパはやっぱり天才。


「これでいいのだ」


この日、私がツラツラと長ったらしく書いたことは、つまり、「これでいいのだ」ということだった事に気づく。


これでいいのだー これでいいのだー

唱えると、すっごく楽になる呪文。

インドはバカボンのパパだらけです。
あーーーー すっきり。


ふざけているようですが、大大真面目です。




歌詞一部抜粋・・・・・ インド人が書いたのかな。(とまで思う。奥深し。)

「崖から落ちて ケガをした だからガケなのだ
これでいいのだ これでいいのだ
ボンボン バカボン バカボンボン
天才一家だ バーカボンボン

赤でスタート 黄でダッシュ それで事故なのだ
これでいいのだ これでいいのだ
ボンボン バカボン バカボンボン
天才一家だ バーカボンボン

バカでなくても バカなのだ それが天才だ
これでいいのだ これでいいのだ
ボンボン バカボン バカボンボン
天才一家だ バーカボンボン」


ワタシ、一人、感動。


みなさんも、しんどい時は(しんどくなくても)、唱えてね。

執刀医の助手

いつも通り仕事してます。

いまさら新しいことはできないので、まあのんびりと言ったところです。


それが・・・・。


「カナ、前に日本はそう簡単に手術とかできないって言ってたでしょ? 手術室ナースじゃないと助手できない。って。 覚えてかえりな!!」

って言われて、


それもいいなー(ここのやり方、30年古くないだろうか・・・心配)って思いながら、じゃ、手始めに日本でもベビーキャッチに入る ”帝王切開” から。

って思ったのが間違い。


見てるだけが、手袋はめるだけになり、手袋をはめるだけから、器具を保持するだけになり、最後は一人助手が完成です。
(注:切ったり、縫ったりじゃないですよ。ナースの業務範囲の助手です)



で、気付いたら何件もやってて、夜8時過ぎてますけど!

ドクター・・・・帰りましょうよー。
みんな、働きすぎです(涙)

上司が帰らないから帰れないっていうこの環境・・・・、 ここはニホンですか!

最後だと思って、文句も言い訳でもできないワタシ。


へとへと。
10時間オペやってる友人、尊敬します。

2011-09-05

どうして知っている?

あいかわらず、道を歩くとちゃんと「ジャパニー」って言ってもらえる、ワタシ認知度の高いダモーです。
(普通は、ネパーリー=ネパールです。)
あと1年いたら、名前で呼んでって言って歩こうかな。っていう妄想しながら歩く。


先週までここを少し離れていました。

帰ってきたら。

「で、帰国するの?なんで?何日?」って言われる。


その、”なんで?” はいるのか? って思いながら。

いや、もちろん仲が良いというかほとんどの人は知っているんだけど、なんであなたが知っている!?
という人まで知っている・・・。
・・・。


みんな、なんで知ってるの?


さすがに町の知らない人は知らないと思いますが(一応人口はすごいです、インド)、活動しているところの知り合いの人はみんな知ってた。


ネタのない田舎。なんでもネタですね。
はやい。


21日の早朝、ここを離れます。
泣くかなー?

2011-09-02

学んだこと

あと3週間となりました。

ああ、何か書いておいた方がいいんじゃないかと思うのですが、何から書こうか。
なかなかあがらない雨音が今日も無音の夜に響いてます。
おかげで涼しい。


暗くなったら家から出ない、やることもない、停電、ネットがつながらない、なんていう日本ではなかなか経験しないような時間がたくさんあった2年間。
考える時間だけはやまほどありました。

人はなぜ生きているのか っていうところも3ラウンドぐらいはしたと思います。


で、そんな時間を「インド」で過ごしたことによって学んだというか感じたことを記しておこうと思います。
こういう目に見えない抽象的な気持ちほど、一番に忘れていくのだと思うので。


頭ではわかっているつもりでしたが、日本にいると本当の意味で気づけなかったなと思います。


”シンプルでいいということ”。


幸せの基準は、他人の基準じゃなくていい、自分の基準でいいってずっと思っていたけどその本当の意味はわからなかったし、日本のような複雑・混沌・情報社会では、心から思えなかった。
比較的自分勝手生きていたような気はしますが、それでも誰かと比べてる自分がいたし、誰かと比べた判断を下していたと思うし、それも人間でしょって思ってたからヨシともしてたような気がします。

今も全くないと言ったら違うかもしれないけど、でも今だったら少なくともこう言えるかな。


「でも、自分がいいと思うから、それがいい」


相田みつをさんの ”幸せはじぶんのこころがきめる” っていう言葉、未熟者ながら、なんとなく本当の意味でわかったような気がするのです。


たくさんの道を生きる人々。
たくさんあるようにみえて、限られた、選べない道であること。
好きなものにはまっしぐらでキラキラしているインドの人。
医者もエンジニアもパイロットも、世界を救う人を目指す人も素敵だけど、自分がいいと思った道を進めという人。
それでも生きていればいいじゃないか、生きているのは素晴らしいんじゃないか、っていう人。


そんな中で生きていて、大事なことはなんなのか、とてもシンプルなものだと感じることができました。



どんな道を歩くかわからないですが、自分が幸せだと思った道を、少なくとも着飾って虚勢をはったり、誰かに恥じたりすることはなく歩きたいと思います。


時には迷うと思うけれど、インド人のように前向きに。

2011-08-18

同期と2年

疲れているけど、今日の気持ちを書いておきたい。
だから、10分だけ寝るのを遅らせます。

今日、首都のデリーで隊員総会と言って、インド中の隊員が集まって(といっても10人ですが)、それぞれの活動の共有をする会議がありました。

1人1人、どんな活動をしているか、そして私を含む同期の2人はどんな活動を”してきた”か、を発表しました。

いろんなことで手がいっぱいだったので、おとといダモーから夜行が出発したあと、電車でやっとPCを開きました。

さて、作成するスライドに何から書こうかと思い、まず第一枚目に「帰国報告」と打ち込みました。
そのパソコンの「帰国報告」という文字を見たときに、胸の奥がぎゅっと締めつけられて、目頭が熱くなりました。


2年という歳月はとても長く、思い起こせば起こすほどたくさんの情景や感情が浮かび、入り混じった感情が心をぎゅっとしたんだと思います。
そしてこうやってデリー行きの電車に乗るのもこれが最後だと思うと、窓から見える煌々と照る月と真っ暗な草原がなんともセンチメンタルな気分にさせてくれました。


「インドってどんな国なのか、わからないね!」っていう頃から一緒に歩んできました。

テンションの低い日も楽しい日も、腹の立つことも面白い話もいろんなことを共有して、気付いたらインドのこの生活にはなくてはならない存在で、インドのことを誰よりも同じテンポで語れる仲間になっていたような気がします。
そんな、ずっと同じように歩んできた同期の2人の発表を聞いて、話す空気から出てくる時間の濃密さと仕事の充実具合を思い、そんな姿が頼もしくって。
同期であることを誇りに思い、嬉しかったです。

2人なしには語れない、って言ってくれたまっきーにおもわず涙。
きっと何年たってもインドの空気と一緒にこの感覚を思い出すだろうって。

人との出会いは不思議ですね。
人の出会いを大切にすること、人とは何か、インドでたくさん教えてもらった気がします。


望んでやって来たとはいえ、都会であろうと田舎であろうと仕事は違えど、外国で生活、ましてやインドのような途上国で生活するっていうのは大変なことでした。

普段は何100キロも離れたところに住む3人ですが、それぞれの形でそれぞれの思いを持ちながら、頑張れたことが素直にうれしい。

ありがとう。



あと1カ月、一緒に空港を出る日までがんばりたいと思います。

2011-08-14

見られない

お祭り続きのインドだと申しました。

やること多すぎて(主にPC、卓上の仕事)、ひきこもりになりたい気持ちとは裏腹に、ゴハンに呼ばれる・・・。
で、そのたびに ”こんな生活もあと数日。二度と来ない時間を考えて、仕事は後回しだ” ってやってるうちにいつも夜中に起きることになっています。
ただいま1時。

今日はラクシャ・バンダンだったため、「家に泊まっていけ」と言われましたが、それだけは勘弁ってことで9月に泊まる約束をして帰ってきました。

で、今日その家まで歩いている途中でふと思ったこと。

“見られない”


いや、正確には ”見られているようにはあまり感じない” ってことです。



っていうのも、2年前私がここに来た頃。
外国人もとより、他の州のインド人だって来ないような何の特徴も観光もない貧しいこの町の人達は、それはそれは時間が止まったかのように棒立ちになり、走る車をとめて、会話をとめて、ふりかえって私を凝視したものでした。

あっけにとられているとういか、鳩が豆鉄砲。

とにかく、肌が白くて目が小さいこんな人種を見たことないので、珍しくって仕方がない。
外文化が全くといっていいほど入っておらず、一番近い都会まで300kmあり、識字率50%のこの町。
ニホンジンなんて想像つかないから、みんな「ネパール人が来た」ってヒソヒソしてました。
(外人=ネパール人)
そもそもこの私の住むマディヤプラディシュ州は、日本の0.8倍ぐらいの面積があるにも関わらず、在日本人は知ってる限りでは片手ですむぐらいです。
企業もない内陸地、世界中どこにでもいる日本人でこの数。
その、一番近い都会(というか州都)にだって、たったの1人のはずです。


それはそれは、嫌でした。
だって、何してもジっとあのデカ目で凝視されているし、見られることのストレスって今まで感じたことがないもので。
1年ぐらいは本当に嫌だった。

「チンキー(中国人)!」関連は、首都デリーや都会より少ないと思います。
たまーにあるけど、ほんとたまに。
田舎の人達は、そんないじわるあんまりしないです。
侮辱とかより、ビックリして見るって感じで。


てか、もうみんな知ってるから。

今日は歩いてて、下校中の子どもが、
「ジャパーーーーン」って言ってました。
すごいな。

大人は、2年も経つと特に興味ナシ。



あと1カ月だから、”なんでもいいわ” って気になって、とっても楽なキモチです。

もしくは、肌が黒くなりすぎたのかな・・・。
それはないと信じたい。

2011-08-12

普通の1日

普通の日。

9時頃に、迎えのリキシャーがきて、病院へ行きました。
昨日で1クールの研修が終わってANMの4人は村に帰り、本当なら今日からまた始まるところですが、これからしばらくインドではお祭りや独立記念日続き。
いそがしいので(お祭りで)、研修は一時ストップです。

特に村にでかけようっていう気もなかったし、なので、精神的にらく~に出勤。
あーうん呼吸の分娩室ナースのバニーシャとお喋りしながら、さらっと3時間で5件お産をとる。

至って安産だったので、教える研修生もいなくて暇な私はルンルンでお産をとりました。
「やっぱ2人ぐらい配置されてるとスムーズに仕事できるよね」って言いながら。
2人でてきぱきお仕事です。


2時には切り上げて、午後からのクラスもないし帰宅。
昼ごはんは自炊だなーと思いながら(いつも研修生とおいしいカレーを食べる)、帰る支度をしていると、仲良しのドクターが「帰ろー」と連れ退勤のお誘いに来ました。
ついでに、家によってけと言われて、お腹が空いていた私は喜んで家に寄りました。
完全にゴハン目的です。


そのあと、ドクターのお父さんがボパールから遊びに来るっていうんで、駅まで一緒にお迎えに行きました。

なんてこと。

インド全土共通の明日のお祭り ”ラクシャ・バンダン” のせいか、帰省する人などで町も駅もごった返し。
予約のいらないローカル電車が駅についた時は、年末の東京駅よりひどかった・・・。

降りる人が降りれなくって、乗る人が乗れなくって、15分ぐらい電車が動かない。
こんな過疎地でプラットフォームの床もみえないぐらいの人で、お父さんをみつけることもできず。
そのまま電車はうごきはじめます。(インドの電車はドアあきっぱで走ること多し)

みつかったときには、車両の入り口で乗る人に押されているお父さん!
電車出ちゃうから(ていうかもうノロノロ走ってる)、必死で乗りたい人と、必死で降りたい人が怒鳴り合い。
必死でひっぱって助け出した時には、お父さんもドクターも涙目でした・・・。
わたしもなんだかわからず涙目。


「ねえ、インドさ、もうちょっと人口削減がんばろうよ」って私が言ったら。


「だから毎日避妊手術頑張ってるよねー私達・・・」ってドクターも笑って言ってました。


リキシャーでだらだら帰るんですが、道の真ん中で大勢の牛が全然どいてくれなくって、わざわざリキシャーから降りて牛を手でおいやる運転手。


ちなみにこないだ。
ホントに刺激的な国!って言って友達がインドの写真を送ってくれた。
どっからどうみてもただの日常で、何の刺激も受けなかった私。
やっぱりインドに住んでるんだな、って再確認しました。
何も感じない・・・。
日本に社会復帰できるかな。



今日はカメラ持ってなかったので、これはネットから拝借した参考資料です。
さすがに、電車のうえには乗るほど人はいませんが、ダモーには・・・。でも左の写真ぐらいの混雑でした。


















ダモーの牛さん。